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マジック・マッシュルームなる怪しいキノコでラリパッパとなり、騒ぎを起こした俳優がいた。リーガル・ハイと称する商品で、文字通り当時は違法ではなかったが、騒ぎのせいかたちまち違法薬物に名を連ねてしまった。ハルシオンというドラッグもあり、これは睡眠薬として一般的に用いられているものがドラッグとして悪用されているものらしい。色々と怪しい使用法が問題となっている。
植物のハルジオンはハルシオンと全く別のものだ。ジオンは紫苑の音便である。春に咲く紫苑という意味で、有名な牧野富太郎博士の命名だという。清貧に甘んじ、寧ろ清貧を愛した、押し花先生の牧野博士だ。シオンと聞くとユダヤ人の「シオンの丘に帰れ」を連想してしまう。そういった民族的、宗教的な意味合いは無論ない。
よく似た植物がヒメジョオンで、こちらはジオンではなくジョオンだ。女苑と書く。見掛けはさして変わらないのに、とても紛らわしい。Yumingの歌に「ヒメジョオン、ハルジョオン」というものがあるらしいが、後者は注文にはまったような誤謬だ。「姫」と「女」を掛けたのかもしれないが、雅な命名も現代人には紛らわしいだけなのが悲しい。さだまさしに至っては「ハルジョオン」とのっけから誤謬を堂々とタイトルに据え、しかも歌の中では「ジョン」とやらかして植物に造詣の深い人々に深い溜息をつかせているらしい。紫苑はヨハネの英語読みであるジョンでも、ジョアンナの愛称のジョーン(千昌夫の前妻)でもない。さだの陥った陥穽は日本人のエセインテリの本質を露呈しているのかもしれない。記憶力を以て知識を得ることは得意でも、本質まで掘り下げようとはしない。いや、掘り下げていると博学多識を誇るまでの知識量を獲得できないし、何しろ受験に受からない。だからモノゴトの外殻だけを記憶するに留まる。そしてこういう失敗をやらかしてくれるが、大概の人はそンな知識はないから見過ごされる。古舘伊知郎の饒舌が空虚なのも、本質への理解が及ばない記号の羅列に過ぎないからで、理知的な人はあのような軽率なエロキューションは持ち得ない。(う〜む。ヒメジョオンで話題が膨らまないから、水増しをしておるなァ。)
ヒメジョオンもハルジオンもキク科の植物であり、道端や荒地に容易に蔓延する。草の先端に花が集合した野菊のような集合体の花を数多くつける。ご多分に漏れず帰化植物である。北アメリカの産であるらしい。それが日本全国に広まった。そのディストリビュータ役を果たしたのは鉄道であるそうだ。だから鉄道草とも呼ばれる。鉄道網が全国に張り巡らされるに連れ、この植物も繁殖地域を拡大していったらしい。文明開化の産物であったワケである。そういえば、電車の窓から外を見ていると、線路の土手にこの植物がポツポツと生えており、花を咲かせているのを見ることがある。今でも電車の運行を介して繁殖を繰り返しているのだろうか。それとも、線路の日当たりのいい傾斜地の土手に、生育の条件が適しているのだろうか。こうした、人間の文化を介して版図を広げていった種は、他にも案外多いような気がする。やはりキク科のマーガレットを縮小したような花は、それなりに可憐で美しいと評する人もいるけれど、杜氏には鬱陶しく感じられる。
草丈はモノの本によれば80cmとあるが、杜氏の庭では人の背丈以上にもなる。根の張り方は浅いので、簡単に引っこ抜くことが出来るが、丈が高いのは厄介である。また綿毛をつけた種子は歩留まりも良好なようで、放置しておくと大変なことになる。帰化植物には鬱陶しがられるものが多く、セイタカアワダチソウやブタクサはその最たるものかもしれないが、杜氏にはヒメジョオンが最も迷惑な帰化植物であるように思える。確かにヒメジョオンはセイタカアワダチソウのように毒は発しないし、ブタクサのようにアレルゲンも有していないだろう。だが、どこでも所構わず蔓延する性質には許し難いところがある。植物に礼節を守れなどと言ったところで無意味なのは重々承知であるが、墓の僅かな灯篭の横のスペースなどに植えたサツキの根に絡みついて生えたハルジョオンを引き抜いたら、サツキごと抜けてしまったのには腹が立った。節操がないのにも程がある。
インターネットで検索してみると、ハルジオンの方がヒメジョオンより遥かに掲載ページが多い。だが、ここ数十年の植生の経緯を見るに、ヒメジョオンの方が優勢であることは否めない気がする。丈が図鑑に示された「額面高」より高くなっているのは、この植物がより強い生命力を発揮するために、性質を強化しているようにしか思えない。前述の通り、ヒメジョオンは草丈の先端に花を宿す。高い位置で花を咲かせれば、丈の低い植物よりも生殖の機会は効率が高くなる。この植物が他の植物を押しのけるために、帰化後、丈が高くなる形質に磨きをかけたように感じる。姫などという可憐そうな名に相応しくない猛々しさを感じる。植物なのでダイナミックな印象は受けないが、これが動物であったなら獰猛ということになるだろう。静的というより静そのものにしか見えない植物だが、生育の様子を早回しで見れば確実に植物も動いている。また、何代にも渉る種の継承に連れて、形質が徐々に猛々しく変化しているとしたら、これは恐怖でしかない。
ダーウィンの言ったことが本当だとしても、猿を何代に渉って飼育したところで、人間にはならない。ただ、時代背景によって人間の体格が変化していることを思えば、今とは違った環境で本来育っていた帰化植物が、渡りついた土地に適合するように形質を変化させても何の不思議もない。最早、牧野富太郎先生が叙情を込めて命名したヒメジョオンはもうこの地には存在しないのかもしれない。
だが庭や墓地のような人口的なスペースではない山野のヒメジョオンは今、正に花の時期を迎えている。草丈は50cmがいいところだ。カマトトぶって小さく丈を留めて可憐な振りをしているように見える。してみると、庭のヒメジョオンは、他の植物から圧迫されることなく、不自然な状態で育ってしまった仮の姿と言うことになるのだろうか。
ことほど左様に、自然への公平さを訴えている杜氏のような人間も、猫の額のような自分の庭が強力な雑草のパワーに侵されると急に掌を返し、特定の植物を糾弾したりする。人家の庭にのさばっていようが、本当はヒメジョオンの勝手なのである。