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VOL・45 感情の穴を埋める
先日子どもが通っている保育園で運動会があり、二人でのぞいてまいりました。保育園ですので0歳児クラスからありまして、ハイハイしたり滑り台を伝ったりと何とも微笑ましい風景が目の前に広がります。自分の子どもが小さかった頃を思い出しあの頃は子育てがこんなにも大変なものかと必死でしたが、今はただただかわいいばかりですっかりおばあちゃんモードに入ってしまいました。
うちの息子の桂はといいますと年長クラスで、あれほど泣き虫だったことが嘘のようにワイルドになっておりまして、ずいぶんと大きくなったものだとこれもまたしみじみとした気分になりました。普段あまり意識していない「親」というものを肌で感じたひとときでした。
運動会の最後には恒例のリレーがあり、桂は赤いたすきをかけてアンカーを務めていました。我が息子ながら「かっこいいわね」と思ったのもつかの間、人一倍負けず嫌いな性格がそのままでて先にゴールできなかった悔しさに彼は人目もはばからず思いっきり泣いてしまいました。
保護者席でも「ああ、あの子泣いちゃってるよ。」という声があちこちで聞かれるほどの泣きようで、本人はそのままずっと先生に抱きしめてもらっていました。
よほど悔しかったのでしょう、でも彼にとっては本当に大切な良い経験だったと思います。そして何よりそのくやしさや悲しさをああいう形で思いきり表現できることを素晴らしいと思いましたし、それをそのまま受け入れてくださる先生方にも本当にありがたいことだと感謝に気持ちでいっぱいになりました。
魂には知性と感情と意志があるといわれます。普通知性はどんどん伸ばした方が良いとされますし、意志も強い方が良いとされますね。ところが感情だけはできるだけ抑えた方が美徳とされてきました。
本来なら感情も充分に表現されていいもので、それも喜怒哀楽すべてを上手に外へ出せる方が良いのです。悲しみや悔しさや寂しさもそれらの気持ちをその場で的確に表現できれば後で怒りに変わったり、後々まで引きずることもありません。まさに生きるということが瞬間の連続になり得るのです。
でも普通はそれができないために認めてもらえない寂しさを自分が何かに向かって努力するという形で表現しようとします。感情を自由に表せない部分を知性や意志を使うことで何とかまかなおうとしていくのです。
でも本当はそれでは感情部分の空白は埋まらないのですね。そのことは当の本人が一番よく知っています。ですから例えば母親に認められたくてがんばりつづけていてもそこにどうしても空しさが残ってしまうというようなことは、感情をダイレクトに問題にしない限り避けられないように思います。
この感情をそのままに扱っていくというのがフラワーエッセンスの大きな役目です。自分はあの時こんなに悲しかったんだ、こんなに辛かったんだ、ショックを受けていたのだということを認めるとともに許し、解放していかれる方向に気持ちをもっていきます。感情と知性、感情と意志を区別しながら扱っていきます。
朝の連続テレビ小説が10月から変わりましたけれども、その広告のフレーズに「誰のいうことも聞かんでもええ。ただ、自分の心とだけはよく話し合え」とありました。世の中はますます自分の良心に誠実に生きることをよしとする風潮になってきているのですね。
人に認めてもらえる自分より、自分で自分を誇れるように気持ちの方向を定めることです。感情の穴埋めをするためにがんばるのではなく、感情を自由に表現するために努力を惜しまない、そう生き方を目指したいと思っております。
美保
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パートナー・コオの気づきの日記
ヒプノセラピーモニターのご報告
前回のメルマガで告知させていただいたヒプノセラピーのモニター制度ですが、たくさんの方にお申し込みいただき本当にありがとうございました。あと少しの間この制度を続けるつもりです。ヒプノセラピーにご興味のある方はどうぞお申し込みください。今回は現在ヒプノセラピーを受けていただいている方の簡単な報告をしておきます。
まだそれぞれのプロセスが始まったばかりで途中経過、という感じではありますが、ヒプノセラピーを受けた後、今までとは違う見方で周囲の人を見ることができるようになった、という感想を多くの方からいただいております。
ほとんどの場合、人間関係から来ている問題ですので、ご自分の中でその見方を変える(変わってくる)ということは変化の方向としては良いものです。それがたとえ表面的には傷を更に深くするように思えたとしても、その「変化」は動きであり新たな「再生」を呼び込む力を内包しているはずだ、と感じること、信じていくこと(催眠中にではそう信じていけるように暗示していきます)が大切です。
しかしどのセッションも本当におひとりおひとり全く違うスペシャルなもので、何回やっても同じ展開というのは有り得ないし「同じセッションをやってほしい」と言われてもきっと不可能だと思います。それはきっと同じ人であっても同じではありえない、少し時間がずれただけでおそらく違う形になるような、そういう微妙なものだ、という気がしています。ただどういう環境であってもそこで起きるのはベストの出来事でありそれ自体に意味がある、と確信して真剣に行わせていただいております。
自分の知り合いのヒプノセラピストが「ヒプノセラピーのセッションはプレタポルテではなくオートクチュールだ」といっていて、あぁ本当にそうだなぁ…と深く共感しています。(ちなみにこの人は本物の元パリコレのモデルさんです、きっと有名な人なんだろうなぁ)
しかしどのセッションを行っていても、いつも感じられるのは自分達は何か目に見えない「存在」のサポートを受けているんだ。ということです。セッション中「この先いったいどうなるんだろう???」と思うような展開になったとしても必ずその先にちゃんと意味のある場面が用意されているようで終わってみると、みなさんそれなりに感じるものがおありになるようです。いまのところはまだセッション進行中ですので詳しく具体的に書けないのですが、セッションがひと区切りつき、うまくまとめられる段階になったら順次公開させていただくつもりです。
そして同じような症状で悩んでいた方がそれを読むことで勇気を持って一歩踏み出していけるように、と願わずにいられません。
最近、お付き合いさせていただいているヒーラーさんとのお話の中でいろいろとヒプノセラピーについてアドバイスをいただきました。それをヒントにして自分は今従来のヒプノセラピーの枠を取り外してオリジナルのスタイルを模索中でもあります。アメリカで開発されたヒプノセラピーも良いのですが、もっと日本人に合わせた良いセッションスタイルがきっとあるに違いない、そして大袈裟に言えば個人の問題だけでなくこの「世界」をもっと良い方向へ変えていける力を持ったセラピーのスタイルがあるに違いない、と固く信じております。
コオ
コオの秘密のひとこと
最近はセッションのことで結構頭がいっぱいです。「あのときこうすれば良かったのかなぁ」などと反省することもあります。「どんなことにもすべてに意味がある」ってまだ開き直りきれない(変な日本語)でも、信頼する部分と分析する部分と両方のバランスをとってやっていくことが必要なのでは?と今は感じています。
桂は今度はなんと「ドライフラワー作り」をやってみたい、といっています。当分は男の子とか女の子とかにこだわらず好きなことを思いっきりやらせてあげようと思っています。それにしてもドライフラワーとはちょっと驚いた。
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