|
フラワーヒーリング日記VOL、51 「夢を追う」
以前にも書いたかもしれませんが小学生の頃の私の夢はお花屋さんになることでした。色鮮やかな花に囲まれてきれいな色の花束を作る。なんて素敵な仕事なんだろうと思っていました。
1年生のとき図工の授業で大人になったらなりたいものの絵を切り絵で描いてみましょうという時間がありました。私は当然のことながら花のあふれるお店で店員をやっている絵を描いたのですが、それを見た母は夢見る私にひとこと、花屋なんて水の入ったおけは重いし、冬は水が冷たくてつらいからやめておいたほうがいいわよ、といってのけ子供ながらに愕然としたことを覚えています。それ以降私の夢は母の影響のもと、母自身の夢でもあった薬剤師へと転向していくのですが、大学受験で挫折をし今の私にいたっています。
けれども考えようによってはフラワーエッセンスセラピーというのは私の中にあった花屋と薬剤師の漠然としたイメージが重なったようなものではないかとふと思いました。顕在意識ではとっくにあきらめていたものであるのに(事実、私はつい最近まで自分が花屋になりたかったことを忘れていたのですから!)潜在意識のうちではしっかりとそれをあたためていて自分でも思いもしなかったような形でそれを見事に実現させてきたといえなくもありません。
目に見える形で花に囲まれているわけではありませんし、薬剤師の方が着ているような白衣とも無縁の生活ですが仕事のエッセンスの部分だけを取ってみれば重なるところも多く、そして何よりフラワーエッセンス療法をライフワークとしている自分のほうが花屋よりも薬剤師よりもはるかに自分らしく感じるのですから人生とは不思議です。
ところで先日フラワーデザイナーである亀井孝幸さんという方にお会いしました。彼を簡単に紹介すると大学の数学科を出てコンピューター関係の会社の就職し、その一方でフラワーデザインの学校に5年間通い、昨年オランダの花屋で修行(!)をして帰国なさったという方です。現在は都内の花屋さんに就職をし、またフラワーデザインの講師も勤めていらっしゃいます。
オランダと日本ではフラワーアレンジに対する考え方は違うのでしょうか? 「オランダは国自体が自然の何もないところで、木一本からすべて自分たちで植えてきたんですね。自然であっても自分たちの力で作り上げるという思いが強いんです。だから花に対する扱いもかなり荒っぽいし余分だと思うつぼみもどんどん切っていっちゃう。僕が日本でオランダ人の先生について勉強していたときも出来上がった花束を床に投げて、形が崩れなかったから合格だといわれたことがありました。」
フラワーデザインは本場で勉強することにどういう意味がありましたか? 「花のアレンジ自体は日本で勉強しても同じですね。けれど日本では花を選ぶということは教えてもらえなかった。日本では使う花はすべて与えられていて、それをアレンジすることから始めるんです。自分が意図しているものを表現するにはどういう花を使い、どう組み合わせればいいのかということをオランダではずいぶん勉強させられました。本当は花を選ぶところで出来の8割が決まってしまうんですよ。オランダでは自分が作った花束を店においてもらえるようになるまでに3ヶ月ほどかかりました。」
フラワーデザイナーになるために必要なことは? 「アレンジ自体はそう難しいことじゃない。それよりも花から離れていもいいから自分の感性を磨くことですね。色の構成とか、絵を描くとか塑像に取り組んでみるとか何でもいいんです。自分が何を表現したいのかそれがはじめにあって、じゃあそれを花を使って表現するとどうなるのかという順序ですね。」
今はきれいな花屋さんがたくさん出来てきましたし、自分のために花を買う人も増えてきましたが、いいお花屋さんを選ぶにはどこを見ればいいのでしょう? 「一言でいえば店に隙がないことですね。店の端などにごちゃごちゃとものが置いていない。テーブルの足元にものが積んでいない。花はそれだけでインテリアになるんです。だから店そのものはシンプルでいい。そして床が汚れていない。そういうところに店の人の意識が見えるんです。」
「今までの花屋とは狭い空間に出来るだけ在庫を押し込めて質より量でやってきたところがあるけれど、本当は少なくても新鮮な花があってアレンジの技術でお客さんのニーズに合ったいい花束を作っていけるはずだし、そのようになっていくと思います。日本の花はもっと安くなるしもっと身近なものにできます。そのためにはアレンジに使うラッピングにかかるコストと流通に問題がありますが、それについても少しずつ改善していこうという動きもあります。ですから日本のフラワーデザインの世界もこれからの広がりがとても楽しみですね。」
彼と話していて印象的だったのは芸術家とプロは違うということでした。芸術家は3人が認めてくれればなれるけれど、プロはそうはいかない。彼はオランダにいるときにおまえがそうやって1時間かかって作った花束がいったいいくらで売れると思うんだ、といわれたといいます。プロになるなら自分の意図とテクニックが一致してなおかつ時間とお金がそれに見合っていなければならない。店に隙がない、という話もそうですがすべてがきちんと整ってこそプロなのですね。
これはどんな仕事においても同じことなのだと思います。いえ、仕事でなくても人生のあらゆる場面でこのプロ意識というのは必要なのだと思います。
私は子供の頃漠然と花屋の店員さんになりたい、と思っていましたけれど彼の夢はそこにとどまらず、日本においてのフラワーデザイナーの地位を上げるところにあるように感じました。彼自身も1,2年のうちに自分のお店を持つようですし、彼の生徒もプロ意識を持って少しずつ世の中に出ていってくれることでしょう。
日本でもやがてフラワーアレンジメントがカルチャーセンターの領域からさらに一歩踏み出すようになり、そして本格的にその道を目指そうという人たちがより夢を実現しやすいような新しい空気が生まれてくる。その空気を作っていくのは今自分が目の前にしているようなこういう人なんだろうな、ということを考えました。
21世紀にはいりその年頭にあたって皆様もさまざまな夢を想い、決意を固めたことと思います。私はと言えばもう一度自分のいるところを確かめて、彼が言うようなプロになるためには何が必要なのかをじっくりと考えていきたいと思っております。そして私は私なりにフラワーエッセンスの世界にどう貢献していけるのかを視野に含めて、地道に行動に移していこうと思います。
今年もやすらぎの部屋とフラワーヒーリング日記をどうぞよろしくお願いいたします。 美保
===================================
コオの気づきの日記
21世紀が始まって10日余りが過ぎようとしています。21世紀という言葉の何か晴れがましい響きと現実の生活の間にギャップを感じて何かなじめない気分で過ごしていましたが、目を覚まして足元をしっかり見ながらやるべきことをやっていこうと思います。
今年の私たちの大きな目標は本を出版することです。自分達が何をしているのか?ということを出版に向けての活動を通して表現していくつもりです。そしてその活動を通してさらに自分のいる場所をはっきり認識したい。というのがその理由です。
いまもこうしてHPやメルマガという媒体を使って表現すること、そして返ってくるものを受け取ることでずいぶん自分達が何者なのか?ということに気づいてこられたように思います。それをもっと大きなレベルで行ってみたいのです。これにはワクワクできそうな気がしています。
私たち二人が今までのセッションを通じて気づいたこと、それをまとまったかたちで表現することで私たち自身にとっても、そして何よりもこういうかたち(PCを通じて)で情報に接することのない多くの方々にとって意味のあるものにしたい、と思います。
冬休みの間、息子の桂を彼が春から通う小学校に連れていって遊んでいました。そこでたまたま知り合った親子の方と仲良くさせていただいて子供同士が遊んでいたのですが、うちの前に出ている「やすらぎの部屋」という看板(みたいな小さい板に文字を貼ったもの)をそのお母さんは見て下さっていて「え、あそこのお家なんですか?やすらぎの部屋って何をなさっているんですか?」と聞かれ、説明すると「私ヒーリングとかに興味あるんです、今度パンフレットくださいね」って言われてちょっとビックリしました。
あんなに小さな看板1枚でも見ている人は見ているんだなぁって…
あぁやっぱりパソコンのヴァーチャル世界だけではなくてリアルな世界でもしっかりやっていかなくては!との思いを新たにしました。
先日読んだある文章の中に「北極星は自分が北極星と呼ばれていて、400年前にふと放った光りが地球の船乗りのために役に立っていたことなど気づいてはいない。」という言葉がありました。
北極星は星としての自分の光りを発しているだけです。でもそれがはるか遠い星にいる私たちにとってかけがえのない役割を果たして船乗り達の役に立っていたのです。ひょっとしたら命を救っていたのかもしれません。
星でさえただそこにいるだけで、それほど役に立てるのだから自分だって何をしても、しなくてもきっと思いもかけないところで誰かを助けたり、誰かに助けられたり、ということをしているのでしょう。ひょっとしたら傷つけてしまっているときだってあるのかもしれませんね。もしそうだったらごめんなさい。
先日見た、ある本のサブタイトルで「自分の外側に神を見る時代は終わった」という言葉があって本の内容はあまり興味はないのですが、このフレーズは本当にこれからの時代を表す良い表現だなぁ、と感じました。
それが神でも他のものでも「外側にあるもの」を頼っている限り、それに左右されて振り回されることは避けられないし、それはあまり楽しくないような気がします。だれもが自分の内側に神を見る、感じる、という方向へどんどん進んでいくはずです。そしてもっともっと自分に自信を持って自由に生きていける、そんな時代がもう始まっているように感じています。
もちろん誰もがそうすべきだというわけではないし、そうしないことで表現できるものもあるでしょう。もしすべてがひとつの方向を向いていて区別がつかないときは、流れに逆らっているものが全体の位置を知らせてくれることもあります。
少なくとも自分が誰かのための北極星になっていると良いな、と思いながらまた歩いていきます。今年もよろしくお願いいたします。
コオ
ホームページへ・目次へ・前のページへ・次のページへ
|