トケイソウ

ガーデニングの呪い
 

 父は計量士という国家資格を持っていた。杜氏が生まれて間もなく、一念発起して取ったらしい。大学を健康上の理由からやむなく中退し、一流企業に就職した父には杜氏を養うためにそれなりの武装化を図る必要があったのだろう。戒名にも計だの量だのという字が鏤められている。時の記念日にその資格取得イベントや表彰式があったらしい。だから、おそらく日本人の数パーセントしか認識していないようなこの日のことを、父は格別の思いで迎えていたようなフシがある。
 時の記念日は天智天皇が水時計を創設したという日本書紀の記録によって制定されている。6月10日がその日である。これは杜氏の誕生日と四日しか変わらない。杜氏は「オーメン」で名高い6月6日の午前四時に生まれた。従って杜氏のつむじには664の刻印がある。というのは性質の悪いジョークとして・・・。元より身体の弱かった父は、私が九歳の時に家族の安住の地とすべき家を建て、それからいくらもしない杜氏が一一歳の時に病に倒れた。二年後に奇跡的な生還を果たしたが、父の人生はこの大病で確実に蝕まれた。

 ガーデニングという言葉にはどうしても違和感を禁じ得ない。整然とした花壇、一定の高さ以上には育たないお行儀のいい潅木、常にマニュアル本の時期に施肥されてきちんと作物をもたらす家庭菜園、不自然に刈り揃えられた芝生・・・etc. およそ栽培植物という概念が気に食わない。人間の都合で品種改良された植物が真の植物といえるだろうか。杜氏にとって庭とは、近隣の自然の植物がありきたりに蔓延っているスペースであるべきだと考える。「害虫」を徹底して駆除したり、植物自身が伸ばそうとしている枝を刈ったり、雑草を排斥する目的で除草剤を撒いたりするのは不当としか思えない。考えようによっては杜氏の庭の方こそ自然を矮小化した箱庭であり、生き残るものを自らの手で選び庇護するノアの箱舟と指弾されるかもしれない。ところが、杜氏の考える庭は自然のミニチュアではなく、自然の延長でしかない。反論にはこの一言で事足りるだろう。
 ヘルマン・ヘッセのことを、ドイツの文学者ではなく、ガーデニングのオジサンだと認識している人は多いかもしれない。実際には読書感想文のお題の定番である「車輪の下」や、ロック・グループ、ステッペン・ウルフ命名の由来となった「荒野の狼」、「知と愛」、「シッダルダ」などの作品で知られる優れた作家にして詩人であることは言うまでもない。奇しくも杜氏に縁がある(?)「オーメン」の主人公ダミアンもヘッセの描く主人公「デーミアン」から来ているように思える。ガーデニングがブームを迎えるに当たっては、この作家が庭いじりに関して著した本が一役買っていたと聞く。それはヘッセとて庭で心を和ませるひとときも持っただろう。だが、ガーデニングなどという、昔からある園芸に耳新しいラッピングを施しただけのシロモノを、業界の思惑ぶくみで流行らせるのに、この著名な文学者の名前を借りなくてもよさそうなものだ。

 杜氏は自分の住む土地に当たり前に生えている木や草を集めているが、それ以外のものが庭にないわけでもない。ただ、当たり前のものはあまり好まない。どこか異形の様相を呈している植物を好む。十数年前だったか、通勤で駅へ向かう途中、変わった形状の花が杜氏の目を惹いた。トケイソウである。知らなかった訳ではない。ただ、詳しく観察するのは初めてだった。形状、配色など、自然のものとはかけ離れた作り物のような花だった。和名のトケイソウの通り、古い細工物の時計のような形状。大きく広い一〇枚の花弁に見えるもののうち、五枚は本当の花弁で、残りの五枚は萼片なのだそうだが、区別はつきにくい。多数放射状に伸びた副花が文字盤を連想させる。ディジタル・ウォッチが主流の現代だったら、こういう和名は付かなかったかもしれない。この和名は英語名に比較すれば平板なものだ。パッション・フラワー。それが意味することを、その当時は全く知らなかった。パッション、つまり情熱の花だ程度にしか思っていなかった。
 トケイソウの花はやがて枯れ、跡に実が残った。パッション・フルーツとして果肉を食用にする品種もあるが、杜氏が見つけたものはそうではなかった。枯れて種が取りやすいようになっていた。帰宅途中にそれを一掴み拝借して、庭に蒔いてしまった。それが間違いのもとだった。時の計測を起源とする計量士。その息子に下った「時計」の呪いだったのだろうか。

 トケイソウは南ブラジル原産の帰化植物である。パッション・フルーツがトロピカル・フルーツに属するのも道理で、熱帯系の植物である。代表的な蔓性で、分類上はトケイソウ科であるが、不思議と実や花、他の特徴が、キウイ、アケビ、ムベ、クレマチスといった在来、帰化の各蔓性植物と共通点が見出せるような気がする。クレマチスなど花が似ており、同種かと思っていたがキンポウゲ科だそうで、全くの別種である。
 問題の英語名であるが、パッションは情熱でも激情でも何でもなく、the Passion、つまりキリストの受難を示すらしい。一般名詞のパッションではなかったのである。ザ・ピーナッツにベートーベンの「エリーゼのために」からメロディを拝借した外国曲を更にカヴァーした「情熱の花」という曲があり、そのイメージが杜氏の頭に刷り込まれていたのだろう。手の込んだ罠だった。欧米人(ブラジル人?)はあの変わった花の形に磔刑に処せられたイエス・キリストの姿を見たのだ。日本人には時計の文字盤の模様にしか見えない、あの副花の広がりは後光に擬せられるそうなのだ。それを日本、というか東洋の仏教的感覚に起きかえると、カンノンソウなりボサツソウとでもなろうか。
 因みに「エリーゼのために」は、ヴィーナスの「キッスは目にして」で再度弄繰り回され、ズタボロにされている「受難の曲」でもある。
 キリスト教がキリスト教国にとって如何に正統的なものであっても、宗教色を帯びたものには尋常ならざる怨念を感じざるを得ない。マンジュシャゲ(ヒガンバナ)にどうしても不気味さを覚えてしまうが如きである。某極東の外れの国では連立与党に「学会」を僭称する邪宗を支持基盤とする「K明党」が与しているが、どうも邪宗に国が乗っ取られている感覚が拭えない。この国の国民であることをやめたいと思う一番の理由はそれかもしれない。どうしても宗教に起源を発するものには怨念を感じてしまう。仏像が居並ぶ国宝級の仏閣などには長時間留まることが出来ない。杜氏だけの感覚だろうか。増してや、トケイソウの姿は死と再生を象徴するキリストの磔刑像だったとしたら・・・・。杜氏は奇妙な姿に惹かれて、とんでもないものを庭に持ち込んだことになる。そして、その予感は現実のものとなった。
 次の一年で、トケイソウは容易に花をつけた。施肥も水遣りも何もした訳ではない。ただ無造作に種を蒔いただけなのだ。可憐な花であることは事実なので、それなりに目を楽しませてはくれた。それが二年目、三年目と時を重ねるうちに、大変なことになっていった。最初、トケイソウは種を蒔いた直径1m程度の土地からホンの3,4本蔓を延ばしていたに過ぎなかった。それが生垣にしていたマサキの幹を伝い、種子を蒔いてゆき、急速に版図を広げる。四年目には生垣全体の領域を網羅するに至り、外の道の電線に絡みついてそれを手前に引き寄せ始めた。もうこうなると侵略に近い。
 杜氏が子供の頃、アケビの蔓でターザンごっこをして遊んだものだ。トケイソウの蔓はその丈夫なアケビの蔓より頑丈だった。刈り落とそうにも、複雑にマサキに絡みついてままならない。しかも、根元は完全に樹であり、マサキの幹と見分けがつかないほど太かった。最早花をつけようが、可憐もヘッタクレもなかった。熱帯から襲来したおどろおどろしい侵略者に過ぎなかった。五年目のゴールデン・ウィーク、杜氏は意を決してトケイソウの征伐を断行した。安易な殺生はしない主義の杜氏であるが、最早状況は主義の遵守の域を越えていた。過ってマサキの幹を伐ってしまうのを覚悟の上で、片っ端から緑の悪魔を退治していった。家の側からは無論、生垣を越え三〇センチほどしか奥行きのないスペース(下は高さ3mの切り立った法地)に立って鋸を振るった。幸いにマサキを伐ることは避けられたようだ。
 根を失ってからもしばらくトケイソウは枯れなかった。さすがは熱帯に絶え得る生命力だった。数ヶ月でようやく葉が落ち、蔓が枯れ始めた。しかし、それから更に数年、絡みついた蔓は原形を留めたまま電線に残っていた。磔刑にあって息絶えた後も復活する教祖のような生命力だった。正に気の迷いから種を蒔いてしまってからの十年戦争と言えた。

 こうしてトケイソウとの長い戦いは終わった。計量士の息子としての時計との因縁、パッション・フラワーのパッションに隠されたキリストの怨念、殺生を好まぬ甘さへのつけ込み、奇矯なものを可憐と誤解してしまう感受性への報い、人工的なガーデニングへの反撥への因果、etc. いくつもの輻輳した要因が更にトケイソウの蔓のように絡まり、それを断つには凄惨な諍いを経なければならなかった。
 通勤路に咲いていたそれなりに可憐に見えたトケイソウは、その複雑な花を餌に取り憑く相手が通りかかるのを待っていたに違いない。邪気は使いこなせているうちは稚気に近い他愛なさだが、一旦牙を剥くと収拾のつかない事態を招いてしまう。小学校の校庭の道沿いに咲くトケイソウを見ながら、なぜか「戯れに恋はすまじ」という言葉が頭をかすめた。



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