テイカカズラ

何のための羽


 サイモンとガーファンクルは、ビートルズが活動を減速させ、ボブ・ディランが交通事故やら何やらで隠遁していた1960年代後半から70年代序盤にかけてメジャー・シーンに活躍したポップ・デュオで、鬼のいぬ間に全盛を誇った感がある。映画「卒業」のサウンド・トラックで、「サウンド・オヴ・サイレンス」「ミセス・ロビンソン」「スカボロウ・フェア」などの代表作をヒットさせた。その歌詞やサウンドは小才が利いてはいるが、才に溺れている感もある。そのくせちゃっかりとヒットは飛ばしている。ポール・サイモンがウッディ・アレンの「アニー・ホール」に出演していたが、これもユダヤ人コネクションだったのだろうか? どこか、ユダヤ的センスという面で、アレンとサイモンには共通したものを感じる。ノッポのガーファンクルとチビのサイモンの対比から、デビュー当初は「トムとジェリー」と名乗っていたようだ。
 同じユダヤ系のミュージシャンでサイモンと同年代のアル・クーパーには、豊かな才能と、彷徨える民の悲哀は感じさせるものの、ポール・サイモンのあざとさはない。因みに、漫画家の西門ふみはポール・サイモンからペン・ネームを採ったようだし、密かに脚光を浴びたシモンズはサイモンのローマ字読みだったという。(げェ、悪趣味!)

 解散後、ポール・サイモンは俳優業にも魅力を感じていたガーファンクル(「愛の狩人」でジャック・ニコルソン、キャンディス・バーゲンと共演)のペースに合わせなくてもいい気軽さから、次々と作品をリリースしたが、グループで活動時のハーモニーの妙が感じられず、ファンを落胆させたものだった。一方でソロのヴォーカリストとして活躍し始めたガーファンクルはサイモンと組んでいた頃には影に隠れていた美声が前面に出て、好評を博した。とはいえ、ガーファンクルには音楽作りの能力には欠け、やはり活動には限界があった。

 そのガーファンクルのソロ・アルバムの中に「バーバラ・アレンの伝説」というのがあった。生前は反撥ばかりし合っていた男女が、死後双方の墓から蔓性植物(ツルバラだったか)を伸ばして、真の恋人の絆を結ぶというバラードであった。無論ガーファンクルのオリジナルではなく英国のトラディショナルな曲で、アイリッシュ・ハープの教則本にも載っているそうだ。

 これと似て非なる話が日本にもある。平安末期から鎌倉初期の歌人の第一人者だった藤原定家は、後白河上皇の第三皇女であった式子内親王を恋慕したらしい。だが内親王は幼くして神仏に仕える身でもあり、生涯独身のまま亡くなった。その墓に思慕の情がなお抑えきれない定家が変身した蔓がまとわりついてしまったのだという。内親王は定家の思いに応えることはついになく、墓所の近くを通りすがった旅の僧侶に苦しさを訴えたということになっている。双方に思いがなければ、愛を乞う行為もストーカーとしか見なされない。歌は達人であったが、定家にはどうも、芳しいエピソードが伝わっていない。人格のせいなのであろうか。

 この式子内親王に墓まで執着した定家の化身の植物がテイカカズラである。森の水分が豊富な地面から、岩や大木を伝い、気根を張る。蔓性であるので全く意外だが、キョウチクトウ科である。蔓性のキョウチクトウ。そういえば、葉脈の走り方に共通するものがある。また常緑の分厚い葉である点も同属であることを思わせる。子供の頃は林に入ればそこかしこに絡みついていた印象が強い。蔓延という言葉があるが、それとは似つかわしくない感じだった。ものに絡みつくのだが、そこに猛々しさが感じられず、どこか控えめなものを感じさせた。初夏に白い花をつける。花期の終盤にはそれが黄色みを帯びる。花弁はちょうどスクリューやプロペラのようにねじれており、特徴的だ。とても強く甘美な芳香があり、これが蛾を呼び寄せる。花の奥行きが深く、スズメガのように長い口吻を持つ昆虫でなければ採蜜出来ないのだ。そのため蛾媒花とも呼ばれるらしい。スズメガのみを許容することで、何か効率上のメリットがあるに違いない。

 実はかなりの時間をかけて熟すらしい。花の香りが強烈な印象であるせいか、葉が残るばかりの蔓になど注目したことはないが、半年かけてようやく地に落ちて繁殖する状態になるらしい。キク科の植物の多くと同様、羽毛つきの実でこれが風に乗って遠くへ飛ぶと見えるが、どうやらそうでもないらしい。一個の種子に対して羽毛は数百本に及び、白銀の鬘でもかぶったような立派なものであるが、どうやら種子自体が他の植物に比べて桁違いに重く、ヘリコプターのように軽やかに飛ぶというよりも、落下傘のように急降下するだけであるようなのだ。羽毛の一本一本は中空になっており軽量化を遂げていたり、縮毛構成で膨らみを持たせ、浮力を少しでも得られる構造らしいのだが、効果の程は疑問である。テイカカズラは群生していることが多いように見受けるが、案外適地は狭く、どこででも繁栄できるワケではないのかもしれない。だったら、せっかく掴んだ適地の近辺に種子を落とすのも道理に適っている。だったら、何のための羽毛なのかという疑問は残るのだが。

 果実には虫えいに変化させられてしまうものも多いらしい。テイカカズラミタマバエというテイカカズラに特化したタマバエに産卵された実は種子を発散させることなく、このタマバエの幼虫に食料とねぐらを提供する。

 このように森に自生する植物というイメージが強いが、蔓で壁や塀を覆ってくれて、花も可憐でいい匂いを放つことから、栽培されていることもある。生垣というか、ブロック塀などを覆う効果を期待してのことだろうが、きれいに蔓を這わせるには人為的な誘導が必要であると聞く。植物のすべてが人間に容易に飼い馴らされるワケではない。野生のものは野山に置くのが最適ということだ。

 定家は新古今和歌集、及び新勅撰和歌集という二つもの勅撰集を編み、現代に親しまれる小倉百人一首を撰じたりもしている。父、俊成と共に「本歌取り」を単なるパクリではなく、正当な技法として推奨したのも定家だ。源頼朝の息子、頼家、源朝の歌の師も務めた。頼家は武に頼って身を滅ぼした暗愚な男との評価が固定してしまったが、寧ろ歌人として評価が高い弟の源朝よりは文武ともに優れた逸材だったようだ。北條がそれを花開かせる前に未然に捻り潰した。こうした血塗られた権力抗争を目の当たりにして、政治活動がままならなかった定家は鬱屈した気持ちのまま、片恋に焦がれ、成仏できないまま、蔓性植物に化身してしまったのかもしれない。
 テイカカズラは蔓植物でありながら控えめな佇まいで、清楚な花と芳香を具備した滅多にない美点の多い植物である。定家のごとき圭角のある人物の名をもらってしまって気の毒には思うが、開花から結実までの遅さ、移動に威力を発揮すべき羽毛に対する種子の重さなど、どこかバランスの悪さを感じさせる。定家が愛した短歌は、定家父子が提唱した本歌取りを認知してから「第二芸術」の道を辿ってきた。テイカカズラのバランスの悪さを思うと、思いを寄せた女性も意のままにならず、手がけた芸術改革も思うに任せなかった定家の迷える霊が、テイカカズラのそこに付け入って取り憑いたようにも感じてしまう。

 だが、テイカカズラに罪などない。



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