オトギリソウ
業を負うのは専ら兄?
どうも退院してから、文章に切れがなく、狙ってばかりで当たりがない野球のバッターのようだと思っていたら、似たような指摘を受けたので、どうでもいいことをヒョロンと書いてみることにしよう。
昭和三十年代半ばから十年ほどの間、私鉄の特急が止まるような駅には必ず映画館があった。いや、あったというようなモンじゃない。杜氏が小学校低学年まで暮らした追浜には東映、東宝、松竹と三館あった。東映、東宝はパチンコ屋になっている。松竹のあった場所に今何が建っているのかわからない。場所を忘れてしまったからだ。横須賀中央には都合十館以上はあったのだが、今は一館しか残っていない。しかも、このご時世に誰が観るのかと訝るようなエロ映画館だけだ。このエロ映画館は金星劇場という。金星は"Venus"ではなく、"Golden
star"なのだそうだ。そのネーミングを以てしても、中身が推して知るべしである。それでも1960〜70年代序盤までは、「地上最大の作戦」とか「バルジ大作戦」などを掛けていた戦争映画の名門映画館だった。
杜氏が追浜から引っ越してきた京急の終着駅・浦賀にも駅前に一館あった。今はタクシー乗り場になっている。ヴェテラン・ドライヴァー揃いのタクシー運転手が、頭から乗り入れて一旦バックで切り返さなければ乗り付けないほど狭いのが悲しいが、これは奥を二階建ての駐輪場スペースに当てているせいもある。背後の山を切り崩して確保した映画館のスペースは、それなりだった記憶がある。杜氏が子供だったせいかもしれないが。盆暮れの怪獣映画とか漫画映画は、電車に乗らずとも観ることが出来た。それ以外の時期は、森繁の社長シリーズとか、クレイジー・キャッツの無責任男シリーズなどでつないでいたに違いない。
追浜にいた時分は住まいが社員寮だったので内風呂がなく、専ら銭湯に通っていた。ここで見かけるポスターの九割方以上が映画の広告だった。二谷英明や宍土錠が板に付いた悪役スマイルを浮かべていたり、吉永小百合の表情がやけに幼かったことを鮮明に記憶している。「にっぽん昆虫記」「赤い殺意」「神々の深き欲望」のような子供の目にもややいかがわしげなポスターもあれば、「馬鹿が戦車でやってくる」のような説明不要なものもあった。(今考えると山田洋次だ。ゲェッ!)
特定の映画を観に行けば、そこで必ずと言っていいほど仲間に会えた。例えば子供向け映画が掛かれば、映画館が休日の学校と化した。町の集会所のようなものだった。だから、町に一館あっても充分に経営が成り立っていた。それがいつ成り立たなくなったかはわからない。だが確実にいつからかなくなっていた。1984年に復刻されるゴジラ・シリーズの全シリーズは、子供向けの迎合により緩やかな堕落の道を辿っていったという。だが、末期にはその迎合を以てしてもかつての集客力を取り戻せなかった。だとすると、目安として最初のゴジラがシリーズに幕を下ろした頃には、映画館はみんなのコミュニティとしては機能していなかったことになる。
1971年のことだった。この年は横須賀中央でエルヴィス・プレスリー復活コンサートのドキュメンタリー映画「エルヴィス・オン・ステージ」が上映された。市内各中学の生徒はこぞってこれを観ることになる。その併映がアーネスト・ヘミングウェイ原作、ゲーリー・クーパー、イングリッド・バーグマン主演の「誰がために鐘は鳴る」だった。何らかの事情はあるのだろうが、殆ど意図不明な組み合わせだ。これが一学期のこと。夏休みになると浦賀の映画館でジョン・スタインベック原作、エリア・カザン監督、ジェームズ・ディーン主演の「エデンの東」が掛かった。併映は「十九歳」。インタネット検索しても出てこない。多分今ならR指定に近い(「個人教授」のような)作品だったのかもしれない。「エデンの東」だけで映画館を出てきてしまった記憶がある。なぜ田舎の映画館にこのような文芸復興のようなことが起きたのか、よくわからない。悪あがきの一環だったのだろうか。
すでに日活は青春路線を捨て、ロマンポルノに転じており、ATGの暗い色調の邦画が脚光を集め始め、海外では「ニューシネマ」のムーヴメントが起きていた。だが、ロマンポルノもATGもニューシネマも、自らがカウンター・カルチャーであることを自認しなければ成立しないような性格を帯びていた。
「エデンの東」は二重三重に裏切りに関する映画である。そもそも原題は聖書にある通り、最初の人間、つまりアダムとイヴが知恵の木の実を食べて原罪を犯し、楽園を追われたことを示す。神への裏切りである。映画に採用されたのは原作の後半部で、「カインとアベル」のエピソードを下敷きにしたものだ。嫉妬からの兄弟殺しである。「エデンの東」では兄、弟が殺す側、殺される側で入れ替わっているが。そして、監督であるエリア・カザンはアメリカをレッド・パージの嵐が襲ったとき、かつて「狩られる側」にあったところを、「狩る側」に与し、多くの仲間を告発する挙に出ている。ここにも裏切りがある。
カザンの赤狩りに対する身の処し方には感心しないが、多くの場合、裏切られた側より裏切った側で物語りは展開する。裏切られた側が命運を断たれてしまうのに対して、裏切ることで生き延びた側には苦渋と償い、つまりは生き続ける道を選ぶしかない。カインは罪を犯したが、それは今生きている全ての人間が共有すべき贖いの道へと通じている。人間は皆カインである。有島武郎の「カインの末裔」もそういうことを意図しているのだろう。
異民族として中国全土はおろか中東付近にまで版図を拡げたジンギスカン(チンギス・ハーン)の頃のモンゴルは末子相続制度だったらしい。新しい若い妃ほど、権力者の寵愛が篤く、当然その子も厚遇を受ける。井上靖の「蒼き狼」では、ジンギスカンの長子であるジュチは常に長征を命じられ、「諾」という短く力強く悲しい言葉と共に、父の許から遠ざかる。だがモンゴル以外では、古くから権力者に嫁いだ者はそれなりの権力を確立し、若い寵妃とその息子を排斥するのが常である。漢の高祖・劉邦の妻、呂后の振る舞いなど、その最たるものであろう。
日本の戦国時代では、後の事跡からして偉大な武人、政治家、革命者であった人物ですら、優秀な弟を擁立しようとする勢力を排除する羽目に陥っている。武田信玄、織田信長、伊達政宗などがそうだ。武田信玄は結局弟を従えることに成功しているが、織田信長は弟信行を謀殺している。「惣領の甚六」伝説は昔からあったのかもしれない。兄が神から愛されず、弟を殺して運命の血路を開くモティーフは日本にもあったということなのかもしれない。信玄、信長、政宗もまたカインである。兄とはワリの合わないものだが、弟とて普通にしていれば部屋住みの身を免れない。名家の家督などと言うものは厄介だ。この時代の庶民で良かった。
オトギリソウという植物がある。オトギリソウ科の多年草。古くから顕著な薬効で知られる。弟切草という物騒な字を綴る。平安時代に有能な鷹匠がいて、鷹が負傷しても簡単に治癒させる薬を用いて他にない功績を挙げていた。その妙薬が何であるかは極秘であったのだが、鷹匠を仲が良かった気のいい弟が迂闊にもそれがオトギリソウであることを明かしてしまった。怒った鷹匠は弟を殺害したが、その折の返り血がオトギリソウの葉の表面に黒い点となって残ったのだという。これがオトギリソウの名の由来である。ここにも一人、カインがいる。鷹匠の秘伝がどのような意味を持つのか、鷹匠という職業を知らなければわかならい。もしかすると、その秘伝は家に代々伝わるものであり、それを明かすのは脈々と受け継がれてきた家を覆すような意味があったのかもしれない。武家の棟梁の血縁者が軽々に朝廷の権力者から官職をもらい、棟梁制度を根底から覆しかねない事態に陥るのと似ているのであろうか。
十年以上前になるか、ホラー仕立てのゲームで「弟切草」が有名ゲーム作家の手で製品化され、ヒット作になった記憶がある。奥菜恵主演で映画化もされたようだが、調べてみると、愚にもつかぬ駄作だったらしい。この頃は、マンガも小説もアニメも、ゲームの下部構造(インフラ・ストラクチャ)となってしまうのでは、という懸念が呈されていたが、今のところそうなってしまう切迫した気配は感じられない。それとも地下でジワジワそういった傾向が進行しているのだろうか。
弟切草のエピソードが、織田信長が信行を陥れた物語にも準えられていたのを、どこかで読んだ記憶がある。
実際のオトギリソウは日本全土に繁殖しているワリと普通の草である。日当たりのいい野原、林縁、道端などで丈が20〜60cm程度に育つ。名前の由来となった葉の黒点を目にしたところで、おどろおどろしいものは感じられない。夏から初秋にかけて黄色い花を着ける。これにもホラー染みた印象などない。葉を揉んでフレッシュな液を傷口になすりこむ即効性のある止血薬にするのが手っ取り早い使用法である。つまりはそれほど、ありふれた植物であったのだろう。春から秋にかけての湿地に群生するチドメグサも同じような活用がされる。月経不順、鎮痛剤以外にも、リューマチ、痛風、神経痛にも浴剤として効果がある。ただ、良く効く薬の常として毒性も秘めており、含有される特殊なタンニンには家畜に皮膚炎から脱毛を及ぼしたり、実験用マウスを殺傷するだけの威力があるという。名前ほどに恐ろしくはないが、それなりに畏敬を以て遇する必要もありそうだ。
漢方では小連翹とも呼ぶらしい。モクセイ科のレンギョウとはあまり共通点は見出せない。花が黄色いところだけしか似ていないように思えるが、中国人の目には似ていると映ったのだろうか。
大化の改新は日本が古代から脱却する節目の事件とされるが、どうも胡散臭い。その前に大陸から伝来した仏教を政治の中枢に持ち込む蘇我氏の動きとそれに拮抗する古来の武闘集団・物部氏の抗争があり、蘇我氏の流れを汲む天才政治家・聖徳太子の社会構造改革があり、太子の急進的な改革を和らげるような蘇我氏の専横が進み、それを倒したのが大化の改新であったが、一連の激しい政治抗争に終止符を打ったのは、天皇家同士の骨肉の争いであった壬申の乱であり、勝利者天武天皇の流れを汲む持統天皇系のその後の暗闘であった。大化の改新は蘇我氏を一方的な悪者としてみれば、痛快なチャンバラ革命であったかもしれないが、どうも壬申の乱以上に意味があるとも思えない。宗教家としてのテクノクラートに過ぎなかった中臣氏が藤原氏となって台頭する契機となった意味はありそうだが・・・。天智天皇と天武天皇は兄弟であり、同じ女性、額田王を争ったことでも知られるが、一説には血がつながっていなかったとか、実は天武が兄だったという説もある。最早、どの説も証明しようがないのであろうが、天武が天智の死の後に、兄の本来の継承者達を政治力、武力で駆逐したのは事実である。天智が存命ではなかったにせよ、そこで為されたのは裏切りである。天皇を中心に据える日本の歴史は、こういった天皇家同士の争いにことのほかナーヴァスである。源平合戦、戦国大名の抗争などの民間の戦闘は事細かに詮索するくせに、後醍醐天皇の建武の新政、南北朝などですら避けて通ろうとする。壬申の乱は後醍醐天皇と足利尊氏の反目などよりもっとエグイ正面戦争であった。天武もまたカインである。女性ではあるが父天智への裏切りを深め、夫である天武の遺志を継いだ持統もまた。だから、光明皇后のような作為的に祭り上げられたアイドルの捏造で、そのエグイ行為を糊塗しようとする。光明皇后はそれらの裏切りの犠牲者ではなかろうか。
古今東西、兄弟というものは人間の争いの出発点であるらしい。愛あるがゆえに憎しみも深いのかもしれない。このあたりは兄と弟の機能を併せて持つが決して弟を持ちえぬ一人っ子の杜氏には語ることは出来ない。だが、兄弟同士の争いのモティーフはいつの世でも格好の物語を生み出している。オトギリソウというそのモティ−フを象徴するような植物が、一見ひっそりとした目立たぬ花を咲かせることも、そういった現象があまり世の前面に押し出されないための深慮遠謀なのかもしれない。
エッ? 林立していた映画館の興亡の話はどうなったのかッて? 雑駁な世間話ということで、不問にふして頂ければ幸甚である。
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