マテバシイ

 ジブリアニメの大ヒット作、「もののけ姫」は森に象徴される自然と、文明を展開しようと図る人間との対立の図式がテーマだった。宮崎駿氏が動画制作スタッフに特に強く要求したのは緑の描写だったという。担当者が描くとどうしても、一面の緑とはならず、所々剥げて土が露出したさまを表現してしまうらしかった。それに対する宮崎氏のコメントは「やはり北の人なンだね」だった。
 「もののけ姫」で宮崎氏が描きたかったのは、照葉樹林だった。針葉樹ではなく広葉樹の常緑樹から成る森である。針葉樹は蒼く沈むような落ち着いた色調であるのに対して、広葉樹の森は陽の光を受けて輝くようなトーンを帯びる。葉の表面が滑らかで光沢があり、広い面積を以て陽射しを反射させるせいであろうか。正に照葉樹林の名の通りだ。

 宮崎氏が意識したのはストーリーからみて、九州の照葉樹林だったようだが、首都圏南部にも広葉樹でかつ常緑樹の林が多く見られる。南に突き出た三浦半島に限ったことかもしれないが。
 その照葉樹林を形成しているのがマテバシイやシロダモである。
 シロダモは野球のバットの素材となることで有名なアオダモと同じタモの名を持つが、シロダモがクスノキ科、アオダモがモクセイ科と、別種の植物である。ニッケイ(肉桂)と似ており、葉や幹に独特の香りがある。地元の子供達はニッキと呼んで茎を噛んで遊んだりする。アオダモは松井秀喜のメジャー・リーグ入りの際に、ホワイト・アッシュ、ハード・メイプルと並んで、使用バットの候補とされた。ホワイト・アッシュはその名からすわシロダモとも思われたが、アメリカ・タモとの別名で呼ばれるモクセイ科の植物らしい。紛らわしい。とにかく、杜氏の住む地方の照葉樹林には、このシロダモとヤブニッケイがやたら多い。

 マテバシイは馬刀葉椎で馬刀貝(マテガイ)に似た葉を持つ椎という意味である。円筒形に近いユニークな形状のマテガイと、木の葉らしいマテバシイの葉のどこが似ているのか、よくわからない。椎の一種なので、当然ドングリを実らせることになる。分類上はブナ科に属する。楢、樫、栗、椚、柏、無論山毛欅、皆同じ種類である。
 「これこれ杉の子起きなさい」で知られる軍国主義の刷り込みと批判された童謡でも、「椎の木林のすぐそばに・・」とあるから、椎の木の群生は日本全国でも珍しいものではなかったのだろう。マテバシイは生命力がとても旺盛で逞しい樹に思える。厚くて頑丈な葉がぎっしりと茂っている印象が濃厚だ。それは木洩れ日などと言うものを許さないほど密集して、下に光を通すことすら拒絶するかのようだ。事実、マテバシイの足元には何も生えないらしい。楢や他の椎なら葉が薄く、陽を透かすことが多いだろう。マテバシイの濃厚な緑の葉は日光を殆ど遮ってしまうのだろう。
 雨、風などの外的条件にも非常に強いらしい。杜氏達にとって普通に立っている樹に過ぎないが、街路樹などにも利用されるのは、その生命力の強さからであるらしい。そういえば、杜氏の住む地方は東京湾沿岸だ。東京湾と言っても、ちょうど湾の環が切れる端であるが。海から切り立った山に照葉樹林が茂っている。当然潮風が絶えず打ちつける。普通の植物には繁茂に適さぬ条件かもしれない。

 同じ類のミズナラ、コナラ、クヌギなどは幹にカミキリムシが巣穴のトンネルを穿ち、そこから樹液が漏れて発酵し、様々な昆虫に樹液バーを提供する。だがマテバシイにカブトムシやクワガタが寄ってくるのは見たことがない。カミキリムシにも歯が立たないのかもしれない。同じブナ科でも幹の堅いことで知られる樫などにも、樹液スポットは出来ない。普通ドングリが成ると葉は枯れて、実も葉も褐色になるが、マテバシイの場合は緑のままだ。
 ブナ科の植物の多くは椎茸、ブナシメジ、ナラタケなどの名からもわかるように、キノコ類を宿すことが多い。マテバシイの場合、自然の状態でキノコが着くことはあまりない。伐採した朽ち木となってやっと椎茸などのホダ木にもなるらしい。しかも、実験的に「なる可能性もある」という程度である。
 椚や楢のドングリは途中で昆虫の産卵による物理的刺激によって虫瘤に変化するものも多い。病んだドングリを目にすると、人間でいう腫瘍を連想して痛々しい。だが、マテバシイが虫瘤に冒されている姿を見たことがない。
 ここまで書いているうちに、元気で健康で、そばにいるだけで鬱陶しくなるような健康優良児のことを記しているような気がしてきた。環境に強く、他の動植物の被害など寄せ付けず、海岸近くの山を逞しく守っている。全く非の打ち所がない。

 表面から見る照葉樹林は光を吸収し、また跳ね返し、蒸散と光合成を以て生命の輝きを謳歌しているとしか思えない。しかし、光があれば必ずそこには影が生じる。樹液を求める甲虫達や卵、幼虫の揺籃にドングリを変形させて利用するタマバチ、タマバエ、アリマキなどの微小な昆虫すら寄せ付けず、豊かな日照の恩恵を必ずしも必要としないキノコにまで軒を貸すことなく、マテバシイはその懐に昼尚暗い闇を抱えている。闇が深ければ深いほど、そこに隠れ棲む存在は神秘を帯びる。

 童謡で立派な軍人に育つことを望まれた杉の子は、「丸々坊主のハゲ山」から育つ。人出により伐採され、そこには聖なるものは既に棲んではいない。一方で、ハゲ山のすぐ傍に繁る椎の木林は依然闇に跋扈する底知れぬ自然が息づいている。たとえマテバシイの深い緑の下にあるものが暗渠に過ぎないとしても、ハゲ山に晒された地肌を晒す空間との違いは明瞭だ。マテバシイは確かに何ものかを守っているのだ。
 ハゲ山と椎の木林の相克。それこそが宮崎駿氏の描きたかったものであることは、「もののけ姫」のラストで人間の手に冒され四散した神の身体がハゲ山に散ってゆくことに象徴されている。神の死であるように見えて、それはそこから長い年月をかけて展開する新たな相克の開始を意味する。

 高台にある杜氏の住まいのベランダに出ると、周囲の集落が見下ろせる。その向こうで山を造成した為に出来た法面に覆い被さるように繁茂しているマテバシイの林が聳えている。神の領域が確保されていることに安堵する杜氏も、林を伐採して切り開かれた集落の住人に過ぎない。



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