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お盆や正月は日本全国どこにでもある行事である。七夕や節分、彼岸等々、季節にまつわるイヴェントはほぼ各地で共通していると思われる。ただ、それを彩る食べ物や風習などは案外異なっている。東日本と西日本を生活習慣上で分けるのが、天か分け目の戦があった関ヶ原であるらしいというのは嘘のようだが、案外本当らしい。雑煮の餅の形状や汁の作り方、稲荷寿司の包み方、醤油の色、味噌の麹の種類、ことごとく東と西では異なっている。
ただ、七夕飾りは笹で拵えるし、節分には大豆が撒かれているだろう。日本全国共通する行事のアイテムも少なくはない。だが、案外と東西南北に広がっている日本列島のこととて、気候風土に依存しない共通アイテムは、動植物で考えるとストライク・ゾーンは案外狭い。
北の都、札幌きっての繁華街は「すすきの」である。薄野と綴る。きっと、雪のない季節にはススキが一面に地を被う原っぱだったのだろう。ススキは極北の地にも南国にも広く分布していたのだろう。地球の唯一の衛星である月は、日本全国をあまねく同じ形態で照らす。天体は地上の気象には影響を受けない。ススキもダンゴも、日本全国の中秋の名月に似合う必須アイテムなのだろう。
杜氏達の子供の頃の遊び場で、最も身近で手軽な場所が原っぱだった。社員寮の広場は春から夏にかけてその敷地の半分が原っぱとなり、杜氏達はそこにバッタやコオロギ、キリギリスの姿を求めて飛び回った。原っぱの入り口で行く手を阻んでいるのも、バッタ達を育む温床を提供しているのもススキだった。稲科の植物らしく、細長いお馴染みの形状の葉を持つが、両端に細かな凹凸を持つ。これが原っぱの闖入者の手足に容赦なく切りつける刃となる。原っぱの門番の風情である。剃刀のような効果を持つこの葉は、案外威力のある武器となる。杜氏達にとって、初めて手足を傷つけたのはススキから受けた切り傷だった。「血が出た」とよく言ったものだ。ススキに傷つくと、その切り口から必ずジンワリと出血したものだ。ただ、その程度のことでたじろいでいては腕白小僧にはなれない。子供の手足は真夏は蚊に刺された跡に、初秋から初冬にかけてはススキの傷に彩られているのが相場だった。原っぱ遊びに馴れると、子供達もおいそれとはススキに斬りつけられることがなくなる。
ススキの恩恵を受けていたのは出現頻度順にバッタではツチイナゴ、ショウリョウバッタ、オンブバッタ、ショウリョウバッタモドキ、ナミイナゴ、クルマバッタ、トノサマバッタ、ナキイナゴといったところだったろうか。クビクリギスやクサキリ、ツユムシ、ウマオイといったキリギリスの類も頻繁に姿を見せたし、夜になると鳴き始めて存在をアピールしていた。ススキが作る草の陰には様々なコオロギが潜んでいた。これらを狙うのか、カマキリも多かったし、ヤンマ、シオヤアブといった名うてのハンター達も上空を盛んに飛び交っていた。
夏の盛りになると、ススキの葉を折り曲げ、袋のように閉じた部屋を作って、再び折り曲げたような「細工物」をよく目にする。これはカバキコマチグモの巣である。いや巣というより、トックリバチ同様、次の世代のための揺籃である。中には無数の卵が固まっており、母グモがそれを守っている。この巣をふたつ取ってきて一斉に開くと、卵を害しに来た外敵の襲来と勘違いをして、母グモ同士が壮絶な争いを始める。子供の残酷な遊びのひとつである。数年前にセアカゴケグモという毒を持った外国産のクモが何かの拍子に繁殖し、警戒を呼びかける報道が騒動を招いたことがある。そのときに初めて知ったのだが、実はセアカゴケグモの持つ毒性はあまり強いものではなく、寧ろ在来のカバキコマチグモの方が遥かに強い毒を持っているとのことだった。女性はよくクモを恐れるが、在来種で実際に危険なのはカバキコマチグモのみなのだという。それを何も知らずに掴まえて、喧嘩をさせて遊んでしまうのだから、人間の子供というのは恐ろしい。ススキの原はこういったささやかな危険すら育んでいるのだ。
時折、ススキの根元に奇妙な形をした植物を見ることがあった。淡いピンクの奇妙な筒状の、影は薄いが変に魅力的な花をつける草だった。ナンバンギセル。ススキに寄生する植物だった。ナンバンギセルとはつまりパイプのことを指すのだろう。そんな時代ではあるまいに、持って回った命名である。ただ、不思議なものでパイプグサなどと呼ぶより、その奇妙な印象と妙にマッチしたネーミングではある。数年前、横浜の大きな園芸店で、この植物に遭遇したときはギョッとさせられた。その場では見てはいけないものに出くわした気がしたのだ。ススキの根に宿る何の変哲もない寄生植物を園芸種にしてしまうなど、人間の商魂は留まるところを知らない。
船頭小唄という歌があるが、一般的には「枯れすすき」と言った方がイメージに合うだろう。船頭さんは歌の最後にしか出てこないが、枯れすすきは冒頭で象徴的に用いられている。昭和枯れすすきなどという歌を作った人達もいるが、本家より遥かに救いようがない内容だった。後者の歌詞に「花さえも咲かぬ」とあるが、ススキの穂は立派な花である。少なくともイチジク(無花果)やシダ類よりはマシである。
幽霊の正体みたり、枯れ尾花ともいう。尾花は穂を尾に見立てられたススキの別名である。「枯れすすき」といい、幽霊の正体といい、ススキには幽玄または得体の知れぬ不気味さを秘める反面、ひとたびそれと判れば取るに足らぬ印象があるのだろうか。確かに繁ると嵩があるススキの原が育む空間には、何がいてもおかしくない恐さがあるが、除草などで刈り取ってしまえば、ただの空間しか残らない。原っぱの果てで鎌を研いで人が迷いこむのを待っている安達ヶ原の鬼婆の棲み家もススキに被われている印象が強い。(日本版「悪魔のいけにえ」でしょうな。日本の方が恐い)
月は洋の東西を問わず、人間の狂的な要素を刺激する効果を持っている。そのルナティックな月に唯一抗し得る花、ススキは普通に見られる反面、普通ではない。大いなるしかし身近な原っぱの生態系を包み込み、そこに本来いないはずの動物、つまり原っぱの生態系を害するものを攻撃する。物理的には武器である剃刀の刃を以て、心理的には幽玄な雰囲気、何が隠れているのかわからない未知の空間から喚起される恐怖感を以て。ススキが刈られた空間には何も残らないが、もしかすると、それは刈られたススキと共に、そこに居たものが去ったからなのかもしれない。
杜氏の家の庭の隅には、外に向かって手を差し延べるようにススキが生えている。秋になれば毎年、絵に描いたように月に向けて穂を延ばし、季節感を醸してくれている。雑草を除いても、ススキだけは杜氏が刈らないのは、常ならざるものが棲む空間を残してあげるべきとの天の声に従ってのことなのかもしれない。
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