ヒラタケ

栽培物は天然物に敵わないのか?


 社員旅行というのは厄介なシロモノである。激務にあるバリバリの技術者にとって、必ずしも休めるかどうかわからない土日を、更に会社のイヴェントで埋められるというのは痛し痒しのところがある。しかも、社での協調性を容易に乱すワケにもいかない。割り切って欠席を宣言すれば、「アイツ、何だ!」ということになりかねない。皆でツルんで騒ぐのが心底好きな人達なら、旅行も楽しいだろうが、世の中そういう人種ばかりで出来ているワケではない。休みぐらい一人でいたいと考えている者も少なくはないのだ。しかも、目的地は決められており、必ずしも全員が行ってみたい土地ではない。土曜の午前から出発して、道中観光をしながら午後に宿に着き、自由時間もそこそこに夕食で懇親会(宴会)。二次会で飲み歩いて、翌日早く起床。また観光しながら帰京して夕方に解散となる。そしてたった一晩休むだけで翌日、また仕事となる。少なからず疲れる。
 杜氏は前の会社で夏と暮れに箱根湯元で、今の会社で日光、浜名湖、軽井沢、伊東と社員旅行を経験してきた。前の会社では課単位(といっても数百人規模なのだが)、今の会社は未だ研究所対応のこじんまりした組織だった頃の全社単位で、現在は社員旅行そのものがなくなっている。休んだことはエレクトロニクス・ショウの説明員を任された年に一度あったきりだ。賢い人は参加の意思表示をしておいて、当日急病になって集合場所に姿を現さなかったりする。そういう必殺技を杜氏は持たない。
 趣味指向が個々人で異なる対応策として、往き帰りの個別コースを設定して選択させる工夫を、旅行委員会が講じたりする。オプショナル・ツアーの選択方式である。無論、直出直帰コースも選択可能だ。宴会だけを重視したり、オリンピック精神で参加することに意義がある向きにはそれもいいだろう。だが、せっかくの機会なのだからツアーを利用してみたくなるのも人情だ。単なる貧乏性と言えなくもないが。これがまた、見ると聞くとで大違いだったりすることもある。杜氏などはこういった場合、まず外れを引くことが多い。
 軽井沢の旅行の際だったか、「シメジ狩りコース」を選択したことがあった。林を散策しながら、自然に近い形で栽培されているキノコを採る絵柄を想像してのことだった。ところがドッコイ、そうは行かなかった。何故か工場のような建屋の近くで観光バスから下ろされ、まさかこの中に入るのではという懸念が的中し、建屋に入らされ、シメジ栽培の説明を受ける。何とこの工場で栽培が行われているのだと告げられる。話が違うとも言えず、秋も深いのに冷蔵庫のような寒い部屋に連れて行かされ、そこに無数に並んでいる牛乳瓶にも似た広口瓶から生えているシメジの一株を選ばされ、「採集」をさせられる。採ったというよりは選ばされたシメジ一株を与えられたビニール袋にありがたくしまい込み、別の間でシメジご飯の昼食を摂らされる。で、それでオシマイだった。採ったシメジは、スーパーでバックされて売られているものと何ら変わらなかった。選んだのは自分の責任だとは言うものの、あまりの仕打ちだった。

 「匂いマツタケ、味シメジ」などと言う。冗談に「匂いマツタケ、味しめた」などと混ぜっ返したものだ。だが、片方の女王とされるワリには、王者マツタケに対してシメジは分が悪い。カナダ産であろうと中国産であろうと、マツタケはスーパーの売り場で一本とか二本単位で売られ、燦然と輝いている。それに対してシメジは百本から群生した一塊を単位に割安の価格で売られている。食べてみても食感がキノコらしいものであっても、味の女王と呼ばれるには相応しくない気がする。
 それもそのはずで、大量に栽培、収穫され、流通機構にシメジとして載るキノコは、実はシメジではないのだ。本当のシメジは山林の乾燥した場所に適地一面に繁茂する。地面、土地を占めることからシメジ、つまり占め地と呼ばれる。人口で栽培することは困難であるとされ、昨今飛騨高山の農林試験場で僅かに人口栽培が成功したに過ぎないという。では我々がシメジと思わされているものは何なのだ? ヒラタケというキノコである。名前もよく知れないような外国産の魚を、銀ダラ、銀ムツというが如しの「流通業界の陰謀」のひとつだが、本家を名乗らない分、魚の方が良心的かもしれない。
 本当のシメジは正に味もしっかりしており、出汁を何も用いず塩だけで調理する澄まし汁(潮汁)が絶品であるという。看板に偽りはなかったのだ。ところが、汚名を着せられたヒラタケがシメジに劣るキノコかといえば、それは事実と異なる。シメジもそうだが、ヒラタケは本来スーパーで売られているように、ひしめき合ってせせこましく群生するものではなく、群生はしても一本一本独立したキノコらしいキノコである。大きいものでは直径15a以上にもなるらしい。山林で採れたものは味わい、歯ざわりとも栽培ものとは別の種類であるかのよう美味だという。傘の部分が上から見て凹みがない平たい形状になることから、この名がある。シメジとの大きな違いは、ヒラタケが菌糸の培養によって広口瓶のようなもので容易に栽培可能であるのに対して、シメジはそれが不可能でるという点に過ぎない。シメジにそれが可能なら、私達は本当のシメジを今のヒラタケのようにあまり美味しくはないものとして認識していたに違いない。また、広口瓶で飼われたヒラタケが、猪が飼い慣らされて豚にメタモルフォーゼしたように、美味ではない別の種類のキノコに変わってしまったワケでもない。栽培されたヒラタケの胞子や菌糸を野生に還せば、やはりおいしい天然のヒラタケが育つことになる。
 つまりはキノコは本来、山で採ってくるものであり、流通に載せるのは別物と考えなくてはならないのだろう。シイタケなどは例外と考えなくてはならない。キノコは菌類が発展したものであり、文明化された人間が食べるには違和感を伴うものなのかもしれない。事実、茸と名が付いても、イワタケなどは地衣類、つまりコケである。黴やコケを進んで食べる文明人は少ないかもしれないが、麹による発酵食品やブルー・チーズなら進んで食べてしまう。燕の唾液、蚊の目、熊の掌、種々の昆虫類などを高級食材として珍重する中国人は貪欲で、だからこそ木耳のような怪しげなキノコまで平気で平らげる。おかげで日本にもキノコの豊かな恵みを楽しむ風習が定着している。
 世の中にはシイタケが嫌いな御仁がいるらしい。イッパシのグルメであるような顔をして、「シイタケが少しでも入って料理には手を着けず、捨てられるものなら捨ててしまう」などと得々と電車の中でしゃべっている人間を見たことがある。罰当たりなヤツだ。キノコが菌糸で出来ているという認識を深層心理から拭えないのであろう。それはかえって想像力の欠如であるし、観念などというものに支配されているがゆえに食べ物を味わう脳の機能を充分に働かせることが出来ない愚か者だ。干しシイタケを丁寧に長時間かけて戻した後の水を、汁物に使うと独特の旨みが得られる。干すことで生シイタケにはない旨み成分やヴィタミンDが新たに醸されるためだ。愚か者どもにそういった恩恵は永遠に与えられない。
 ある友人に大分産のどんこを遣い物として贈ったことがあった。友人には幼い子供が二人おり、「わぁ、凄い毒キノコ」と大喜びだったという。キノコといえば、ディズニーのアニメの白雪姫か何かに出てくる毒キノコしか知らなかったのだ。その後も、「毒キノコ、おいしそう」「毒キノコ、楽しみ」「毒キノコ、おいしいね」と終始一貫、大分が世界に誇る特産物は毒キノコ扱いだったという。「フグは食いたし、命は惜しし」のように、キノコ本来の野趣を山林で採ってきたものから味わいたいのはヤマヤマであるが、旨いキノコには必ずと言っていいほどよく似た毒キノコがあり、二の足を踏ませる効果を呈している。まるで、キノコ類全体が種類を越えて同盟を張っているかのような防衛効果である。ヒラタケのようなありふれたキノコに対しても、何か似ている毒キノコなのではないかという懸念を覚えてしまう。キノコ狩りは森で宝探しをするような見るからに楽しいイヴェントであるが、同時に大きなリスクも付き纏う。

 本来美味しいヒラタケも牛乳瓶で育てることが可能な性格を利用するから、実力を広く世に問うことが出来ない。だが、大量に生産できなければ流通に載ることが出来なくなる。忌々しいトレードオフ関係だ。シイタケのようにほだ木による生産も可能であるようだが、コストが高くつき、価格と市場需要が釣り合わないのかもしれない。

 個人で行く旅行は楽しいが、社員旅行は会社の人間関係を引きずらざるを得ないし、団体の利益に譲歩しなければならないので楽しみが数段減じられてしまう。不特定多数の最大公約数を抑えた学校給食が、杜氏の頃からは改善されたにせよ、素晴らしく美味しいものにはなり得ないのと同じ理屈だ。小学生、中学生、高校生ではないのだから、遠足や修学旅行を一様に楽しむ気持ちなど大人には薄い。シメジと供給側が勝手に称するヒラタケをいつでもどこでも安価にゲットするには、多少の犠牲はつきものなのかもしれない。キノコ狩りのリスクに身を委ねるのも一計ではあるものの。
 軽井沢での社員旅行は、宴会の最後の方で、常務の十八番である「コモエスタ赤坂」を全員が聞かされるハメに陥り、杜氏は二次会で悪酔いしそうだった。今でも「コモエスタ・セニョリータ」「デル・コ〜ラゾ〜ン」といった常務の声が悪夢に出てきそうだ。二次会で散々飲んで、朝の七時に起こされ、出掛けに前日のシメジの土産のことを思い出した。枕元にあったシメジのビニール袋は採ったシメジが生命活動を維持していることを主張するかのように内側から汗をかいていた。帰宅してから食したシメジの味は・・・・・・。印象に残っていない。



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