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奇妙なものは奇妙な場所にあり、奇妙なタイミングで目の前に現れると思いがちである。それはそうだ。日常的に見慣れており、予測が着く出現の仕方をする事物こそ普通なものの定義である。SF小説の定義として、SFを愛する人が「常ならざるモノが描かれているか否か」と指摘したことがある。今や出版界の主流を占めるホラーや、時代物がSFと隣接しているのは、昔ならチャールトン・ヘストン、今ならハリソン・フォード、アーノルド・シュワルツェネッガーが史劇とSFの間を何の抵抗もなく往来していることを挙げるべくもなく明らかである。
ところが案外、注意してみると、偏屈なシロモノはブラブラ散歩している道端にあふれている。セサミ・ストリートのごみ箱に住んでいるオスカー・ザ・グラウチ(不平屋オスカー)のように。
私の住んでいる土地から最も近い観光地に観音崎がある。歩いて二〇分程度しかかからない。二日酔い醒ましの散歩には最適の距離である。ここには未だ豊かな自然が残されている。ただ、ゴールデン・ウィークともなれば、観光客でゴッタ返す。春の浜辺はバーベキューを楽しむグループで埋め尽くされる。ただ、浜から道を一本入れば、そこに奇妙な花が咲いていることに気づく人々は案外少ない。
ウラシマソウ。花と呼ぶにはあまりに奇妙で見ようによっては鎌首をもたげた蛇に似た不気味な佇まいである。「鎌首」の先からは牙ではなく、鞭状の突起が地面に垂れ下がっている。その様子が釣人に似ていると見た人が浦島太郎からこの名を付けたのだろう。しかし、「蛇」というのもあながち外れではなく、近似種の「マムシグザ」は、マムシに似た形状から命名されている。私の知人にこの花を見せると「コブラだ、コブラだ」と連呼していた。濃い紫の色調と斑模様。決して美しい花ではない。でも、毎年、毎年、どこか心を牽きつけられるところがある植物である。一年に一度家を訪れる偏屈ながら愛すべき叔父さんのような存在といえば相応しいだろうか。
観音崎を訪れた観光客が、ウラシマソウのことを食虫植物と勘違いしているのを、そばで聞いたことがある。なるほど、花の奥は壷状になっていると見えないことはなく、ウツボカズラなどを連想させると言えなくもない。しかし、ウラシマソウも出自は案外身近なものだ。サトイモの一種なのだ。同種にはマムシグサのほかに、白く大きな花をつけるカイウ、カラーや小型で奥ゆかしい形状のザゼンソウ、「遥かな尾瀬」のおかげでメジャーになったミズバショウなどがある。
ウラシマソウももう少しノッペリしていて、白かったらカラーになれたかもしれないし、もう少し可愛げがあったらザゼンソウのように好事家に愛されていたかもしれない。また、尾瀬や北海道のような旅情をさそうような場所に生育していたら、唱歌のひとつにでも唄われていたかもしれない。しかしながら、ウラシマソウはウラシマソウなのだ。(メダカの兄弟ではない!)
だが私にとってウラシマソウには特別な思いがある。あの草が葉を広げ始め、今にも花を咲かせる風情を示せば、春の新学期や新年度の慌しい反面物憂い空気から抜けて、連休がやってくる。陸上競技の本格シーズンに入り、あっと言う間に佳境に向かう。四月の桜を見てもどこか億劫な気分になるが、ウラシマソウは一休みしてからエンジンの回転数をあげて突っ走るぞという気分にさせてくれる花なのである。
偏屈な叔父さんはどこにでもいる。でも、彼らの心は見た目や口の悪さと違って、案外温かい。美しくなくとも可愛げがなくとも唱歌に唄われずとも、ウラシマソウみたいな味のあるオヤジになるのも悪くはないなと、年々思いを強めている。
観光客の皆さん、路傍に一見不気味なウラシマソウやウラシマソウみたいなオヤジを見つけたとしても邪険にして頂きたくないと申し上げておこう。