

蓼食う虫も好き好きを英訳すると”There is no accounting for tastes”となるという。” accounting for tastes”だけでも通用するという。「人の好みに口を差し挟むこと勿れ」である。言わんとするところはわかるがどうも日本語の蓼や虫を引き合いにした表現の豊かさに比べると身も蓋もない。蓼葉が酸っぱくて食用には適さないのに、それを好む昆虫は多い。それを人間の側から「こと勿れ」などと制限することなど到底不可能だ。
蓼の葉が酸っぱくて不味いと言っておきながら、人間は蓼を結構食用に利用している。蕎麦はタデ科の植物である。貧しい土地、耕作に相応しくない狭い土地でも容易に育つことから、旧来、山地の穀物としてありがたい存在だった。またギシギシ、スイバのようなものは山野草として食されることがあるし、薬品にもなる。スイバは蓼の特徴通り、「酸っぱい葉」を意味する。蓼の酸味はシュウ酸の仕業であり、大量に取れば下痢などを引き起こすが、さほどの害はない。
イタドリもタデ科植物だ。若い芽は生食も出来るし、おひたしにしてもいける。ぬるみがあり、いかにも健康に効果がありそうな感じがする。生で食べるとキウイに似た味がするという人もいるが、杜氏の育った地方では、生で食す習慣はなかった。これもスイバ同様、酸っぱいことを意味する「スカンポ」と呼ばれたりもする。緩下剤、利尿剤、通経剤としての効果があり、慢性便秘、月経不順、閉経など用いられ、鎮咳、鎮静、止血にも古くから民間療法として使われていたらしい。
イタドリは大変丈夫で、逞しい植物だ。都心でもちょっとした空き地にはすぐ生える。建物を壊した後の荒地などに真っ先に芽を出すことも多い。丈の高い草なので、あっという間に地面を覆ってしまう。その機動力の源は横に広く展開する地下茎である。この辺りは耕作に適さない土地でも充分に作物として機能する蕎麦に共通するものがある。ただ、最も目に付くのが日当たりのいい斜面にびっしりと生えているイタドリの群生である。この地下茎、横ばかりではなく、縦にも突進力を持っているようだ。ラグビーで言えば、横へのバックス展開で華麗に攻める早稲田と、縦突進の重量フォワードの迫力が武器の明治の両方のいいとこ取りをしたようなものだ。
いやそればかりではない。イタドリの花は白っぽいあまりパッとしないものだが、多数の花序の集合体で、それが各々羽根の付いた種子となる。種子は風に乗って移動する。イタドリが結果する季節、風は南風であるから、自ずと南向きの日当たりのいい斜面に舞い降りることが多い。縦横ばかりか空中戦まで展開する三次元的な戦略を用いているのだ。三次元的に種子をばら撒き、着床してからは、二次元的に地下茎を広げる方法は、絨毯爆撃を思わせるあざとさを感じさせる。この植物がどこにでも見られるのも頷ける気がする。
同じように種子に風に乗る綿毛をつけたタンポポ、ツワブキも、植えもしないのにいつの間にか庭で蔓延っているが、これも空中作戦の成功例だろう。
不思議なことに、このイタドリが生える場所にはクズも蔓延する傾向にある。タデ科の繁殖度ナンバー・ワンがイタドリなら、マメ科のチャンピオンはクズと言える。このチャンピオン同士が適地を巡って鎬を削るリングが南向きの傾斜地となると思いきや、あにはからんやそうではないようだ。クズはイタドリの丈の高い茎を伝って蔓を伸ばすし、イタドリはクズの自在に伸びる蔓についた大きな葉で、下地に日光を遮り、他の草の侵出を阻止し、そればかりか林縁、つまりは日照条件のいい土地を好む低木を阻止しているように見える。つまりは競合というよりは共生しているかのような印象が強い。
注目すべきは、このイタドリとクズの混成から成る土地が、それ自体独立しているかのような豊かな生態系を営むことだ。
イタドリを摘んでおひたしにでもしようとすると、必ずと言っていいほど、イモムシがおまけでついていることに気づかされる。蓼食う虫は前述の通り、実は数多いのだ。人間が食用にするぐらいだから、昆虫にとっても良好な栄養源になりうるのだろう。イモムシではヨトウムシが多いように思えるが、シャクガの幼虫、つまりシャクトリムシもいる。イタドリハムシは文字通り幼虫も成虫もイタドリを好むし、ウマオイ、クツワムシ、クサキリ、ツユムシなどのキリギリス類、イナゴ、バッタ類、ナナフシ、ヨコバイ、果ては大きくて細工しやすい葉を求めてか、オトシブミやミノムシといった葉を加工して中で育つ類も多い。クズも多くの昆虫のホストとなるから、日当たりのいい斜面はちょっとした雑居コロニーとなる。これらの草食昆虫を狙って、ムシヒキアブが訪れ、カマキリが葉陰でじっと獲物を待っていたりする。昆虫ではないが、クモの類も多数葉を丸めて巣を作っていたりもする。
初夏から晩秋にかけて、これらの群生地には夜になると鳴く虫の大合唱が聞こえることが多い。自然が都会では見つけにくいと嘆く前に、足元のイタドリ、クズの群生に着目してみてはいかがだろうか。
イタドリはこれらの生態系を懐に育みながら、葉を種々の幼虫に提供することに無頓着であるように感じられる。イボタガの項で述べたが、ある種の植物は葉にアルカロイドを含有しており、それを消化し得る機能を持った幼虫以外を寄せ付けない。ところがイタドリときたら、葉を多数の昆虫に提供することに自身へのメリットがあるかのように、大判振る舞いを続ける。イタドリとクズの群生地は都市部、郊外、田園地帯にかかわらずとても広く栄えているので、これらに依存する昆虫達も居場所を失うことがない。ニッチというと、限定されたとても狭い生育地域である印象も強いが、ことイタドリ、クズについては、ニッチと呼ぶに相応しくないような感覚を覚える。
このように自然にとって欠くことの出来ない存在であるように思えるイタドリだが、繁栄しているワリには、人間から雑草として忌み嫌われていないし、人間の意識にさして大きな存在感を与えていない印象がある。そういえば、庭にイタドリが蔓延って難儀したという記憶があまりない。もしかすると、あれほど頑丈なイタドリでも庭のような条件にはそぐわないのだろうか。クズが庭に蔓延ったという話もとんと聞いたことがない。平らな土地が縦横無尽な展開には適さないということも考えられる。幼い頃、イタドリの芽を摘んでそのまま食べたという人達が数多いのにもかかわらず、大人になるとそのことを忘れてしまうのだろうか。
人間は自分たちが酸っぱいと感じるシュウ酸が、昆虫にとっても不味いという自分本位の判断しか出来ないようだが、昆虫にとっては必ずしもそれが阻害要因とはなっていないようだ。「蓼喰う虫も好き好き」よりも、その一段階前の層に「蓼が酸いのも蓼の好き好き」という認識があるべきだはないだろうか。