ゲッケイジュ
生命の謳歌
ボストン・マラソンの勝者を雑誌のモノクロ写真で見て魂消たことがある。この人、髪の毛がどうなってしまったのだろう、などと。当時は今のようにリーゼントからヘヴィメタ、モヒカン・カットといったありとあらゆる髪型が許されていたワケではなかった。「戦争を知らない子供達」の一節に「髪の毛が長いと、許されないなら・・」とあるが、単なる長髪であるだけで目くじらを立てられる時代だった。杜氏が見たのは、画質の粗い写真で、よく見ると「どうにかなってしまった頭」は、勝者に与えられる月桂樹の環を被っているに過ぎなかった。体育教師ランナーでオリンピック代表にもなった采谷義秋さんだったと思う。真面目なことで有名な人だったので、奇抜な髪型などにするハズもない。
清酒の銘柄で月桂冠というのがあり、(今でもあるが)多用な地酒が自由に嗜好される以前は、とても一般的で無難な銘柄であった。その命名の由来が、この月桂樹の冠で、古代オリンピックの勝者に与えられていたと伝えられる。その一事からも明らかなように、ゲッケンジュはギリシア等の南欧が原産地のクスノキ科の植物だ。そう考えると、名水と上質の米が条件である銘酒にはそぐわない名前である。
マラソンの勝者に月桂冠を贈る習慣は一般化し、名古屋女子マラソンでもそうしていたことがあったと記憶している。ただ、ゲッケイジュの葉だけではなく、花をアレンジしていたためにかえって安っぽく感じられた記憶がある。ある年の名古屋女子マラソンで、当時小出義昭氏が率いていたリクルートの中堅クラスのランナーが優勝したことがある。月桂冠を被ったままインタビューを受けた彼女は、「おいしいカレーを作ります」とボケてみせたが、そのギャグはものの見事に滑っていた。ゲッケイジュの葉はローレル、ローリエ、ベイと呼ばれ、カレー、シチューなどに欠かせない香辛料となる。とても風味が強い葉であるので、一般的に作られる五、六人分だと多くて二、三枚で充分用が足りる。月桂冠を使い切るには、数十回分の料理が出来るに違いない。ギャグが滑ったのは、カレーにゲッケイジュの葉を入れるノウハウが、大衆に浸透していなかったからであろう。因みに調理後の葉は食べても別段旨くはないので、普通は取り除かれる。
クスノキ科ということで、シナモンやニッキと同系統の香りや風味がする。漢方薬にも桂皮があるから、様々な薬効があるに違いない。クスノキから産する樟脳は虫除けに利用される。消毒、殺菌効果があるのは想像に難くない。これは動くことが出来ずに一見無防備な植物が、葉や幹を害する敵に対する防御策なのであろう。それが薬効を生み出すのだから不思議な自然の仕組みである。
ゲッケイジュは庭木としても好まれる。南欧の原産なので寒さに弱いように感じるが、適度の耐寒性を持つ。杜氏の暮らす南関東沿岸地方では、ゲッケイジュの栽培に特段防寒対策は講じる必要がない。雪国や霜が頻繁に降りる地方なら、防寒に気を配る必要があるだろうが。放置しておいてもゲッケイジュは育つ。そして、葉を十何枚か拝借して適度に枯らせた後に乾燥物保管ボトルか何かにとっておけば、一年分のカレーには事足りる。果実酒と同様、ホワイトリカーに漬け込めば、月桂樹酒が出来るらしい。清酒月桂冠とは無論無関係だ。
杜氏が実家を改築した際に、前の庭に植わっていた植木を処分しなければならなかった。ゲッケイジュもそのひとつで、改築前には二階を越える高さの大木となっていたので、どこか別の場所に移植することも不可能だった。伐ってしまうことになったのだが、その根元から生えていたひこばえ(ヤゴともいう)を抜いて植木鉢に移すことにした。ほんの10センチ足らず、葉が五枚ほどしかないひこばえだった。普通、ひこばえは樹が養分を充分に摂る妨げになるが、こういう場合は役に立つ。うまく育つのか案じられたが、特に支障なく改築期間を無事乗り切り、新しい庭に植えることが出来た。二本あったひこばえはいずれも二度の移植を乗り越え、今では高さ三メートルほどにまで成長している。これがひこばえだったなどと考える人はあまりおるまい。
雌雄異株であるが、杜氏は黄色い小さな雌花が咲いていたり実を着けたりするのを見たことがない。庭のゲッケイジュの雄株であるようだ。どうやら日本には雌株がほとんどないのだという。雌株は地中海性気候にしかそぐわないのであろうか。
ノアの箱舟の寓話で、洪水からいい加減月日が過ぎて、ノア一家をはじめとするクルーが航海にも嫌気が差してきた頃、箱舟から飛び立った鳩が瑞々しい木の枝を加えて戻ってくる。そして、ノアらは陸地の再生を知り、メデタシメデタシとなる寸法である。だが待てよ、と思う。ノアはあらゆる生物から一番いだけを選び、箱舟に載せたのではなかっただろうか? 生物という定義だと当然植物も入ることになる。矛盾する。つまりはノアは植物のことなど念頭にはなく、みすみす見殺しにしたことになる。何か変だ。確かそのとき鳩が加えてきたのが、ゲッケイジュの枝だったのではなかっただろうか。この辺りは、生命力旺盛で再生し易いゲッケイジュの特徴を活写しているのだが・・・。
ギリシア神話では、自由奔放な美しい娘ダフネに惹かれた太陽神アポロンがダフネを追いかけ、腕に抱き締め、あわや落花狼藉の寸前にダフネの父であるラドン川(どういう父親だ?)が彼女を一本の木へと変えたのだという。ダフネのメタモルフォーゼしたのがゲッケイジュなのだそうだ。アポロンはダフネの変化したゲッケイジュを自分の樹として、自分が司る芸術で勝利を得たものにその枝で編んだ冠を与えることで、ダフネの名を永遠に留めることを約束したという。そのことからも、ギリシア人はゲッケイジュに何ものにも犯されない純潔と清廉を準えていたことがわかる。消毒、殺菌効果に対応するものであろうか。ギリシア人にとって神聖な樹であったことは確かである。
庭のゲッケイジュが伐り倒され、情けないひこばえが植木鉢で生命を細々と営んでいる間、杜氏は人の家の庭先からちょくちょくゲッケイジュの葉を何枚か拝借して料理に使っていた。それほど日本の庭のそこかしこに、この樹は定着している。ギリシア神話が示す通り、ゲッケイジュが神聖で侵すべからざる存在なら、今頃杜氏には罰が当たっていることになる。思い当たるフシは・・・・、ないこともない。
だが大らかな自然の営みを感じさせるこの樹には、自然の寛大さも覚える。旺盛な生命力を謳歌しながら、人間に豊かな実利をもたらしてくれるゲッケイジュに、杜氏は深く感謝している。であるから、カレーを食するときも、ちょっぴり敬虔な気持ちになったりする杜氏なのであった。
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