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VOL40・一歩越えて
何かに取り組む、ということには2つの種類があります。今まで全くやったことのないことに取り組む場合とこれまでにやったことのあるものに再び取り組む場合です。 このところ私はいくつかのことをはじめました。そのうちの二つがパソコンと車の運転です。この二つは私がずっと彼(コオ)に物理的に頼ってきた部分でした。パソコンについてはこうしてメルマガを発行できているのも彼がいろいろと管理してくれているからであって、私自身はかろうじてメールのやり取りがこなせる程度です。車についても同じです。 私はこの二つに関して「やってくれるんだからいいじゃない」的な発想でこれまですべてを任せてきたのです。けれども今一度やれることはやってみよう、と決心しました。これに伴って日常の細々したことまで子供のころから言われ続けてきた「自分でできることは自分でしましょう」をあらためて実践することになり、自分でもため息が出るほどいろいろなことに気づかされています。 日ごろいかに自ら動くことを厭い、人に頼んでばかりいたのか、人に頼んで相手が喜んで引き受けてくれないことに腹を立てていること、また自分ができることを自分でこなせば人に頼まなくてはならないことは実際にはほとんどないことにも気づきました。私は物理的にではなくただ精神的に人に頼りたかっただけなのです。
話は少しそれますが、地球交響曲第2番に出演なさっていた森のイスキアの佐藤初女さんが著書の中でこう書かれていらっしゃいます。 「私面倒くさいっていうのが一番嫌なんです。ある線までは誰でもやること、そこを一歩越えるか越えないかで人の心に響いたり響かなかったりすると思うので、この辺でいいだろうというところを一歩もう一歩越えて。ですからお手伝いいただいて「面倒くさいからこのくらいでいいんじゃない」っていわれるととても寂しく感じるのです。」 人に頼ることは悪いことではありませんし(頼ってくれる人がいるから愛を与える機会を得る人もいるのですから)、適当に物事をこなしていくことも時には必要です。けれども自分をもう一回り大きくしたいと感じる時は自力で今していることをもう一歩踏み込んでやってみることも必要です。 私はパソコンも車の運転も初めてのことではありません。パソコンには毎日触れておりますし、車も10年前までは毎日通勤に使っておりました。まったくの初心者でしたら今これらをはじめていたかどうかは分かりませんけれども、少なくとも今の私にはそれを使う能力をわずかな経験とともに持っているわけです。ですからもったいないな、と。
それらを使いこなさずに新しいことを始めていってもそれは冷蔵庫の中にどんどん新しいものを詰め込んで中のものを腐らせることと同じになりかねません。持てる力を中途半端にしか出さずに個性を思いっきり表現するなどとは所詮無理な話だとも言えるでしょう。 私がお会いする方の中にも自信をつけるために何かを始めてみたいという方が多くいらっしゃいます。でも時間やお金に余裕がないという方もあります。そういう場合はできない理由を考えつづけているよりも、今手にしているもの、20年30年と生きてきた中で培ってきた、完成されていないけれども使えそうなものに目を向けていくことも方法です。
全く新しいものに手をつけることもいいですけれども、ほとんどの方の場合私のパソコンや運転のようにたとえわずかでもできるものがおありになるはずで、それらを100%回転させ、さらに120%、150%と増やしていくこの方がよりスムーズに流れていきます。無から有を生み出すよりも今もてるものを大きく育てるほうが苦しみも少なく、道も穏やかです。 確かに今の私のパソコンのスキルは小学生並みでほとんど使い物になりません。彼に2度と同じ事を聞くまいと(!)自分用のアニュアルを作ったばかりです。できないこともたくさんありますのでその部分はありがたくお世話になっていますが、やがてひとりでHPの作成や更新作業ができるようになれば、また違った仕事の展開もありえるかもしれません。そのように大きく展開していく可能性も能力を100%使いこなせばこそですね。そのことに気づいたのです。
前出の初女さんのもとには世の中ありとあらゆる食べ物があふれる中、初女さんの握るおにぎりと手作りの梅干しを食べるために全国から人が訪れています。彼女は決して特異なスキルを身につけているわけではありませんが、彼女の物事を中途半端にしない姿勢と、すべてを神に委ねた献身的な愛が1個のおにぎりを通して生きる力を失った人々をよみがえらせています。おにぎりなんて誰でも作れる、でもそこに込められた初女さんの誰にも真似できない真摯な姿が人を感動させるのです。自分を一回り大きくしたいと思う時、あるいは人のために何かできることを探したいと思う時、とりあえず今自分が何を持っているのか、持っているものをより自由に使いこなせるようするにはどうしたらいいのかを立ち止まって考えてみることです。
今使っていないけれども持っている力を外に出すこと。今使っている力を今よりも少しだけ丁寧に、今よりも少しだけつきつめて、自分が普段思っているより「一歩だけ」踏み込んで人や物に関わっていくことで変わっていく世界があるはずです。今私はパソコンや車に触れることをきっかけにほとんど変わることのない生活を全く新しい感覚で過ごすことを楽しんでおります。 美保 =================================== パートナー・コオの気づきの日記
胎児期退行催眠について 胎児が意識を持っていて何かを感じることができるのかどうか?について確定的な証拠はありません。胎児にインタビューすることはできないので検証は不可能です。そういう意味では胎児期退行催眠の記録は状況証拠でしかありえません。 しかし、M・ゲイブリエル夫妻の「胎児は語る」(潮文社)にはその記録が大量に載っています。そしてその本に登場する受けた方々は胎児期退行催眠のセラピーとしての効果を実感していることが読み取れます。 わたし自身は魂の存在と輪廻転生を「信じる」というよりは「存在するはずだ、しないはずがない」という考え方を持っています。地球のあらゆるレベルにおいて行われている営みの本質は「不連続の連続」であると考えているからです。 花が咲く、枯れる、また花が咲く。花が咲くということにフォーカスすれば「連続」です。でもそれは同じ花ではありえないという視点で見れば「不連続」です。 この輪から人間の意識(魂)だけが外れて1回限りで「はいおしまい」となるにはあまりにも人間の体や環境のシステムは精巧にできすぎています。こんなに精巧なものを生み出す母体となったこの宇宙の根幹である生命システムがそんなに不完全で拙劣であるはずがない、というふうに感じています。 前置きが長くなりましたが、自分は胎児の状態でも「意識」が存在するはずだと信じていますし、それは通常言われるような意識ではなく子宮のなかという人生においても特別な状況での「意識」であると思っています。この本の中ではそのことを実感できるセラピーの実例がたくさん扱われています。そして胎児期の特徴を一言であらわすと「胎児の意識は母親の意識と一体化している」ということです。このことがその後の人生に大きな影響を与えるような経験を作り出すうえで基本的な構造になっています。母親がおなかの中の子供をどう感じているか?を胎児は完全に意識しています。「まだ子供を産んで育てる自信がない」「子供ができてしまうなんて。もっと遊びたかったのに」「もう子供は欲しくない」などの母親の否定的な気持ちを感じ取ると胎児はどうなるでしょう?この気持ちを論理的に判断するにはあまりにも彼らは母親と一体化しすぎています。つまり状況を考えて「そう考えるのも仕方ない」などと思いやってあげることはできません。自分がそういう感情に包まれてそのような世界(子宮)にいることでいつか自分が出て行く世界もそのような場所に違いない、と感じてしまいます。
「したがって愛情に包まれ歓迎されていると感じながら育った胎児が人生とは当然ながらよいもので心を躍らせるチャレンジと自己実現の機会を与えてくれるものだと思うのも不思議ではない。そうした状態とだれからも望まれずだれも頼る人がいないと感じている胎児とを比較してみてほしい。このような人が人生を辛くさびしいものだと感じ自分を嫌な人間だと思い生きる気力に欠けつかの間の幸せが来てもすぐに不幸に見舞われるだろうと感じるとしても不思議ではない。」(同書P74より引用)
ややステレオタイプな表現ではありますが一般的にはこのような傾向が見られるという意味だと解釈できます。ただ同じように親から拒否されても胎児の見せる反応はさまざまで、心を閉ざすタイプ(生まれた後、周囲の人々とあたたかい関係を保てない)自分の価値を認めさせようとするタイプ(人から認められようとがんばりすぎて周囲とのあつれきを生む)嫌われるのは自分の責任だと思い込むタイプ(自分の価値を認められない)などが詳しくインタビュー形式で説明されています。 どの例も痛ましいまでの子宮での感情体験を償おうと必死の努力をして生きていきますが結局うまくいきません。退行催眠療法を受けて子宮の中で味わった感情が論理的でないこと、また胎児であった自分に責任はないこと、抑えていた感情を吐き出したりすることで徐々に心の重荷を取り除いていきます。
また催眠状態では自分の意識状態だけでなく側にいる人間の意識を感じることもできるので出産中の母親の怒りが自分に対するものだとばかり思いこんでいたものが実際は処置をしている看護婦への怒りだったことを理解できたり、母親だけでなく当時の父親の気持ちを思いやって認識を新たにすることも可能なのです。 実際この本の中でセラピーを受けている人たちは催眠中は読心術でもできるかのようにだれの意識にもアクセスできる様子が描かれています。そして当時の状況をもう一度別の視点から見直すことで新たな認識を得てさまざまなパターンのヒーリングプロセスが生じていきます。と考えていると「胎教」のようなものも新たな意味が生まれてきます。「自分のお母さんがなぜこんなことをしているのか」の本当の理由を胎児は感じ取ります。もちろん「赤ちゃんのため」だとお母さんは思っていらっしゃるでしょう。
でも、その基本に赤ちゃんを無条件で受け入れる心があるだろうか?優秀な赤ちゃんが生まれて欲しい、というエゴが見えないか?条件付きの愛になっていないか?だれでも、どんな人でも子供の幸せを願わない人はいません。でもその時自分の子供を所有物のように自分と区別できなくなっていないか?ちゃんと別の魂を持った一つの人格としてみているか?これは実際におなかに赤ちゃんがいらっしゃる方にとってはシビアな質問ですね。振り返って自分の場合、どれもはっきりと答えられる自信はありません。面白いのは妊娠初期は赤ちゃんの魂は体を「出入りしている」ことです。魂がもともといた世界から引き離されるのに辛さを感じているケースが結構あります。数ヶ月して肉体に完全に入ると魂のいた世界とはっきりと切り離されて狭い場所に押し込められたような不自由な感じを体験するようです。それから後はこの地球での人間としての経験が本格的にスタートしていきます。もちろん催眠によってその前の段階、いわゆる中間生(転生と転生の間のインターバル)や過去生に戻っていくことも可能です。中間生を見ると必要であれば今世の計画を知ることや別の人生の反省をしたり、といったことができます。過去生を見ると、今の自分の周囲にいる人との深いつながりを感じることがあります。(現在の家族や深いつながりを感じる人は何度も同じ家族のメンバーとして別の人生を送っていたり、何度も同じ時代に関係の近い人間として生まれ変わっていることが良くあります)自分も美保さんとは何回か兄弟、夫婦として生まれ変わっているみたいです。このあたりの話はおもしろいのですがまた別の機会に。
優秀なチャネラーであればチャネリング、リーディングなどによっても過去生を見たり、中間生での計画を知ることができます。ただ催眠の良いところは「自分がそれを知っている」という感覚を持てるところ、そしてそれを強く確信できるところ、だと思います。自分以外のところから出てきた情報のほうが信じられるというタイプの人もいらっしゃるでしょうし、催眠の場合たいていは感情の解放を伴います(過去生を見ていく場合は幼児期退行催眠ほどではありませんが)のでしんどい面もあるかもしれません。 でも「自分が何者かを知りたい」、という根源的な強い気持ちを持つ人は必ず何かを試さずにいられなくなると思います。最後に先ほどの本に大切なメッセージがありますのでそれを引用して終わります。 「すでに親である人々へ。本書で述べたような講演をすると話が終わった後で会場がシーンと静まって緊張感が漂う。子供をもつ人たちの頭には次のような想いがよぎっている。「妊娠中にとりかえしのつかない過ちをしてしまったことが今わかった。私は子供をすごく傷つけてしまった」こうした場合に自責の念や後悔の言葉がよく聞かれる。親たちの中には自分を非常に激しく責めたりする人たちがいる。ところがこの人たちを見ると、どこにでもいる普通の人間なのである。私たちはだれしも理想的な人生を送りたいと望むが現実には多くの悩みがあり、できるだけの努力をしながらなんとか問題に対処していく。過去を振り返って自分を批判するのはごく自然な行為である。だがそこで自分を責めるのではなく当時の自分を理解してやり思いやりの気持ちをもって許してやることが非常に大切であると思う。ありのままの自分を受け入れ愛するというのはたやすいことではない。自分と同じような問題を抱えている人たちに対して私たちが示す思いやりのある態度を、自分自身にも向けることはできないだろうか。 皮肉なことにあなたが「もっとよい親」だったらあなたはその子供の親になっていなかったのかもしれないのである。親と子供は互いの魂の成長と進化を促進し合うために親子の縁を結ぶのだと私は信じている。魂の選択は無計画に行われるものではない。親子の絆で結ばれるのは「よいこと」も「悪いこと」も含めたあらゆる経験を通してともに学ぶためであり私たちの長所とともに短所もある意味では自分の家族の成長と発達に貢献しているのである。」引用ここまで(同書238ページより)
マトリックスからのひとこと英語コーナー2 「入口までは案内するが扉は君自身で開けろ」 But I can only show you the door,you are the one that has to walk through it. 後半の関係代名詞thatはほとんど聞き取れませんねぇ。もしかしたらwhoかも?最後のitも言ってるはずだけどあまり聞こえません。英会話の真のコツは会話の流れ、相手の表情、しぐさ等から次は「こう言うはずだ」と予想して実際に聞き取れる単語から文章の全体を類推する、ということです。この練習をするには好きなビデオのワンシーンを何度も繰り返し見て、なんて言ってるかを聞き取っていくのが最高の勉強方法だと思っています。何度繰り返し言ってもらっても怒られないしね。しかしマトリックスはクールなセリフがいっぱいあって最高ですね!トップガン以来です、こんなハマリ方をしてるのは。
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