サルノコシカケ

こンなもンにご利益があろうとは・・


 マタンゴという映画があった。円谷プロがゴジラで成功を収めてからも、「ガス人間」とか「妖星ゴラス」とか、特撮による実験的な作品を模索していた時代だった。これが途轍もなく怖い映画だった。
 南の島に自家用の船(ヨットではなく動力機付きだったと思う)で出掛けようという話が、金とヒマを持て余しているような若者達が集う酒場で盛り上がり、十人程度が参加して船出の運びとなる。この辺りの雰囲気は当時、連続して映画化されていた今の都知事が書いた悪文小説「太陽の季節」や「狂った果実」を連想させる。で、あっさり難破した船は得体の知れぬ無人島へ漂着する。元より身勝手で自己主張ばかり強い若者の集団、お約束の如く仲間割れが勃発する。この辺りはサー・ウィリアム・ゴールディングの「蝿の王」か。島に食糧はなく、備蓄された食糧を持って唯一大人の良識を持っていそうだった船長(クイズ・グランプリ司会の小泉博)は自己弁護丸出しの遺書をデッチあげて、修繕なった船でスタコラ脱出する。島の奥で見つかったのは無数の大型のキノコ。不気味であるが、食べて食べられないこともなさそう。食べると実際にとても美味。だが、食べた人間がどうなるかというと・・・・。この先はビデオ配給会社への営業妨害となるので書かない。
 水野久美がヴァンプ的なパーソナリティを演じており、主題に通じる退廃的な歌も劇中で歌っていた。(歌手という設定?) この水野久美という人は言わばクィーン・オヴ・円谷特撮映画で、マタンゴのヴァンプ以外にも、知的で優しい生物研究者(フランケンシュタイン対バラゴン、フランケンシュタインの怪物・サンダ対ガイラ)、誰もが同じ顔をした性格の良い侵略者の宇宙人(地上最大の作戦?)と幅広い役を巧みに演じている。サンダ対ガイラで吊り橋から落ちかけ、つかまったところを力尽きて気を失うシーンなど、子供心にときめきを禁じ得ないセクシーさだった。
 キノコは秋の味覚や冬の鍋物に欠かせない植物で、シイタケ、シメジ、エノキダケ、ナメタケとそれぞれに違った持ち味があり、豊かな地の恵みを感じさせてくれるものだ。だがよく考えると、あれは菌糸の塊なのであり、衛生的とは思いつつも気が退いてしまうところはある。ましてや「マタンゴ」を見た後では。その上、毒を持つものも多い。素人では見分けがつかないようになっており、かなりのキノコ狩りのベテランでも、「キノコ狩りで中毒死」といった新聞の見出しになってしまったりする。
 父は函館の産で、函館山の麓あたりで育ったらしい。山に登ってキノコを獲ってくることも多かったという。その父が杜氏と一緒に近所の山に登っている際に、見事に房の形になったキノコを見つけた。父によるとムラサキシメジだという。家に持ち帰って食べることを、杜氏も楽しみにしていた。バケツの水につけて家に置いておいたところ、それを母が見つけた。母は東京の下町育ち。キノコだろうがゼンマイだろうが、野生で生えているのを見たことがない。知っているのはツクシぐらいだ。「気持ち悪い」と感じた母は、すかさずそれを捨ててしまった。大人しくて温厚だった父が母の行状を知って、とても残念がったのを鮮明に記憶している。子供の頃を思い出してよほど懐かしかったのだろうと思う。杜氏もムラサキシメジ、食べてみたかったので母の所業が恨めしかった。きっと、八百屋で売っているシメジとは違う味がしたろうに。
 ことほど左様にキノコは人に警戒心を喚起させる。

 ところが、絶対に毒ではない代わりに食用にもならないと子供の頃には思われたキノコがある。サルノコシカケだ。実際に猿が腰掛けに使うはずもないが、木から半月型に延びた形はそのネーミングで形状や固さを想起させるものがある。実に上手いネーミングだと思う。子供が腰掛けた程度では壊れないほど、しっかりと木にしがみついており、しかも木そのもののように(もしかしたらもっと)固い。放っておくと何年も宿根草のようにすこしずつ成長しながら生きている。そういえば表面には年輪に似た成長の跡がみられる。文字通り、「毒にも薬にもならない」と思っていた。ところがそれが大間違い。大変な薬になるらしい。
 霊芝という。レイシである。楊貴妃が好んだ果物ではない。あれはライチ。微妙に違う。何しろ、霊の宿った芝なのだ。中国では干して粉末にするらしい。血を浄化し、滞った血流を健全にすることで各種成人病を防ぎ、代謝を活性化し、癌細胞を制するという。五メートルほど下がって、これまでのご無礼の数々を土下座してお詫びしなければならないほど霊験あらたかな薬だという。
 マイタケが市場に出回った頃、郷ひろみのコマーシャルと共に、マイタケの抗癌効果が喧伝されたことがある。実はこのマイタケ、固いというサルノコシカケ類の特徴こそ備えてはいないが、サルノコシカケと同属だという。まあ、非常識なほどの量を食べなければ効かないということではあるが。漢方で用いられるサルノコシカケは粉末に凝縮されているので効果の程はマイタケの比ではないのだろう。
 そもそもキノコというヤツはどこか有り難味がありそうな雰囲気を醸している。馬家軍という集団が中国の陸上競技界に存在した。短期間ではあったが、その活躍振りは凄まじく、今もいくつか女子長距離界の世界記録を保持しているはずだ。当時としては驚異的な記録で、一部は日本の男子実業団の記録と偽っても通用しそうなものまである。何か不自然なことをしてるのでは、という疑惑が付き纏ったが、結局尻尾は掴ませないまま解散となった。その馬家軍が用いていたと公言しているのが、日本で言えば冬虫夏草、地下に住む昆虫を栄養源として生育したキノコである。キノコは所詮植物や動物に寄生している植物に過ぎないが、昆虫に寄生している方がご利益がありそうな気がする。
 ただ、杜氏は個人的には馬家軍の実績は何か冬虫夏草以外の「不自然なもの」でもたらされたのであろうと感じる。

 マツタケのことを西日本ではマッタケなどという。そのいい方が好きになれない。松に生えるキノコつまり茸だから松茸だ。マッタケというその意義から外れた特別な付加価値など不要だ。ついでに言うとマツタケ自体も好きではない。確かに香は芳しいかもしれない。ただ七輪で立派なマツタケを丸ごと焼いて食したとしても、パサパサした繊維を口にしているに過ぎない。正直言って旨くも有り難くも、増してやその価格に相当する見返りは感じない。これを見て、味覚や趣きを解さないがさつな奴だと思う人もいるかもしれない。そういう人にこそ問いたい。あなたの味覚は本当に味覚なのかと。先入観でしかモノゴトを捉えてはいないかと。マッタケという捻じ曲がった表現にそういう臭気を強く感じざるを得ない。シイタケの深いダシがマツタケに醸せるだろうか。否である。
 何かと話題に上っているアガリクスもサルノコシカケの一種だという。マツタケ同様、サルノコシカケも、霊芝と呼ばれたりアガリクスと崇められたりすると別のものでもあるような感覚にとらわれる。だが、マツタケと違うのは霊芝もアガリクスも確実に強力な薬効があることだ。聞けばサルノコシカケは世界で8000種類、日本でも80種類ほどみられるそうだ。だが、サルノコシカケは国産であろうともカナダ産であろうとも、中国産であろうとも価値は違わないし、市場価格に別種のような差が出ることなどない。一方で、そのような薬効に興味もなければ必要もない日本の林で遊ぶ子供にとって、サルノコシカケは固いだけの使い物にならないおかしなキノコに過ぎない。それでいいのだ。

 人間も同じかもしれない。人は人を肩書き、レッテル、ブランドで往々にして判断するが、霊芝であろうとアガリクスであろうとサルノコシカケはサルノコシカケでしかない。そういうことをキノコとしては桁外れの長寿を恬淡と送りながら、サルノコシカケは寡黙に人間達に語りかけているように感じる。



Winery 〜Field noteへ戻る