サルスベリ

次から次へと咲く花


 猫可愛がり、猫撫で声、猫糞、猫騙し、猿芝居、猿真似、狸寝入り、・・・・。動物を擬人化して、実際にはあり得ない人間のアクションに置き換えた言葉は数多い。猫は実際の知能の低さからすれば、過大評価されている。猿は逆に近親憎悪からなのか、過小評価が著しい。実際には類人猿ならぬ類猿人のような人間が非常に多いのにも拘わらずだ。不思議なことに犬に関するこの手の言葉は少ない。動物がこのような人間の想像するような行動を採ることはまずない。人間の幻想である。生物学の立場からは、このような擬人的な主観で生物の振舞いを仮定するのは、最も慎むべき行為である。猫好きの人達がネコ科動物の肩を持つのはわかるが、猫はそンなに賢い動物ではない。
 子供の頃、夏の花の代表はヒマワリとカンナだと思っていた。だが、最近ではカンナをさほど頻繁には見かけない。終戦後十数年という特殊な時代だけに栽培種として重んじられた種であったということだろうか。確かにカンナは逞しい印象の植物だが、蔓延って始末に終えなくなる感じもする。サルスベリは、カンナより普遍的な、日本の夏を彩る花なのかもしれない。何しろ花期が長い。百日紅と書いてサルスベリ。六月に咲き始めて九月になっても未だ花を着けている。文字通り百日紅だ。白いものとピンクなものが主流だが、その名の通り、ピンクの方が艶やかな印象がある。
 サルスベリの花は無論、数ヶ月に渉って咲き続けるワケではない。小さな花が次から次へと散り、新たな花へとバトンを渡してゆく。それでいて、細々と花期を長く保っているようには見えず、最盛期にはチアリーダーが振るポンポンのように華やかで豊かな佇まいに見える。日本人は一気に咲いて、はかなく散る桜を以て日本の代表的な花と認識しているが、明らかに長い時期楽しませてくれるサルスベリの方が実質的にはオイシイ花である。
 杜氏が見た中で最も印象的だったのは、二十歳の時分に京都の寺院の境内に咲くサルスベリだった。寺院なのだから死者を奉る場所である。厳粛な雰囲気が自ずと辺りを漂う。だが、京都の寺院は一方で観光地でもある。丹精された庭の中で、ワンポイントのように華やかさを醸しているサルスベリの樹が見事だった。銀閣寺だったかもしれない。それがまた、京都独特の地獄のような蒸し暑さとマッチしていた。帰宅してから改めて見た杜氏の家の庭木としてのサルスベリとは随分趣きが違っていることを痛感した。
 サルスベリの名は、樹皮が自然に剥けて、さも滑り易いようにツルツルした状態になることから来ている。実際に猿がこの樹に登って滑り落ちてしまうということではない。そうなりそうなほど、幹が円滑な状態になるということだ。猿が生息するような地域にサルスベリが生えることはあまりないだろうが、もしそうだとしても猿は容易にサルスベリの樹を登ってしまうだろう。こういう命名は概して人間の思い込みや勝手なイメージから為されることが多い。生物の本質を示しているとは限らない。
 今地上に栄えている樹木で、実から成木へと成長する種は少ない。栽培種なら余計にその傾向が強く、挿し木や台木で増やされることが殆どである。だが、このサルスベリは実生から発芽することが可能なのだそうだ。こういった面でも、この植物の強い生命力を感じることができ。そもそも、植物にとって開花・結実は大変なエネルギーを要する大事業なのである。それを一年の1/4〜1/3の長きに渡って続けるなど、容易なことではない。お祭りを何ヶ月にも及んで続けるようなものだ。そのようなエネルギーがどこから来るものなのだろうか?

 以前、「スベラーズ」という商品がヒットしたことがあった。階段の縁に取り付けて、滑って落下することを防ぐ他愛のない仕組みである。長門勇がキャラクタを務めていた。ある零細な企業が経営危機に陥り、半ばヤケになってTVでCMを打ったところ、世の中何が起こるかわからないもので、大当たりしてしまった。安易だがわかり易い商品の命名が大衆にウケたのだろう。無論、商品名の由来は「滑らない」にある。だが。、よくよく考えて見ると、階段で足元だけ滑らないことは、上半身には効果がない。そのまま重心のコントロールを失って倒れてしまえば、より大きな事故につながりそうな懸念が新たに起きる。一時的に起死回生のヒットとはなったかもしれないが、その後その企業の名前を耳にすることは少なくなった気がする。このように企業ですら活動を永続することは困難であるのだ。一時期華々しい時期があったとしても、それゆえに容易に失墜することもある。増してや生存競争が厳しい生物の世界で、長く種を維持することは容易ではない。トキやジャイアントパンダ、イリオモテヤマネコ、ヤンバルクイナなどは決して特異なケースではないのだ。
 夏の代表的な植物はヒマワリとカンナではなく、キョウチクトウとサルスベリであったのかもしれない。昆虫にも人間の住環境の恩恵を受けて繁栄を謳歌している種は多い。これらは人間が滅びれば、絶滅することはないだろうが、後退を余儀なくされるだろう。植物にも栽培種だからこそ、今を生き長らえていると思われる種も多い。人間の気まぐれで栽培種には流行り廃りもあり、杜氏が子供の時分はどの庭にも咲いていたタチアオイなどは、めっくり減ってしまい、今は見かけると懐かしさすら覚える。すべからく、植物は野生種であったのだが、人間の庇護を受けたがために習性が軟弱化して、最早野生では一ヶ月たりとも生きられなくなってしまった種が殆どであるように見受ける。だがキョウチクトウとサルスベリは、もし野生のままに放っておかれても、逞しく繁殖を続けるように見える。

 それでいて、寺の境内のような出過ぎた印象を与えても相応しくないシテュエーションにひっそりと、しかし華やかにマッチしてみせるサルスベリの花は、深い味わいが感じられる。さて、行く夏が終わっていないことを主張するかのように、九月に入っても咲き続けていたサルスベリの長い花期も、彼岸にさしかかる頃にはようやく終わりを告げる。タンクトップやキャミソールがそろそろ見納めであるように。



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