イノコズチ

煩わしくない程度に煩わしい


 さして目立たないのに、ポイントを抑えている人間というのはどこにでもいる。かといって影が薄く、どこにいるのかわからない程ではない。だが決して不要な摩擦、軋轢には巻き込まれない。効率的な生き方である。"Harder they come, harder they fall"というレゲエを基調としたカルト・ムーヴィがあった。俗語なのだろうか? ジャマイカだから英語がいい加減なのだろうか? Theが抜けているような気がする。The+比較級の繰り返し、つまり「連中が高圧的に出るほど、激しく失墜する」という意味らしい。目立つものには風当たりも強い。華やかな生き方を好む者は、その分、背負うものも重くなる。ところがソツのない生き方をする者は、エネルギー効率がいいためか、激しい浮き沈みとは無縁に、すいすいと長く生きて行く。「世渡り上手の罰当たり」というモノイイが日本にはあるのだが、あまりそういった陥穽に、彼らが陥るのを見たことがない。
 特別目立つことなどないのに、どこにでも生えている植物は多い。以前扱ったイタドリがそうだし、クズ、クサギなどもいたるところに生えている。春先の期間限定で目立つが、それ以外のシーズンはひっそりしているキブシなどもそうかもしれない。イノコズチもそのひとつなのかもしれない。センダングサ、オナモミなどと並んで、代表的な「引っ付き虫」、つまりは動物の身体に種子(果実)を付着させて生活域を拡大する植物なのだが、それほどの鬱陶しさは感じない。しかも「引っ付き虫」として機能するのは、秋だけのことだ。花も着け、虫媒花でもあるのだが、華やかとは決して言い難い。だが、どこにでも普通に見ることができる。花は人間にはさしてありがたくはないが、花蜜を充たしており、昆虫にとっては栄養源となる。少しも目立たないが機能は果たしているワケだ。考えてみれば、虫を惹きつけるために華やかな花を着ける植物は、花のために多大なエネルギーを消耗している。この点でもイノコズチはちゃっかり屋の面目躍如たるところがある。その代わり、他の株の花に花粉を媒介する可能性がないアリに蜜を奪われることもあるようだが、ちゃっかり屋にも「上には上がある」というところだろう。
 庭の雑草をむしっていると、必ずこのイノコズチにもお目にかかる。我が物顔で我が庭を徘徊する猫達が種を散らしてゆくのだろうか? 杜氏にとっては代表的な雑草だ。
 植物の先端の長い花序に、規則的に数ミリほどの円錐形の果実をいくつも着ける。果実が下向きになっているのは、動物の身体に付着し易くするためなのだろうか。イネの籾に形状が似ていないこともない。
 実はこのイノコズチには、ヒカゲイノコズチとヒナタイノコズチという別の二種類があり、多くの人はそれを一緒くたに呼んでいるのだという。別種とはいえ、極めて近似種であるから、ほとんど同じようなものだ。だが、よく見ると明確に違う点が多々ある。それも一方に比べて他方がどう、といった形質でしかなく、ここでクドクド説明しても埒が明かないようなシロモノだ。また、名前の通り、日照量によって明確にニッチが異なるワケでもないらしく、実に紛らわしい。普通、イノコズチと単純に呼ぶ場合、ヒカゲイノコズチを指すらしい。いずれも同じ「引っ付き虫」であるが、ヒナタの方が花も種子も花序に密集している。
 豕槌と綴る。豕は猪の子、つまりはウリボウか。中国では牛膝。馬の膝に準えた別名もあるらしい。つまりは太く膨らんだ節(ツト)が逞しい四足の動物の膝に擬せられている。単に牛膝と言うと、イノコズチの根を乾燥させた漢方薬のことを指すらしい。ただ命名には異説があり、猪の轡、イノクツワと呼ばれていたものが、当てられていた万葉仮名の和を知と混同され、イノクツチとなり、それが音便のように訛ってイノコズチとなったとも言われているらしい。誤謬がやがて標準的な日本語になってしまうのは、現代でも有り勝ちなことかもしれないし、妙に説得力を持つ。杜氏の教え子に阿知和という苗字の子がいるが、阿は亜にも通じるから、「知と和は似ているぞ」という意味の名なのだろうか? 多分、そうではあるまい。阿知和姉、弟、ご両親、失礼差し上げた。
 ただでさえ太い節であるが、そこに目をつけてか、タマバエが産卵してその物理的刺激から更に膨らんで虫えい、つまり虫こぶとなっていることがある。昔はイノコズチツトフシと呼んでいた記憶があるが、今はイノコズチクキマルズイフシと言うらしい。クキマルズイは茎丸髄だろうか。ツトという言い方が死語化したせいなのかもしれない。それにしても回りくどい名になったものだ。虫えいに巣食っているのは、イノコズチウロコタマバエという昆虫であるらしい。イノコズチがありふれた種であるせいか、最も多く目にすることが出来る虫えいかもしれない。その名が示す通り、イノコズチ専門の寄宿種であるが、その戦略は成功したと言えるだろう。ただ、このタマバエの微小で、イエバエ、キンバエのように病原菌を媒介したり、ショウジョウバエのように染色体実験に貢献したりはしないから、極めて目立たない。イノコズチを害そうが、人間の生活にはさして影響がないので問題にされていないフシがある。それもかえって繁栄につながっているのかもしれない。
 イヌビユなどと同じヒユ科である。だがこのヒユという植物がはっきりしない。ケイトウ、センニチコウ、ハゲイトウなどの園芸種もヒユ科だが、イマイチ、アピール度が低い気がする。これもよく庭に生え、食用にもなるスベリヒユはスベリヒユ科であり、ヒユ科ではない。単にヒユという植物は、簡単な図鑑にも見当たらないが、中華料理では炒め物に普通に用いるらしい。イヌがつく植物は概して食べられないものが多いが、イヌビユは食用になるらしい。だが旨いか不味いかはわからない。

 同じ「引っ付き虫」でもセンダングサ(実が開いていない未熟なもの)やオナモミは子供の遊び道具となる。だが、イノコズチはただ衣服に付着するだけで、面白くも何ともない。鬱陶しいので捨てられるだけである。一方で、イノコズチが犬、猫、人間といった人間の居住区域に棲息する主な哺乳類が活動するあらゆる場所に定着しているのも事実である。もしかすると、人里離れた山奥でも、狐、狸、リス、鹿、洒落にもならない猪などの身体を利用して繁栄を極めているのかもしれない。イノコズチは味がないようでいて、なかなかどうして味わい深い植物なのではないだろうか。
 「面白くも何ともない」ということは、案外生きて行く上では重要な武器なのかもしれない。人間だって面白くあるため、活動的であるために疲弊し切ったりもする。「面白くも何ともない」と他者から見られるのを恐れることなく、素のままで力まずに生きるというのも得策なのかもしれない。現代の競争社会を勝ち抜く究極の手立ては競争しないことというのも、逆説的ではあるが、一面の真理なのかもしれない。いわゆる無手勝流である。
 それが簡単に出来るくらいなら、苦労はしないのだが。



Winery 〜Field noteへ戻る