キマダラコウモリガ
コウモリより不気味?
世の中には実態と世間一般に信じられている定説が一致しないものが案外多い。ブッポウソウという鳥がいる。ジョウカイボン(浄界坊)と同じように仏法僧などと宗教色を帯びた字を当てられるが、その実、鳴き声が「ブッポウソウ」と聞こえることから由来するという。ところが、ブッポウソウと鳴くのは実はミミズクの類のアオバズクで、実際のブッポウソウとは別物なのだそうだ。アオバズクはこのため、「声のブッポウソウ」とも呼ばれる。「姿のブッポウソウ」が真のブッポウソウなのだそうだ。紛らわしい。ミノムシ(ミノガ)も古くから鳴くと信じられてきたが、平安人がミノムシの鳴き声だと信じていたのは、ケラのものだったという。思い込みとは恐ろしい。
冬虫夏草という霊験あらたかな薬がある。中国女子長距離で一昔猛威をふるった馬家軍はこれを摂っていたから強いと自称していた。ある地中に棲む昆虫に特定の菌が寄生し、遂には寄主を殺して地上に姿を見せたものを根元の虫ごと引っこ抜いて薬用に用いたものだ。中国でも貴重なものらしい。よく漢方薬専門店のショウウィンドウに、他のゲテモノと並んで陳列してある。その寄主がコウモリガの幼虫なのだと言う。コウモリガは極原始的な鱗翅目昆虫で日本にも普通に見られる。ところが日本には似て非なるものであるセミタケとかは存在しても、ありがたい薬効を秘めた冬虫夏草は見られない。菌の方が日本にはいないのだろうなどと考えられてきたが、最近やっと謎が氷解したようだ。中国のコウモリガと日本のコウモリガでは全く別の昆虫であったそうなのだ。これでは、冬虫夏草など求むべくもない。
馬家軍の強さの秘訣が冬虫夏草であったなどというのは、言うも言ったり、白々しさもここに極まるハッタリで、本当はもっと危ないシロモノだったに違いない。樹立後十何年も破られない馬家軍の記録がいくつか残っているが、その非常識さ加減は、これまでの例からして、樹立者が医学的、生物学的には男性であったか、そうでなければイケナイモノの助けを借りていたかの何れかである。冬虫夏草はイケナイモノでは決してない。
さて、冬虫夏草とは何の関係もない日本のコウモリガであるが、これまた奇妙なガである。開帳は60mmから100mm近くになるというから、かなり幅があるものの大型に属する。翅を畳むとアケビコノハのように奇妙な屋根型となるが、多くのガと異なり、翅で身体を完全に覆うことが出来ずに、腹部がはみ出している。前肢と中肢で、今にもずり落ちそうな不安定さで壁などにしがみついて停まる。その様子がコウモリに似ているからついた名なのだろうか。だが、一説にはコウモリのように飛ぶからそう命名されたとある。杜氏は飛んでいるコウモリガを見たことがないので、何とも言い難い。口吻は存在せず、羽化後は何も摂らない。この辺りはカゲロウ、カワゲラを思わせ、進化上、これらが先祖を一にすることを物語っている。ただ、何も摂らないワリにはコウモリガは成虫として長く活動する。羽化は六月であるが、産卵は八月だそうだ。よほど幼虫時に栄養を充分に摂ってくるのだろうか。それを物語るのが、幼虫期の長さで、大概の鱗翅目は幼虫期、蛹期を併せても一年未満なのに対して、コウモリガは二年を要して羽化するものが殆どであり、条件が揃えば一年で羽化することもあるらしいが少数派なのだそうだ。幼虫は鱗翅目昆虫の幼虫というよりは、甲虫であるカミキリムシやタマムシに近く、乳白色で細長く、終令ともなれば、80mmにも達するという。
成虫の産卵も変わっている。殆どのガが一箇所にある程度まとまった数の卵を産みつける。それを何回か繰り返す。捕食者に抵抗すべき手段を持たない幼虫にとって、数は生き残りの武器になる。仲間が食べられている隙に難を逃れることが出来る。ところが、このコウモリガは農薬の飛行機、ヘリコプターによる空中散布のように地上1m程度の中空から卵を大量に地上へと無差別にばら撒くという産卵方法を採るらしい。上述した通り、杜氏はコウモリガの飛翔そのものを見たことがないので、この破天荒な産卵風景も知らない。普通のガが一箇所に卵を産むのには、幼虫の食草、食樹の一部に確実に産み付けるという事情にも拠っている。だとしたら、コウモリガの食草、食樹は? これがまた変わっている。何でもいいらしいのだ。しかも、若令の幼虫は草木系、つまりは柔らかい草の葉や茎を食べるが、ある程度成長すると本木系、つまりは樹の中に穿孔し木部(といっても表皮に近い部分だろうが)を食べるようになるらしい。従って、カミキリムシの幼虫などと同様、コウモリガの幼虫にはその気にならなければお目にかかることが出来ない。
この性質が人間には厄介で、スギ、クルミなどの樹木を枯らすほどの威力を忌み嫌われることになる。最も好むのは葉から嫌な臭気を発するクサギで、栽培種ではないし寧ろ人間から好かれない樹であるので、クサギを食っている分には害虫扱いもされないのかもしれない。ところが、雑食性で食樹を選ばないので厄介者扱いされる。コウモリガは樹の地上に伸びた部分を穿孔するが、キマダラコウモリガは地下に隠れた部分を好むらしい。地下の方が確かに豊富な養分が摂取できる気がする。そのためなのかどうか、最近では北海道の道南地方の馬鈴薯にキマダラコウモリガが穿孔し、芋(地下茎)の中に救っているという被害が見出され、新たなパターンの害虫の事例として発表されている。人間が好んで食べるものなら、ガだって欲しがるに決まっている。増して、コウモリガは羽化したら最後、三ヶ月の長きに渉って呑まず食わずで生き長らえる必要があるのだ。
選り好みをしないことが、コウモリガを人間にとって凶悪な昆虫にする。コウモリガにしてみれば、無差別に卵をばら撒いているに過ぎないのだ。その卵が着地した地面に何の植物が生えているかが、運命を決する。また、草から樹へと移るコウモリガは、その段階では闇雲に行動するのではなく、本能的に巣食う樹を選んでいるハズである。樹精が強く成長途上の樹木には、外敵から自分を防御するシステムが活発に働く。徒にそういう生きのいい樹を選べば、コウモリガの方がヤニに封じ込められたりして頓死する可能性が高い。枯死へと向かい抵抗力が働かなくなった樹が選べれるのは当然なのだ。長い目で見れば、コウモリガは樹の繁栄には貢献している。老齢で資源ばかりを占有する樹が若木に環境を譲らなければ、種は衰退する。カミキリムシにせよコウモリガにせよ、その引導を渡しているのだ。人間がその老樹からも尚、利益を貪ろうとすることこそが強欲であるのだ。
おもしろい話がある。長野の伊那地方に、昆虫が食材として活用される習慣があるのは何度も書いた。蜂の子、バッタ、ザザ虫などである。海の幸に恵まれない地方の貴重な蛋白源なのであり、事実ザザ虫の成分を分析すると、非常にバランスの取れた優れた食品であることが判明したのだと聞く。フランス人を罵倒する言葉に、「このカエル食い野郎」とか「カタツムリ旨いか?」などがあるらしいが、他国の食文化をバカにしてはいけない。そういう英米人の食文化など他に誇れるものだとはとても言えないだろう。中国料理が旨いのも、華僑の商売上手な世界戦略があるのは別にして、熊の手(蜂蜜が沁みたもの)、イワツバメの巣(実は唾液)、サメの鰭、蚊の目(実はコウモリの糞)など、奇想天外なものまで食卓に載せてしまうイマジネーションに負うところが大きい。日本の海産物に対する食性の豊かさも、欧米人からは中華料理に共通するものがあるらしい。その海産物が求められない地方の食文化が多様化するのは自然な成り行きである。
その伊那地方では、コウモリガの幼虫も食用になっているのだという。確かにカミキリムシの幼虫は焼いて食べると大変な旨さであると聞くし、コウモリガも同じ食生活をしている。乳白色のチューブ状なのも共通しているし、80mmにもなればそれなりに食べでもある。常識に捉われなければ、不味かろうハズがないと感じる。コウモリガを不倶戴天の敵と見る地方の農業従事者は、にっくきコウモリガの幼虫を食べてしまえばいいのではないだろうか。または逆手にとって、大量に捕獲して調理し、商品として儲けてしまうとか・・・・。それが出来れば苦労はないか。
コウモリガは地味なガの中でも地味なガである。同じキマダラの形容を持つキマダラヒカゲなども地味ではあるが、キマダラコウモリガなどは、どこに黄が混じっているのかと訝るほど地味である。だが、古来の羽化したら何も摂らない原始的な生活習慣を維持しながら、コウモリガが種を維持できたということは、きらびやかなチョウという生き方に走らずとも、鱗翅目は発展を遂げられたのではないかというテーマを投げかけているように感じるのは、チョウの厚化粧に拒絶に近い感覚を憶える杜氏の偏見なのだろうか?
コウモリガはコウモリよりも不気味かもしれない。だが、コウモリガにとって、人間の目にどう映るかなど眼中にはない。
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