ヘビイチゴ

食べて食べられないことはないけど


 ベリーと付く植物の実には独特の響きがある。フランボワーズなどと言われても、気取った洋酒の匂いと分厚い生クリームやムースに包まれたケーキしか連想しないが、ラズベリーからは野趣あふれる甘酸っぱさと粒々した食感が伺われる。ストロベリーはそのままだと麦藁木の実だが、最早その語感は麦藁を思わせる要因がすっかり隠されている。ブルーベリーはツツジ科で、バラ科のイチゴ類とは一線を画すが、甘酸っぱい木の実に覚える印象には共通点がある。
 杜氏が中学生だった頃、人間関係の微妙な食い違いから、ビートルズは活動を殆ど停止し、表舞台から姿を消そうとしていた。コマーシャル志向の音楽界は、ビートルズ二世を目論んで様々な一般受けしそうなグループを送り出そうとしていたが、その一つにラズベリーズがあった。だが、柳の下のドジョウバンドで、二曲とヒットが続かなかった。こういった二流っぽいところも、ラズベリーらしいところだ。

 北海道出身の父が子供の頃親しんだ木の実で、二種類だけどうしても杜氏にはイメージ出来ない植物があった。父は方言でしか、その植物の名を知らなかった。ひとつはオンコの実である。赤くて甘い果肉で中心に大きな種があるのだという。それを聞いて最初に思い浮かんだのはヤマモモであるが、明らかに違うらしかった。枝も葉も種も有毒で、実だけに毒素がないという。結局、杜氏が子供の頃には「オンコの実」の謎は解けず、随分経ってから、本州でも珍しくはないイチイ(櫟、一位)のことだと判った。関東にはイチイの実を食べる習慣があまりないのかもしれない。

 もうひとつはグスベリだった。同じ北海道でも、地方によってはグズベリとも言うらしい。これも説明を聞いただけではどうにもイメージ通りの植物に特定できなかった。後に英語の知識を得るようになって、ベリはベリーでイチゴのような実であり、グスがマザー・グースのグースで、ガチョウであることが類推されるようになった。そしてグース・ベリーがスグリ(酸塊)という耳慣れない植物であることに辿り着いた。熟すると紫色になりデラウェアのような味がするという。スグリの一種であるクロスグリはカクテルや洋菓子のムースとして用いられ、一般的にはカシスと呼ばれるという。

 北海道のあるホテルで昼食をブフェ形式で摂ったところ、ジャムに「グスベリ」が選択できて、亡父の供養になったような気がした。
 グスベリは北海道のスーパーなどでは稀に袋詰めにされて売られているようだ。ちょっと見、小型のイチジクのように見えるが、焦点がボケたような味のイチジクとは違い、酸味にはシャープなところがあり、かつて自然の状態でそれを食べた人に郷愁をもたらすようだ。十個入り程度で480円ぐらいと割高だが、絶滅危惧種であることを思うと、一種の贅沢品なのかもしれない。因みにその食事の同行者の一人だった北海道で生まれ育った女子高生は、グスベリの何たるかを知らなかった。


 食べ物に対する個々の人間の印象は、単に味覚の問題ではなく、それに纏わるエピソードや思い出などの心に残った感慨にも彩られている。幼い頃、駅前の果物屋(フルーツ・ショップなどという時代ではなかった)から漂ってくる芳香はとてもいい香りで蠱惑的ですらあった。その二階はフルーツ・パーラーになっており、杜氏はウェイトレスのおねえさんから可愛がられていた。バナナ・サンデーやストロベリーパフェを頼むと必ず「おまけ」でバナナやイチゴを余計に盛り付けてくれたものだった。杜氏は果物屋の芳香が、バナナとイチゴとスイカの入り混じった匂いであると信じていた。以来、色々なものを食べてきたが、一番の好物はバナナ、イチゴ、スイカであるかもしれない。

 決して甘党ではないのだが・・・。

 そういうワケで、ベリー類には格別の思い入れがあったりする。

 ワイルドベリーというと、前出ラズベリー、つまりキイチゴなどを含む、いわゆる栽培種のイチゴ(オランダイチゴ)を除くイチゴ類を指す。いかにもイチゴのような色、形をしているが、必ずしも食べられるものばかりではない。

 幼い頃、住んでいた集合住宅の裏山から鷹取山という低い山に登って遊んでいたことには何度か触れた。その中腹に半分は開けた野原に面し、逆側は林になっている場所があった。ところどころに畑も散在していたのだろう。今ではすっかり姿を消している野壺などもいくつかあって、一種危険なスポットだった。その林側に春になると黄色い花が一斉に咲き、初夏が近づくと一見鮮やかに赤い実をつける植物が地表を這っていた。ヘビイチゴである。

 何ともおどろおどろしい名だが、向こうから噛み付くこともない。毒だと思われているフシもあるが、子供達の間でもそれが毒であるとは認識されていなかった。中国で蛇苺(ジャモ)と呼ばれていたのを、そっくり日本語に直して適用したらしい。

 普通に食されているオランダイチゴとヘビイチゴは実の構造は似ている。果実は表面の小さなぶつぶつで、痩果つまり痩せた実と呼ばれる。食用にされる部分は偽果、つまり偽の実なのである。多数の雌蕊の台となっている部分が発達して花床という組織を形成するが、それが偽果となる。

 いかにも食べられそうな趣きであるので、毒であるかもしれないという懸念と美味しいかもしれないという誘惑のせめぎ合いに後者が勝って食べてしまう者は多い。だが、香りも味もなく、食感もフワフワした捉えどころがないシロモノで、旨くはない。ふたつとは食べられないものなので、毒であるかどうかもわからぬままやめてしまうので、食べた本人を毒が蝕むことはない。そもそも毒ではない。毒にも薬もならない。と思ったら薬にはなるらしい。食べて食べられないものではないのだが、食べることに価値は見出せない。とんねるずはエロティックな語感を込めて、「あの子は可愛いヘビイチゴ。甘くて酸っぱいぞ」などと唄っているが、そういう誤謬は慎んだ方がいい。

 近くでよく見ると赤いのは表面を覆う痩果だけで、花床の地は白い。地だけ見ていれば旨そうだなどというのは幻想に思える。ホワイトベリーなどという北海道北見市出身の若い女性のロック・バンドがあるが(この3月に解散したらしい)、その語感に魅力を感じないのは、個人的にはこのヘビイチゴの地を連想させることが理由である。
 そのヘビイチゴが、ウチの庭の北側、玄関から庭へと連なる通路になぜか根を張り、蔓を地表に伸ばしている。鳥の置き土産だろうか? ヘビは肉食だからヘビイチゴなど食さない。だとすると、あの不味い実を食べて種子を遠くへ運ぶ殊勝な鳥
がいるのだろうか? 更に驚くべきことに、ヘビイチゴは人間にとって栽培種としても機能しているらしい。無論、実を食するためではない。グラウンド・カヴァーとして用いるらしいのだ。確かに蔓を這わせて地表を覆うヘビイチゴは、雑草を生やしておくよりは見映えがする。役に立たない実もアクセサリー程度には機能する。
 とても近い種にヤブヘビイチゴがあり、こちらは実が数倍ヘビイチゴよりは大きい。だが、食えないところは共通している。いらぬことをして禍根を招く「ヤブヘビ」とは無関係だ。
 こうして、とても見掛け倒しで、毒々しいものを期待する向きにも応えていないヘビイチゴであるが、平凡ながら春の早い時期に咲く黄色い花はそれなりに可憐である。それに、期待に背きながらも、種としては着実に繁栄を保っている姿を、杜氏はそれほど嫌いではない。

 だが、スネークベリーとは呼ばれないのだろうなァ。ベリーと呼ぶにはあの実の不味さは相応しくない。



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