セイタカアワダチソウ
冤罪とは言い切れない?
二十年以上前のことだったと思うが、女優の十朱幸代がNHKの「みんなの歌」で、セイタカアワダチソウのことを唄っていた。確かタイトルもそのまま「セイタカアワダチソウ」だったと記憶している。いわゆる縮緬ヴィヴラートで、決して素晴らしく上手い歌いっぷりとは言えなかったが、そこはさすがは優れた演技者で説得力のある表現だった。俳優の唄う歌は語り歌に近いものがある。今の彼女はおそらく還暦前の年配であるだろうが、二十数年前の彼女の年齢の男女の機微に相応しい大人の歌だった。こういう歌を平気で流してしまう「みんなの歌」は結構侮れない存在だった。
セイタカアワダチソウであるが、とても情緒を感じさせるシロモノではない。都会の雑踏の中でも、平気で群生しており、寧ろその殺伐とした風景を逆手にとっての歌だった。自分の許を突然去った男に対する恨み節で、恨み節でありながら二十代後半の梶芽衣子の凄絶さはなく、当時の十朱幸代の年代の女性に相応しい諦念と哀感が入り混じったさりげない歌だった。
セイタカアワダチソウは在来種ではない。ご多分に漏れず、北アメリカからの帰化種であり、これまた例の如く栽培種として輸入されたという説があると但し書きがついている。だが、あの佇まいを見るに、栽培種だったというのは疑わしい。その名の通り、丈が高過ぎて観賞用には相応しくない。2〜3メートルにまで成長するのが普通だ。栽培種であったというよりも、実質的には養蜂業者が、蜜源植物として重宝であることから進んで栽培したのが、結果として野生化し広まってしまったという事実がある。アカシア、レンゲなどは製品化された蜂蜜の容器に明示されたりして、付加価値となっている。一方、セイタカアワダチソウではどうも風評が芳しくない。蜜源として特定されても、ありがたみがないし、第一旨そうな印象がない。
なぜかくも評判が悪いのだろうか? 一つには群生して蔓延り、浅ましい印象が強いせいだろう。これには確たる理由がある。他感作用(アレロバシー)なる効能を発揮する物質を根から出して、植物の発芽作用を抑制しているらしいのだ。だから、他の植物、たとえばクズやイタドリのように、林縁に沿って慎ましく繁殖するのではなく、野原の中央でもどこでも忽然と現れ、場を占有することが出来る。それが可能なのはセイタカアワダチソウが能動的に他の植物を排除しているからなのだ。在来種にとっては迷惑な話で、ここでも、帰化種が本来日本にあってはいけないものであることが伺われる。
ただ、巷間広く信じられている秋の花粉症の原因はセイタカアワダチソウであるというのは濡れ衣に過ぎないらしい。第一、花粉症などのアレルゲンとなるのは、風媒花であり、蜜源植物である以上、セイタカアワダチソウはれっきとした虫媒花である。この風聞には杜氏も惑わされていた。黄色い花で、明らかに昆虫を寄せ付ける花であるのに、花粉症の原因にはなり得ないのではないかと疑問に思っていたものだ。ブタクサのような在り方に共通点がある植物と混同された可能性が高い。中にはセイタカアワダチソウの花を美しいと感じる人も世の中にはいる。キク科植物に共通する小さな花が無数に集まり花序を成しているところは、キクやタンポポの花が好きな人には感興を呼ぶかもしれない。よくよく見ると、全く魅力に欠けると言い切ることは出来ないとも感じる。
それでも、あまりに群生するものだからか、風媒花のように花粉が飛んでアレルゲンになり得ると言い張る人達もいたりする。それは如何なものかと思う。坊主憎けりゃ袈裟まで憎し、の類で根拠が薄い。というより根拠がない。
ただ、この他感作用というもの、セイタカアワダチソウ自身の発芽までも阻害するらしい。だから、いくら群生しても一定の株以上には広まることがないらしい。自家中毒を起こしているワケで、アレルギーは自身に及んでいたということになる。多年草だが、寿命には限りがある。天命が尽きると枯れてしまい、アレロバシーの効果が失せた跡地には、おもむろに他の植物が生え始める。自然の自浄作用を感じる話だ。だから、この植物も盗人猛々しい面ばかりではなく、哀れなところも見られるのだ。
この時期になると、植物にとって環境が劣悪な線路沿いがセイタカアワダチソウの黄色に染まる。一種怖気立つ風景ではあるが、遠い北米から好き好んだワケでもなく移住させられ、生き続けてゆくには劣悪な環境も甘受しなければならないのだろう。
生命力の強さは都会には相応しいのかもしれない。だから風情云々は抜きにして、都心にも数多く見られる。おそらく雑草の中でも有数に有名な植物であると思われる。「見たことがない」などと言う人は数少ないだろう。とても環境指標植物にはなりようがない。この在り様は現代の都会人に似ている。排他的で干渉を嫌い、自ら「近寄るンじゃない」という雰囲気を醸している。で、都心などでは(いや郊外でも)持ち家を建てるなどは困難であるから、定住ができずに、数年という短いスパンで賃貸マンションなどを渉り歩くことになる。都会人達にはセイタカアワダチソウすら鬱陶しい存在なのかもしれないが、それはもしかしたら近親憎悪のようにも思えてしまう。本人達は決して気付きはしないだろうが、近親憎悪など、目くそ鼻くそを笑うの類で、そンなものではないかと思う。
セイタカアワダチソウの花は、遠くから見ると、無数の泡が花序に立っているように見える。命名の由来となったアワダチソウなどという植物はない。少なくとも正式な名称としては。やはりどこにでも見られるアキノキリンソウが通称アワダチソウと呼ばれているらしい。その丈が高いヴァージョンで、背高をつけてセイタカアワダチソウ。悪評が高くなってしまったので、アキノキリンソウも通称を貸しただけで類が及んだワケではなく、ラッキーだったかもしれない。アワダチソウと言う名前が、汚水に浮かぶ洗剤などによる泡を連想させて、これまたイメージの悪さに一役買っているようにも感じられる。
一つのコミュニティで、一旦「変なヤツ」だと思われると、再浮上がとても困難になる。杜氏の会社の一期下の人間でも、新入社員教育時代に同期から「レトルト」だの「アタッシュ」だのと妙なニックネームを振られて、そのまま蔑まれ続けている者達がいる。特に女性に「変なヤツ」と思われると、それが周囲の女性達の付和雷同を招いて一方的に人格を否定されることになりかねない。だから、目端の利いたサラリーマンは女性からNGを食らうことを必死に避けたりする。それがとどのつまり、人格の評価にまで及ぶことが多いからだ。困ったことに、女性の批評眼は鋭く、その評価は半分以上正鵠を得ていたりする。セイタカアワダチソウも、そういった経緯で、「変な植物」という評価を与えられたまま、それを覆せずにいるような存在である。だが、たとえ「変なヤツ」であってもどこかに長所があるものだ。セイタカアワダチソウは、そういった変だけど興味深い存在であると感じる。ちびまるこちゃん(さくらももこ氏)が偉いのは、クラス・メイトの誇張されているにせよ妙チクリンな数多くのパーソナリティを、「変なヤツ」と一刀両断に切り捨てずに、各々尊重しているフシがあるところだ。これなら「セイタカアワダチソウの悲劇」は起こるまいとも思う。ただ、世の中はさくら氏のような女性だけで出来ているワケではない。
十朱幸代の歌を最初聞いたときは、「何と言う情緒のない植物を題材にするのか」と奇異の念に捉われたが、こうして特徴を挙げてみると、捨て難い植物でもある。濡れ衣を着せられながらも、他の部分で無辜の存在ではないところに味があったりする。帰化生物というのはすべからく厄介な存在ではあるものの、彼らにも生きるためには手段を選んではいられない。ノアの方舟にお気に入りの生物だけを選んで一つがい載せたというのは、キリスト教徒、いや人間の傲慢でしかないことが、この植物を見ていると想起される。
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