カナムグラ
自然が張り巡らせた有刺鉄線
杜氏が子供の頃、立ち入ってはならない区域が今より遥かに人が暮らす地域に隣接していたように思える。戦争が未だ歴史の彼方に葬られていなかったせいだろうか。地盤が保証できない防空壕の残骸、危険な爆弾が残っている可能性のある草ぼうぼうの原っぱ、米軍上陸に備えて生物兵器として山にばら撒いたマムシが出没する藪、etc. 人々の心に敗戦から目を背けたくなる気持ちが強く、あえてそういった戦争の爪痕を色濃く残す地域を、日常生活から切り離しているようにも感じられた。そこには必ずといっていいほど、鉄条網、有刺鉄線が張り巡らされていたものだった。だが、その多くは鋭いメタリックな光を失い、錆で赤茶けてかえって毒々しい印象を放っていた。戦争を知らない子供達は、大人達がタブー・エリアを覆い隠すほど、有刺鉄線を乗り越えてその中に入りたがる傾向を示すものだ。だが、不発弾に触れて命を落としたり、ムカデ退治にローソクをつけた板を携えて入った防空壕で落盤事故が起きたり、危ないとされた原っぱでマムシに噛まれたといった話は聞かなかった。
先日、帰宅の途中、家の近所の急な階段の脇のスロープを、見慣れぬ長細い物体が滑り落ちてきた。ヘビだった。アオダイショウにしては小型。頭が三角。子供の頃、口を酸っぱくして危険を告げられたマムシの姿だった。こちらから攻撃を仕掛けなければ穏便に逃げてくれる。杜氏はヤツを刺激しないように慎重に脇の石段を登ってやり過ごした。杜氏の後方で一目でロクでもないとわかる少年の一段が歩いていた。昔なら不良少年団だろうが、その自覚も覚悟もない文字通りのロクデナシどもだ。連中は後方で騒がしく歩いていたのだが、暫くして一際高い喚声が聞こえた。きっと、ヤツらもマムシに遭遇したのだろう。「ヤマカガシっぽくねェ」 少年達が頻発する日本語として不可解なイントネーションの声が聞こえた。マムシとヤマカガシの区別もつかないらしい。それにヤマカガシもバカにはできない毒蛇である。杜氏達の年代の少年達は危険地帯を危険地帯と認識した上で、だからこそ禁忌を侵す愉悦を味わう気持ちでそこに侵入した。当然、警戒心はなくしていなかった。人々の心から禁忌が薄れ、鉄条網が取り払われた今、ああいったテアイがいつか事故に見舞われるのだろうと感じた。
鉄条網は、やはり戦争を背景に扱った映画「大脱走」でも重要な役割を果たす。スティーヴ・マックイーン演じる脱走兵のリーダ格が、オートバイで国境を越える寸前でドイツ軍の追っ手に迫られ、バイクで有刺鉄線の垣根を越えようとしてそれに絡め取られる。有刺鉄線に対する禁忌のイメージが強かったせいか、実際には再び俘虜になる主人公を、杜氏はそこで死んだものと記憶していた。それほど有刺鉄線のイメージは強かった。
カナムグラは鉄葎と書く。葎は蔓性の植物であることを指すが、ツル、カズラと比べてより強靭な印象がある。そこへ持ってきて「鉄」なのであるから、カナムグラは厄介な蔓性植物の中でも特に強烈なものとされている。サルトリイバラにも棘はあるが、節々に散在するに過ぎない。ところがこのカナムグラときたら、蔓を成す茎のどこを取っても満遍なく棘が施されている。それどころか葉柄や葉まで棘に覆われている。棘は下向きについており、他の植物に絡みついて離れないばかりか、動物がそこを掻き分けようとするだけで、鋭く皮膚を切り裂く構造になっている。鎌などで刈ろうとしても手足が傷だらけになる。絡みつく植物にとって深刻な脅威であるヤブカラシとはまた違った意味で性質のよくない植物とされている。クワ科だそうである。だが、葉が五裂〜七裂して手のひら状になっている以外に、クワを想起させるところはない。雌雄異株で風媒花、これまた哺乳動物には厄介なことに花粉アレルギーを引き起こすことがある。
意外なことがある。ビールの苦味付けに欠かせないホップはカナムグラの近縁種であるという。そういえば、実物は知らないが。ビールのコマーシャルなどに登場するホップの実は、幾重もの鱗片状にレンズの形をした実が重なっており、カナムグラのそれと似ているように思える。だが、カナムグラはそのように人間に易々と利用されるようなヤワな植物ではない。
詩歌の世界では八重葎(ヤエムグラ)などと呼ばれる。一見、風雅な響きだが、要は八重に厚く他の植物に絡みついて、廃屋や河原の荒地に荒廃の趣きをもたらすという意味合いが強い。余談だが、額田王の有名な「あかねさす・・」のアカネも蔓性で棘を持つ植物だ。もっとも額田王の歌の「あかね」は枕詞だった記憶がある。最近は山間部のダム工事や都市部の水害対策のための護岸工事によって、カナムグラの繁栄に影を指す洪水が減り、カナムグラにとっては生育に好適な条件に益々恵まれるようになったという。
映画「ブルーベルベット」の冒頭近くで、庭の水撒きをしていた主人公の父親が草深い藪から飛び出してきた毒虫に噛まれて倒れるシーンがある。その前後に主人公はやはり叢の中で、アリにたかられた人の耳が引きちぎられて転がっているのを拾ってしまう。災厄は草に覆い隠された底知れぬ闇に潜んでおり、主人公はそれを呼び覚ましてしまう。同じように日本の藪、叢にも人間にとって得体の知れぬ危険なものが潜んでいる。マムシであり、ヤマカガシであり、スズメバチ、ベニテングダケでもある。ツチノコ、ヒバゴンといった一見バカげて見える伝説が現代にも取り沙汰されるのは、人間の心に残る自然への畏敬が想像の世界で形を作ったものであろう。敗戦は身近な禁忌を人間に課した。それは鉄条網、有刺鉄線という人工の造形物で日常から切り離された。
カナムグラはそれこそ、自然が張り巡らせた有刺鉄線ではあるまいか。人が建てた構造物がその役割を終えれば、その跡地は駐車場になるのではなく、放置されて荒廃する。その荒廃に本能的な畏怖を覚える人間は、廃屋を「お化け屋敷」などと呼ぶ。精神的な有刺鉄線だ。やがて人間の手では始末に負えないカナムグラが荒地を七重、八重に覆うようになると、もうその領域には得体の知れぬ闇を秘めた自然の領地となる。カナムグラは人間などの動物達にその危険を告げ、実際に侵入を阻む鉄条網であり番人なのではないだろうか。だから、棘だけではなく、花粉を以て「この先危険」のサインを発しているように、杜氏には感じられる。
とても強靭で、広い地域に蔓延する印象が強いカナムグラからは、旺盛な生命力を連想させられるが、意外なことにカナムグラは一年草でしかない。冬には跡形もなく枯れてしまう。つまり、有刺鉄線は未来永劫機能するワケではない。一年ごとにそこが自然の禁則地帯に相応しいかどうかの検証が行われるということだろう。合理的なシステムである。それを灌漑治水工事によって、みすみす有刺鉄線を強化するような働きかけをしてしまう人間とは、賢そうでいて何と近視眼的な利害に捉われた愚かな生物であることか!
赤茶けた有刺鉄線は、いつかは忘れ去られ錆が落ちて消えてゆくのかもしれない。だが、カナムグラのように猛威を揮いながら、一年で消え去るということはない。いつまでも人の目に荒廃の印象を与えながら錆び続ける。人工の造形物というもの、すべからくバベルの塔の無常を感じさせる。
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