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VOL・44「コオの気づきの日記」 *今回は「コオの気づきの日記」の後に美保さんの日記があります。
トラウマ(心的外傷)について
もともとは心理学の用語である「トラウマ」という言葉も最近では普通(?)に日常の会話で使われるようになってきています。一般的には何かショッキングな出来事でそれが後になっても忘れられなくてその人に影響を与え続けるものというニュアンスで使われているように感じます。すると「子供時代は結構幸せだったし、そんなひどい経験をした覚えはないから私はたぶんトラウマはないんじゃないかしら」という方もいらっしゃるかもしれません。自分がクライアントとしてあるいはセラピストとして退行催眠での感情の解放を何度も経験してきて感じるのはトラウマになるかどうかのポイントはその出来事の大きさではなくてそれを外に出さないで我慢してしまったかどうか?という点にあるように思います。
それが心のある部分に溜まっているとまるで圧力なべのように圧力が高まっていって心の不安定な状態、ひいては現実世界との違和感、現実の体調不良や病気などを作り出している、というしくみになっているようです。
ただし、これは本人もその出来事自体を忘れているような小さなことであったり覚えていても通常の意識(顕在意識)では、そういうふうに認識していない、ということで気づかずにいることが多いように感じます。 自分は先日、セラピスト同士でセッションの練習をする集まりに出席して退行催眠をクライアント役として受けてきました。「もう、何も出てこないような気がするなぁ、もし出てこなかったらごめんなさいね」と先に謝っておいてセッションに入りました。そして催眠中に浮かんできた場面は小学生時代、弟と公園へ行っての帰り道、自転車に乗っていた弟が車にはねられた場面でした。この事件は長いこと忘れていましたが思い出そうと思えば思い出せる、という感じの出来事です。
そして自分は何を感じたかというと車に跳ねられて自転車が壊れてしまったこと、でも弟は大丈夫だということ(怪我はしないですんだ)を早く母親に知らせなくちゃ!という思いと、母を心配させないように話さなくちゃ!という強い思いでした。(母はとても心配性だったのです)これは今でもはっきりと思い出せるし、でもそのことを思い出してもわりと普通でいられるというか、つまりその感情はその時強く味わったので、思い出しても特に大きな感情の動きはなかったのです。自分が驚いたのはこの後で、気がついたら自分は運転手がその場から逃げたことをめちゃくちゃに怒って悔し涙を流しているのでした。
自転車が壊れて、弟が怪我をしているかどうか分からない状態だったのに、そしてこんなにビックリして困っている私たち二人をちらっと見て、さっさと逃げてしまった冷たい無責任な運転手。
これには本当に驚きました。今までにもこのできごとを思い出したことはありました。母は僕が「おまえは弟が大丈夫だというのを一番最初に言ったんだよ、私を心配させないように」という感じでこのできごとを振り返ることがあったのです。でもそういわれてもこの運転手のことを思い出したことはありませんでした。
そして強い怒りの言葉を悔し泣きながら吐き出した後はかなりスッキリと催眠から目覚めました。そして「あぁ、こんなにあの運転手のことを怒っていたのか、そしてそれに気づかないでいたんだなぁ」と、とても不思議な気分になりました。
こうやってできごと自体は覚えているのに抑えた感情については覚えていない、という状況が有り得ます。それを再体験して解放するために催眠は非常に有効なツールであると認識を新たにしました。
また別のセッション練習会のときに「どうしても催眠で幼児期に戻れない」という女性の方とペアを組みました。で、幼児期に戻れないのであれば「今日行くべき場所へ連れていってくれます」という感じの非指示的な暗示でやってみると、いきなり大声で泣き出して自分が仕事でひどい扱いを受けた数年前の場面を再体験しその場で感じていた感情を思いっきり吐き出しつづけました。30分ぐらいは泣いていらしたでしょうか。
それから落ち着いてこられたときを見計らって、深いリラックスを感じられような暗示をし、加えて再び立ち上がるエネルギーが湧き起こるような方向に暗示をしました。で、セッションの後「今のって催眠なんでしょうか」って聞かれて「え、めちゃめちゃ催眠じゃないですか?感情を思いっきり吐き出してたように見えましたけど?」「でも幼児に戻ってないし…。」ということで幼児期とか過去生とかに戻れないと催眠ではない、という思い込みもあったりします。
でもここまで読んでいただければお分かりのように強い感情を押さえつけた、あるいは不十分な解放しかしていない(後者の彼女の場合は友人にこのことを相談したりしている)場合にそれを「思いきり解放する」ことで別の心の状態を手に入れることができるのなら、それは戻った場面がいつであれ立派な催眠の効果といえるのではないか、と考えています。自分もまだまだ何か押さえつけているものがあるかもしれません。練習会へ出かけるのは楽しみでもあり、ちょっと恐くもあり、という不思議な気持ちで出かけています。
コオ
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パートナー・美保の気づきの日記
シドニーオリンピック開幕以来夜更しが続いております。柔道の田村選手が金メダルをとった瞬間、中田選手がPKを外した場面、高橋尚子さんのゴール後のさわやかな笑顔…。よかったね!と感動したり、残念!と悔しくなったり、流されるVTRを見てはその度に声を上げたり涙ぐんだりしています。よくTVなどでは「あの感動を再び」という言い方をしますが、おもしろいもので「思考」は時間的概念をつかめますが「感情」はそれができません。ですから頭では過去の出来事を思い出しているつもりでも心の方はそれが今起こっているものと捉えてリアルタイムで反応します。また例えば自分の大好きな場所をイメージするだけでリラックスできるように感じるのは、心は実際にその場所にいるかどうかを関知しないからです。
このように心は時間や空間にとらわれることがなく「今」という瞬間にしか存在していません。そういうわけで過去のたった一度の見事な一本勝ちのシーンで何回も感動したり、ということがありうるわけです。そしてもちろんこれはネガティブな感情についても同じことが言えます。例えば上司にひどく注意されたことがあるとします。それがたった1回だとしても自分が100回思い出せば心は100回上司に注意されたと同じように受けとってしまい、結果的に1回の注意で100倍のショックを受けてしまう可能性があるわけです。
「あれはもう過去のこと」ということを「思考」は理解しますが「感情」は理解できません。人から言われた悪口を何ヵ月も考えつづけていれば何ヶ月間も毎日悪口を言われ続けるのと同じように心は受け取ってしまうのです。この感情と思考の違いを理解しておくのはじつはとても大切なことです。そうすれば一度転んでできた傷のかさぶたを不用意に何度もはがして新しい血が流れるのをある程度は防げるからです。
でも思い出さない方が良いと分かっていてもそれを思い出さずにはいられない、ということは誰もが経験していることですね。その場合には大概、その時の感情をきちんと適切な方法で表現できていないことが原因となっています。その時どれほど自分が傷ついたか、哀しかったか、悔しかったか、を言葉にして吐き出すことであるいは涙を流すことでようやく過去を過去として受け止めることができるようになります。
「怪我をした」事実は残ってもかさぶたを剥がさずに生きていかれる、もう新しい血を見ることのない前向きな生き方もその時点で初めて可能になってくるのです。
その意味でヒプノセラピーの役割はとても大きいものと思っておりますし、またフラワーエッセンスも過去を忘れるためではなく、過去の感情を適切に処理していくためにとても効果のあるものです。
例えばハニーサックルやスターオブベツレヘムのような過去のショックに対応するエッセンス、マリポサリリーやベビーブルーアイズ、イブニングプリムローズのようにインナーチャイルドに対応するもの、あるいはちょっとハードなエッセンスではありますがしっかりしたプラクティショナーの元でブラックアイドスーザンを使って自分の影の部分を見つめていくということも可能です。
そしてもちろん自分の意志でコントロールできるようであれば不必要に「寝た子を起こすような」ことは避けるべきです。それが自分をいたわり、思いやる、ということでもあるのですから。
美保
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コオの秘密のひとこと
先日、朝起きてボーっとしてると頭の中に「リディア」という言葉がふと(でも強く)浮かんできて「なんだろう?」と思って美保さんにそのことを話していると、「あ、猫の名前だよ!」(ラマー愛と魂の旅、という本に出てくる猫です)と自分で思い出しました。そして、「そうだ、これを名前にしよう」と閃いて個人事業としての「やすらぎの部屋」の届け出名称を早速「リディア」に変更しました。今はまだ生まれたばかりで目も開いていない小猫のリディアを美保さんと二人で立派な猫に育てようと思っています。
本物の猫も桂は欲しがっているのでいつかは飼いたいなぁ。僕も飼いたいけど、ペットが気兼ねなく飼える場所に引っ越す日までガマンガマン。
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