ヤマモモ

道草の愉悦

 結婚式のデザートというのは厄介なシロモノである。標準的な結婚式では、媒酌人の挨拶があり、新郎新婦双方の主賓の祝辞を経て、乾杯の音頭までいい加減待たされ、やっとシャンパンから飲むことが出来る仕組みになっており、ノンベェとしては野に放たれた狼の如くハイペースで呑み始めてしまう。シャンパンは乾杯で飲み干してしまい、ビールへ移り、やがてウィスキーか日本酒へと辿り着くことになる。いわゆるチャンポン状態とならざるを得ない。料理も前菜、魚料理、肉料理と、食事というよりも完全に酒肴感覚で平らげる。従って、デザートやコーヒーが出る頃にはもうすっかり出来上がっていることも多い。なまじスピーチでもさせられようものなら、緊張から余計に酒が回っている。そこへ持ってきてケーキ類などが出てきてもなかなか手が出しにくい。

 ある結婚式で都心の地味だが洒落た式場に招かれたことがある。いつものように次から次へとグラスを重ねデザートの段になると、配られた皿に見慣れぬ果実が乗っていた。そういう席だから見慣れていなかっただけであり、よくよく見ると果物店などで市販はされていないものの、お馴染みの果実だった。ヤマモモである。デザートに出てきて、改めてヤマモモが梅雨明けに近い時期に実をつけることに思い当たった。

 小学生の頃、下校途中の大きなお屋敷の庭から、大木が道路にせり出していた。夏休みが近づく時期、その木から暗紅色の直径3〜4センチほどの実が成るのを私達は知っており、枝を揺すって落ちた実を拾って食べたものだった。果実はかなり硬く、種の周りに着いた果肉は取れにくかったが、甘酸っぱい実は美味だった。熟して黒ずんだ桑の実ほど甘くはなかったが、桑の実のように手や口を汚さないし、量感があり独特の野趣を感じた。仲間達の誰もがその木の名前を知らなかったことも、興味をかき立てる要因となった。後にそれがヤマモモであることを知ることになる。確かに結婚式のデザートに出てきても恥ずかしくない風味、風格がある果実と言える。

 元々、ヤマモモは日本の山林に自然に繁殖する植物であるらしい。特に西日本では今でも野生のヤマモモが普通に繁っていると聞く。ヤマモモは無論山桃であるが、バラ科の植物である桃とは無関係だ。イザナギ、イザナミ伝説で、産褥で命を落としたイザナミをイザナギが黄泉の国まで訪ねてゆくエピソードがある。イザナミの心身は黄泉の国ですっかり変わり果てており、朽ちた肉体を金を破って目にしたイザナギに怒って、イザナミは鬼達(亡者達)に命じて逃げてゆく彼の後を追わせる。その鬼達に向かってイザナギが投げたのは、古事記では桃とされるが、どうやらヤマモモのことらしい。なるほど桃はソフトボール大で質量があり、当たるとインパクトはありそうだが、柔らかいので鬼を追い払う効果は薄い気がする。ピンポン弾大で硬いヤマモモなら衝撃は小さい反面痛そうで、当たれば嫌気が差すようにも思える。

 関東では街路樹にもよく用いられている。強い風を嫌うようなのだが、杜氏の住む海辺にも潮風に晒されたヤマモモの姿を目にすることが多い。雌雄異株で、街路樹に使われている樹の殆どが雄だが、時折雌も混じっており徒に実を着けているのを見かける。都会の人間は街路樹になった実などには目もくれない。そもそもそれが食用になるなど思ってもいないだろう。杜氏はそれを哀れんでこっそり樹から実をもいで、後で食すことがある。アスファルトに空しく落ちて道を紫に染めるよりも、人に食われた方がマシであろう。

 目立った花を着けることはない。虫媒花ではなく風媒花なのだ。春先に花芽の先に黄色っぽい花を着ける。ただ、針葉樹と違って未だ花粉症の元凶となっているとは耳にしたことがない。花粉の大きさも花粉症を引き起こすまでには至らないのかも知れない。

 実は生食以外には果実酒やジャムにする。ヤマモモサワーなどを出していた焼肉屋を知っているが、韓国でもヤマモモが親しまれていることもあるかもしれない。杜氏は梅と同じくリカーに氷砂糖と共にヤマモモを漬けてみたことがある。色濃い実なので鮮やかな赤い酒が出来たが、味はフレッシュなヤマモモの風味が活かされていなかったようにも感じる。果実酒に使った後の実を煮詰めてジャムにもしてみたが、何しろ実と種を剥がすのが難しく嵩に比べていくらも出来なかった記憶がある。味も僅かにヤマモモらしさを残していたが、甘さの方が支配的であった。つまり、木からもいでその場で生食するのが最も相応しいのである。だから、杜氏は自分の庭にヤマモモが欲しかった。

 ヤマモモは中国でも多くみられるらしい。いや、それどころか中国原産と銘打ってもいる。そンなことはヤマモモの知ったことではないが。中国菓子でヤマモモの実を用いたものを見たことがあるし、韓国人経営の焼肉屋でヤマモモサワーなるものをメニューに発見したこともあった。味や形、樹の佇まいなど、どう考えてもアジア、しかも極東のものであることは明らかである。果実酒を飲んだ後の感触からして、何らかの薬効があるのではないかと感じた。同じく果実酒に適したクコの実ほどではないにせよ。医食同源を謳う中華料理が採用するに相応しい感覚だった。他の地方ではああいったものを果実として扱う文化がないようにも思える。現にヤマモモを表す英語は寡聞にして知らない。

 今、自宅の庭にヤマモモを植えるという長年の夢が叶った。毎年梅雨前に緑色の実を花芽に着け始め、梅雨の間中大きく育ちつつ緑から赤紫から、赤紫から暗紅色へと熟してゆくさまを見るのは楽しい。無論、収穫して食すのも楽しみである。ただ、量が尋常ではなく、少人数で食べ尽くすことは難しい。近所へのお裾分けにも限界がある。少年の頃、道草して他人の庭から失敬しつまみ食いしながら歩いた楽しさは、家に植えてみると色褪せてしまう。不思議なものである。実なりの雌木であるだけに、冬の間に枝振りを整えて丹精するのも、花芽まで伐ってしまうのが怖くてままならない。人間という生き物は身勝手なものだ。ヤマモモは本来野生の植物であり、山に昇って適量を採って食べるのが相応しいということなのだろう。

 披露宴のデザートに出されたヤマモモは意表を衝いており、また短い季節しか味わえないこの果実の野趣で列席者をもてなすという趣向は素晴らしいと感じた。しかしそこには、道草のつまみ食いといったシチュエーション自体の味までは感じられなかった。



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