ニワゼキショウ

チャッカリ者の闖入者

 誰も認知した訳でもないのに、いつの間にかその場に親和して、知らず知らず公式なメンバに入ってしまっているような人を社交の場で時折見かける。明るく華やかな印象の割には行動、言動が敏捷で誰とも衝突を起こさない人柄だったりする。実はウチのスクールのスタッフにもそういう人がいる。いつからスタッフ入りしたのか気づかぬうちに、自分からスタッフを名乗っていた。で、そのことに誰も異を唱えはしなかった。一種の人徳であろう。杜氏には真似のできない芸当だ。

 「やはり野に置け蓮華草」というのはもっともな諺だが、その逆もある。夏の庭、得体の知れぬイネ科の雑草や、放っておくと人の背丈の二倍にもなるようなヒメジオンを、汗だくになって退治しているときに、ふと明らかに雑草ではあるのだけれど、抜くのに躊躇させるような可憐な花をつけた草を見出したりする。ニワゼキショウはそういった草の代表格だ。そういう草を結局抜いてしまうか、残してしまうかで性格判断が出来そうな気がする。杜氏? う〜ん。不徹底な性格をここで露呈したくはない。
 庭石菖。湿地に生える石菖藻に似ていることからの銘々らしい。丈の低い草だが、淡い瑠璃色に近い明るい色の花をつける。ちょっと見ただけでは雑草には見えない。石菖藻はカイウ、ミズバショウ、ウラシマソウ、マムシグサ、ザゼンソウといったサトイモ一族に属するが、ニワゼキショウはアヤメ科らしい。長細い葉や短いがすっと伸びた茎、花の形状など、よく見るとそれも頷ける形をしているかもしれない。単独で繁殖することは少なく、大概は群生している。百合や薔薇といった大ぶりでしかも美しい華やかさは望むべくもないが、そこはアヤメの端くれ。「いずれアヤメかカキツバタ」などと美人を形容する花の一族だけのことはある。
 ちょうど春にさくサクラやモモのような薔薇科の実成りの植物が花を落とす初夏から夏にかけていつの間にか庭に参加しているのが常だ。色合いからしても、ちょうどその季節の強い陽光にとてもよく映える。闖入の仕方もちゃっかりしているが、元々この草は在来種ではない。北アメリカ大陸が原産なのだそうだ。出身からしてちゃっかりした闖入者だったのだ。しかも、屈託のない北米出身とは堂に入っている。
 ニワゼキショウというくらいだから、鬱蒼とした草むらよりも他に雑草が少ない庭などが適地なのであろう。そもそもあの丈の低さでは、一面のすすきの原などでは日光の恩恵を受けることができない。野生の植物でありながら、元々が庭を好む在り方をしているのだ。しかも、人が踏み固めて草が予め排除されているような、日当たりのいい固い地面に。

 ガーデニングのことをガイドしたインターネットのホームページを調べて驚いた。ニワゼキショウはすでに庭草として認知されているらしい。グラウンド・カバーという言葉がある。芝生の芝など大きな意味合いでそれに属するのかもしれない。文字通り、地面を隠すように一面に生える草で庭を絨毯を敷いたように仕立てること。植物にはヤマユリのように、草の先端である成長点には日光が必要だが、根元は陰になっていて保水性の高い地面を必要とするものもある。そういった植物にはこのグラウンド・カバーの中に植えると好都合なものも多い。そのグラウンド・カバーとしてニワゼキショウも利用されているらしい。驚くべきことだ。雑草を活用してしまう人間があざといのか。それとも、人間の庇護下にちゃっかり入ってしまったニワゼキショウがたくましいのか。「だって可愛けりゃいいじゃン」とでもホザく援交女子高生を連想してしまう杜氏はオジサンの部類だろうか。

 またお盆休みが近づいてくる。炎天下の除草を年中行事としてこなさなければならない。あのアメリカ渡来の小柄な美人達と会わなくてはならない。少し憂鬱である。グラウンド・カバーになどする気はない。せめて一〇センチほどの間隔を保って節度を以て居候しているニワゼキショウが、杜氏には好もしい。
 だからウチの庭は雑草が絶えないのであろう。いや、大概の栽培種も元を正せば雑草である。百合のような堂々たる花は別として、多くの種はニワゼキショウのように愛嬌良くちゃっかりと居座ることで人間の庇護という特権を獲得してきたのかもしれない。ニワゼキショウはそういう栽培種の歴史を物語っているのかもしれない。憎めないヤツであることだけは確かである。



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