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VOL41・所有することの責任
以前世界中でいろいろなフラワーエッセンスが作られていることをお話しました が、私は最近フィンドホーンのフラワーエッセンスに興味を持っています。 フィンドホーンではマリオン・リーさんがご自身のガイドや花のデーバ(妖精) 達とコンタクトを取りながらエッセンスを作っていらっしゃいますが、 その花を通じて伝えられるデーバのメッセージがどういうものなのか、ちょっと 不思議な世界ではありますけれども垣間見てみたいと思ったのです。
そこでとりあえずフィンドホーン関連の本を読んでみようと思いたちました。 ですが書店で注文すると2,3週間はかかりますし、もう少し早く手に入れる 方法はないものかとしばらく考えていました。けれどもなかなかいい案が浮かば ず、そのままウトウトしていると、おもしろい夢を見たのです。
それは自分がフラワーエッセンスを扱っているショップで本を立ち読みしている という夢でした。そして手にしている本の題名を確かめようと思ったところで 目が覚めたのです。
起きている間はエッセンスよりもフィンドホーンのことに意識がいき過ぎていて 思いつかなかったのですが、確かにエッセンスが置いてあるショップならば フィンドホーン関連の本も置いてあるはず。そして次の日私はめでたくフィンド ホーン共同体を築いたアイリーン・キャディさんの書かれた本とフィンドホー ン・エッセンスに関する本を手に入れたのでした。
人によっては夢日記をつけている方もおありでしょうが私はあまり夢を見ないほ うなので、夢に導かれて欲しいものを手に入れたときの嬉しさはなんと表現した らよいのでしょう。ですが一般にフラワーエッセンスを飲むことでよく眠れるよ うになった、よく夢を見るようになったという話は決して珍しくはありません。
たとえばFESのスターチューリップやアンジェリカ、アラスカのルティレイ ティッド・クォーツなどは夢を見やすくしてくれるエッセンスでもあります。 私も夢を見ることを意識しだしたのはフラワーエッセンスを飲みはじめてからの ように思います。
ところで今手元にある本の中の一冊がアイリーン・キャディ著「心の扉を開く」 という本で、これは彼女が自分のガイドから受け取ったメッセージを1日1ペー ジという形で365日分にまとめてあります。なんとも心地よくすぐに眠たくな ってしまう本なのですが、その中に私が非常にインパクトを受けたメッセージが ありました。
要約すると「わたし(注・ガイドのこと)はあなたが必要としているものはふん だんに与えることができます。ただし必要でなくなったものはすべてわたしに返 してください。所有することは考えてはいけません。そうすればまたあなたが新 しいものを求めた時にすぐに与えることができます。わたしが与えたものを受け 取ることができる空間を心の中に作っておいてください」というものです。
これまでの多くのメッセージは「求めれば与えられる」、「思いは必ず実現する」 というものでしたが、それはこの「必要なくなったものはいつまでも握りしめて いてはいけない」ことを前提としているというのです。
今必要としていないものであればそれを必要としている人のところへまわして ものの「命」を生かしてあげる。才能や技術があればそれを必要としている人の ために惜しむことなく使っていくことで自分と相手のお互いの命を生かしていく。
「適材適所」といいますが世の中はすべてが一枚の大きなパズルになっていて、 一つ一つ小さなピースに別れているようなものです。すべてが必要なところへ 収まるように絶えず流れを循環させておくことで、すべての人が欲しいものを 手に入れることができる、もちろん自分のところにも必要なものはまわってくる ようになります。必要なものを手に入れ、必要ないものは快く神様にお返しする、 それがとても大切だというのです。
そうはいってもこれはなかなか難しいことですね。たとえばものでいえばせっか く苦労して手に入れたもの、思い出の品、今は使っていないけれどもいつかは 使えそうなものなど、今はいらないけれど手放せないものがどんなにたくさん あることでしょう。
もちろんものを持っていることは自由なのですけれど、ものにも命があります。 それらを所有している人はその命を預かり、管理しているのだということを忘れ てはいけません。そして実際それらすべての命を生かせるように管理するのは かなりのエネルギーが要ることですし、そのために自分が今本当に受け取りたい と思っているものが(それは目に見えるものだけではなく)受け取れない、受け 取るエネルギーも空間も残っていないということにもなりがちです。
私は自分を振り返ってみて今は使っていないもの、これから使うかどうか分から ないもの、思い出の品、将来の不安に備えてとりあえず手元においてあるもの、 面倒だと思って出し惜しみしている内なる力、それらがたくさん詰まった「倉庫 の番人」にようになってはいないだろうかと考えてみました。
私がなるべきなのは「倉庫の番人」ではなく、その中身の使い手なのですから。
そんなことを思っていたとき、息子の桂が大事にしているビー玉を持ってそばへ 来て言いました。 「ママ、宝物っていつ使えばいいの?」 そうです。「宝物はどこへしまっておけばいいの?」ではないのですね。 宝物は宝であるからこそどんどん使って喜ぶべきなのです。そして自分が使えな い宝であるならそれを使ってくれる人を探すことこそが所有者の責任というもの です。
桂は今ビー玉を使って遊ぶおもちゃを作ろうといろいろとイメージを膨らませて います。そんな姿を見ていて親であることの幸せを感じると同時に、彼が命を 生かしていくことの意味をしっかりと理解してくれる子になってくれたらいいな、 などと久々に親らしいことを考えてしまいました。
美保
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パートナー・コオの気づきの日記 「山で暮らす猫にはなりたくない」
いきなり唐突なタイトルですが、以前読んだ本の中で出てきた表現です。前提と してすべての猫が魚が好きだとして…
一生を山で暮らす猫は自分の一番好きな食べ物である魚を知らず、魚に出会わな いまま死んでいく。それではあまりにももったいない。
という意味です。もちろん魚を好きでない猫もいるかもしれませんし、山で、 もっと好きなものに出会っているかもしれません。ですから完全な比喩としての 意味だと捉えて欲しいのですが、つまり人間も含めてすべての生命あるものには 自分にとって最高のもの(猫にとっての魚)が存在する、ということです。
もちろん人間の場合はもっと複雑な生き物ですから、個人個人にとっての最高の ものがあるかもしれないし、ひょっとしたら人間に共通の「何か」があるのかも しれない。そしてひょっとすると山に暮らす猫のようにそれにまだ出会って いないかもしれない。
これをしているとご飯を食べるのも忘れてしまう、お金がぜんぜん儲からなくて もこれをやっている自分が大好きで幸せ!ぐらいその「あること」に没入できる 何かを持っている人は、その人にとっての「魚」に出会っているのでしょう。
サーフィンにはまっている人の中にこういう雰囲気の人がたまにいますね。何か 別の世界を見ているような…
そして、そういう人に会うと「ああ、自分もこういうふうに何かに打ち込みたい なぁ…」と感じることもあります。
自分もまだ「魚」を見つけていない。でもいつかはきっと見つかるはずだと 信じています。それを探し続けさえすれば、あきらめさえしなければ。
そしてわざわざ山に生まれた猫は「今回の人生(猫生?)では山に生まれて、 慣れ親しんだ日常の世界にふと不満を感じて軽やかにその場所を離れ、海までの 大冒険をして魚にありつこう!うーんこれは楽しそうだニャ」と決めていたのか もしれません。
あるいはその場所でずっと「おかしいな、こんなはずじゃニャイ」と思いながら も耐えていくことを学びとして課していたのかもしれません。
でも一番大事なことはあらゆる生命にとって生きていくということが一瞬一瞬、 「選択」の連続であり、そして「今この瞬間に自分がどっちを選ぶのか」という 究極の自由は「自分」に与えられている、ということです。その認識をもってい れば今回の人生の計画を変えることももちろん可能なのです。
あなたはどちらを選ぶのでしょうか?
青いピルですか、それとも赤いピルでしょうか…
マトリックスからのひとこと英語コーナー3
「道を知ることと道を歩むことは違う。」 There's a difference between knowing the path,and walking the path.
このセリフはどこかで聞いたことがあるような気がしたけど英語で表現されると すごく納得がいくというか、とにかく英語はあやふやな表現をしないのでスッキ リしていますね、これも大好きな言葉になりました。
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