ヤマノイモ

名前と実態の紛らわしさ

 トランプのスペードにはシャープな印象が付き纏う。フィリップ・マーロウと並ぶ探偵ヒーロー、サム・スペードからの連想のゆえだろうか。サム・スペードの生みの親は映画「ジュリア」の主人公、ジェーン・フォンダが演じたリリアン・ヘルマンの夫としても登場したダシル・ハメット。スペードが活躍する代表的な小説が「マルタの鷹」
 最も簡単なトランプ占いで、最初の一枚がスペードのエースだったら、占いはそこで終わってしまう。ゆえに不吉なカードとされる。スペードにシンボライズされた実在の造形モデルにしてみれば迷惑な話である。で、それは芋の葉である。サトイモなのかヤマイモなのか定かではないが、確かにその形は芋の葉そのものだ。
 杜氏にはヤマイモの葉が正にスペードだと思えるのだが、里芋、薩摩芋もどうかと言われれば自信がない。馬鈴薯は明らかに違う。ヤマイモとヤマノイモは似て非なるものだ。しかも、杜氏達の感覚では野山に勝手に生えている芋がヤマイモなのだが、これはヤマノイモである。根は自然薯として珍重される。しかし、ヤマイモの方は、スーパーで売っている大和芋、長芋、つくね芋などのような栽培種で、作物としての芋も量産可能である。
 海で岸壁などにびっしり大群を成してへばりついている黒い貝を、杜氏達はカラスガイと呼ぶ。しかし、本来のカラスガイは淡水に棲息するもっと大型のやはり黒い貝だ。海のカラスガイは意外にもイガイと呼ぶ。オヤジギャグで恐縮である。だがもっと意外なのは、この汚染された海水でも平気で繁殖する貝がヨーロッパではムール貝などと偉そうな名が付いて大層な料理にも使われていることだ。杜氏は今でもブイヤベースやパエリヤに入っているムール貝に全幅の信頼が置けないでいる。カラスガイはカラスガイじゃないか、などと思ってしまう。似たような例はほかにもいくつかある。


 よく「自然薯掘りの名人」などと言われる。ヤマノイモなど、どこの林にでも少し見回せば見つけることが出来る。一体どこが「名人」なのだ、と子供の頃は思っていた。ところが、自然薯は薩摩芋や馬鈴薯のように地表近くにゴロゴロ芋をつけるワケではない。鉛直に細長く深く根を掘り下げる。これを途中で折ることなく、完全な形で掘り出すことは至難の業と言える。しかも、細い蔓のヤマノイモからは貧弱な自然薯しか掘り出せない。土の下まで見通すような観察眼と丹念な穴掘りの技術が相まって初めて名人の域に達するのであろう。しかしながら、その生産性は極めて低い。だからこそ量産可能なヤマイモが品種改良されたのだろう。だが遺伝子上ではヤマノイモとヤマイモとでは明らかに違う種類であるらしい。
 杜氏の家の庭にも生えているくらいだから、ヤマノイモは決して山でなければ生育に適さないのではなく、あらゆる場所に生えて他の植物に絡みついている。きっと、これを「掘り出せば」などと考えついた人も多いだろう。しかし、そうしようとすると、専門の用具から膨大な時間までが要求されることになる。で、得られた芋はさして食べでがないものになり勝ちである。雌雄異株、つまり雄の株と雌の株がある。花は細かな黄色い集合体だが、虫が寄ってくるようにも思えない。雌雄異株の殆どがそうであるように風媒花であろう。だが、あれほど多い(スギよりも多いと思われる)ヤマノイモなのに花粉が人のアレルギー反応を引き起こすとは聞いていない。花粉の粒子の大きさの問題なのだろう。
 ヤマノイモは無論、自然薯として根を食べるのが一般的だが、蔓にムカゴも出来る。零余子と綴る。一見実のようにしか見えないが、これは植物の分身、いわばクローンの元と言っていい。よくオニユリの葉の付け根に黒い小さな珠が出来て、これを植えるとオニユリを増やすことが出来る。これも実や種ではなくムカゴである。ノビルの花が終わった後に先端に出来る黒褐色の粒の固まりもムカゴだ。ユリ科の植物がよく採る繁殖戦略であり、オニユリは無論のこと、ノビルもユリ科である。ただ、ヤマノイモはヤマノイモ科である。
 このムカゴも食用となる。なかなか野趣溢れた美味である。湯がいて塩をつけただけで食べられるし、白飯に鏤めて炊けばムカゴご飯にもなる。ただ、ひとつひとつのムカゴは決して大きなものではなく、これだけで空腹を満たすのは難しそうである。小さいのにひとつひとつ皮に被われているので、それを剥くのも手間である。考えてみればこのクローン、遺伝子情報地図とそれを再現する栄養源の複合体である。ヤマノイモの株がその一粒に集約されているのだから、食して美味なのも当然である。
 実も成る。三方向に延びた羽が閉じ合わさったような形をしており、羽を傾ければ小さな扇風機の羽根のようだ。風に乗って版図を拡げる戦略を採っているのだろう。また、自然薯として珍重されるくらいだから、根にも充分な養分を貯えており、これによっても繁殖する。ムカゴ、種、根と三方向での繁殖戦略がある。これも方々に蔓延る生命力を示しているように見える。

 市販されているヤマイモの類と同様、自然薯も粘りを帯びている。粘るものの常として、食べると精が着く。当然薬としても活用されるが、期待されるのは強壮効果が主であろう。子供の頃、不器用な杜氏はとろろ芋を上手く食べることが出来ずに、口の周りに芋の粘りを貼り付ける羽目に陥るのが常だった。これが痒い。とろろ芋は大好きなのに、後の痒さは恐怖の種だった。この痒さも薬効を示しているもののように思えてしまう。
 「貧乏人は麦を食らえ」と言ったのは、「バカヤロー」の一言で国会を解散させてしまった吉田茂の後継者であった池田勇人だ。とろろ芋は不思議と麦飯によく合う。とろろ飯のことを「麦トロ」などと呼んだりもする。粘りはタンパク質なのだろうが、麦もパンを形成する要因としてグルテンというタンパク質を持つ。ところが米に混ぜて炊いてみると、粘るのは米飯ばかりで麦は寧ろパサパサした印象がある。この食感が池田勇人の暴言に繋がったのかもしれない。とろろは本来搗いたり粉にしたりすると発揮される麦のグルテンの粘性を外から補って同じような性質を引き出しているように思えるというのは穿ちすぎだろうか。
 ヤマイモには特別な響きがある。お好み焼きなどで生地に「ヤマイモ入り」などと銘打たれると、それだけで結構なもののように感じてしまう。大和芋などで外をコーティングして過熱した「しんじょう」なども魅力的なイメージを喚起する。ましてやそれが自然薯ともなると、響きは光り輝いているようにすら思える。伊達に苦労して掘っているのではない。その労苦に値するから掘るのだ。

 何の変哲もない蔓草であるように見えるヤマノイモではあるが、その名前の紛らわしさといい、ムカゴで二度美味しいことといい、三方向の生き残り戦略といい、なかなかに味わいの深い植物である。



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