La Bataille D'Aomori

To Home ふなきち日記 (掲示板)


ゲーム経歴について (04/12/05修正)

ゲームとの出会い・・小学生〜中学生時代

 青森という地方都市に住むことは、通常の生活においてはかなりのメリットがあるものの、ゲームに関していえばデメリットばかりであることは否定でき ない。青森市民30万人のうち、いわゆるゲーマーは私だけ?と思わざるを得ない状況にあるの だ。インターネットが普及した今でこそ、同好の仲間に巡り会うことができ、青森ゲーマーズネストという集まりを定期的に持つことができているが、当時は周りにゲーマーなんぞおらず、私の場合、初めて購入したゲーム=初めてプレイしたゲームという構図が成り立っている。

 初めてのゲーム購入は、私が 小学校6年の時だったようだ。当時、私はモデラー(AFVやフィギアを作っていた。)で、ホビージャパン誌を購読していた。私の家は青森市の中心街から7Kmほど離れており、当時は近所には書店が なかったため、毎月、HJ誌の発売に合わせて中心地までわざわざ出かけていたのだ。青森市の中心地(新町という所)へ行くことを「青森に行く」と称していた(^^)時代 だ、わざわざ出かけて行くということがどれほどのことか察してもらいたい。にもかかわらず、当時のHJ誌をご存じの方は「そうそう」とうなずかれること だろうが、このHJ誌、発売日を守ったことがない。何度、涙したことだろう。少ない小遣いから交通費を出してまでわざわざ出てきたのに、HJ誌が陳列されていないことを確認し、すごすごと家路に着くときの悲しさ。赦せなかった。(電話で確認すればいいじゃないなどと言わないように(^^;))

 そんなHJ誌に載っていたキャッチコピーやリプレイ記事などを目にしながら、欲しい、欲しい、とは思いながらも、5,800円とか6,800円という高価なものを買うことはなかなかできずにいたの だが、とうとうお年玉で購入しただ。当時は第1希望から第3希望までを書いて葉書で注文する形だった。注文した品は、Russian Campaign , Starlingrad , The battle of Bulge だったと記憶している。ワクワクしながら品物の到着を待っていたところに届いたのは、バルジだった。キングタイガーがシャーマンをミューズ川に追い落とす、といったキャッチコピーが使われていたと記憶して いる。全然違うジャン。

 このゲーム、大学卒業時に後輩に売却したのだが、事情があり現在は我が家で保管している。久しぶりに箱を開けてみ たところいろいろなメモが出てきたが、それによると、結構プレイ回数は多かったようだ。記録に残っているものだけでも、10回はプレイしている。とはいっても、当時は すべてソロプレイだ。2ターンでやめてしまっているものもあるが、12月29日午後の欄に米と記載されたものもある。今となっては分からないが、米軍が勝利したということを表しているの だろうか。史実の戦闘経過をメモした紙切れが入っていた。当時、プレイ自体よりも、どのような経過でバルジの戦いが闘われたのかを目で確認しようとしたらしい 。史実ではこの辺に配置されていたからこの師団は○○に配置するなどとメモされている。サンケイ出版の第二次世界大戦ブックス29「バルジ大作戦」を確認してみたところ、ウォーゲーム資料ということで、かなりマーカーが 引かれている。対戦相手がいなかった私には、こういう楽しみ方をするしかなかったのかもしれない。

 次のお年玉で購入したのが、Squad Leader。やはりモデラーはこれを購入しなくてはならないのだ。高校1年の頃に所有していたゲームの記録が見つかったのだが、それによると、所有していたのは、Squad LeaderCross of Iron、旧バルジ、Battle for Starlingradのみであった。うちBattle for Starlingradは高校生になってから購入したはず。年に1つしかゲームを購入していない。お金がない頃は、絶対にスカを引かないよう、数少ない情報を基に、吟味して、吟味して購入していた気がする。今とは大違いだ。

高校時代

 この間、対人プレイなど全く経験がなかったの だが、高校入学後にその機会が突如訪れた。何のために校庭に出ていたのか覚えていないが(体育の授業?)、外に立っていると誰かが話しかけてきた。なんと、 その内容がゲームの話なのだ。どうやって私がゲームをすることを知ったのかは分からないが、それが友人須藤との出会いだ。というわけで、最初の対人プレイは、須藤の家での Squad Leader のプレイとなった。シナリオは1、担当はドイツ軍。確か、「こんな所からも撃たれるのか!!」と、思った記憶がある。

 他高の生徒とわが母校で休日に Air War をプレイしたことがある。私はあまり空戦ゲームは好きではないの だが、あちらから所望され(確か)、須藤(空戦大好き、戦術級大好き)に軽く手ほどきを受け、対戦した。プレイの内容については忘れてしまったが、途中、先生がやってきて、「まずい」と思った記憶 がある。多分、無断で学校施設を使用していたのだろう。この人たちは今はどうしているのだろうか。名前すら覚えていない。須藤の友人だったのかもしれない。

  この頃購入したゲームを思い出してみると、Struggle of Nations (AH)(あまりに無謀。全くプレイできなかった。 一度セットアップしてみたのだが、広いマップにユニットが1個という状況に、何をしていいやらまったく予想もつかず、途方に暮れた記憶がある。)、Battle for Starlingrad (SPI) (ソロプレイはそれなりにした。これも無謀な選択だったと言えよう。)、 ジャブローも買ったな。お年玉以外にまとまった資金を調達する術がなかった高校時代に、プレイできないようなゲームばかり購入していたのは、ルールが難しいゲームがいいゲームと勘違いし、難易度の高いゲームばかり買っていたから だ。おばかなことをしたものだ。

大学時代

 大学に入学して間もない頃、須藤(同じ大学に入学)に「ゲームサークルに行こう」と 誘われ、顔を出したのが間違いの元だった(^^ゞ。ずっぽりとはまってしまった。抜け出そうとも思わなかったし、暇経(一般的な言い方なのだろうか?暇な経済学部の略。) だったし、授業には全く出ず、サークルに入り浸りの4年間だった。

 サークルを訪れた日、早速プレイしたのが なんであったのかはっきりとした記憶がない。小さなマップ、少ないカンターの作戦級であった。作戦級が好きだったとはいうものの、対人プレイなど初めてのこと (高校時代もほとんど対人戦は経験していない。部活をしていたこと、須藤の家が(当時の基準からすると)遠かったことが原因。)、まともなプレイにはならなかったと記憶して いる。しかし、これをきっかけに充実したゲーム生活を送ることができたのだ。少なくともこれまでの人生であれほどゲームをしたことはないし、これからもない だろう。思い出もかなりある。ナポレオニックゲームに目覚めたこと、他大学(岩手大)との合同合宿、そして何より、現在もお付き合いいただいている先輩、後輩との出会い。これが最大の収穫 だろう。因みに、人生最初の徹夜を経験したのは、買ったばかりのS&T誌の付録ゲーム「Superpowers at War」をソロプレイしたときだった。

 ゲームもかなりの数を購入し た。今とは違い当時は海外へ簡単に注文を出すという状況ではなかったが、先輩が窓口となって輸入もしていた。当時は円が安かったため、手数料などを勘案すると$1=¥200を超えていたように記憶してい る。そのようにして手に入れたゲームも、青森に帰ったらプレイすることは最早ほとんどなかろうと考え、また、お金がなかったこともあり、大学卒業に際してその多くを後輩たちに売却してしま った。勝手なことだが、今思えば惜しいことをしたなぁ、というのが本音 だ。まぁ、誰かが大事にしてくれているのであれば、それはそれでいいだろう。家に持ち帰ったゲームも、Batailleシリーズなどの一部を除き、どうやら捨てられてしまったようだ。どうしても見つからない。ヨーロッパシリーズなどどうでもよいゲームもあったが、なぜだぁ!と叫びたくなるゲームもある。その反動なのか、今はオークションなどで結構ゲームを購入している。絶対にプレイし尽くすことはない。定期購読している雑誌付録ゲームなど、絶対にプレイしないゲームもある。これらのゲームを、将来どうするつもりなのだろうか、私は。

就職、そして現在

 地元青森に帰って就職したわけ だが、年2回のサークル合宿に参加することだけがゲームとの接点となっていた。今思えばそれほど仕事が忙しいわけでもなかったし、ゲームをしようと思えば、ソロプレイならできる環境だったの だが、士気を維持するのは無理であった。また、平成6年からは非常に忙しい部署に配属となり、休みもなく働かなくてはならなくなったため、ゲームをする機会は 全くなかった。プレイしようとも思わなかったというのが真実だ。そんな私がこの世界に戻ってきたのは、’99年のことだ。伊豆でOB合宿が開催され、出張を利用して参加したの だ。この年から新しい部署に移り、仕事も以前ほどではなくなっていた。また、メールやインターネットが普及していたことも大きな要因だろう。青森にいても、いろんな情報を入手することができ るし、サークル関係者と連絡が取れるのだ。地方在住者にとってはまことに大きな力だ。いい時代になったものだ。

 インターネット普及に伴ってのもう一つの大きな出来事は通信対戦だ。青森という遠隔地にありながら、全国に散らばる同好の方々と対戦できるのだから、すばらしい。近くにプレイヤーがいてさえ、好みの違いやそれぞれの都合によりなかなかプレイできないゲームを、なんと、毎日にプレイできるのだ。知り合いも増えた。ゲーム経歴における第3番目の大きな出来事(1番目はゲームを知ったこと。2番目は大学のサークルに入ったこと。)と言っていいだろう。さらに、この延長線上として青森ゲーマーズネストという集まりを定期的に持つことができるようになったことは大きい。いくら毎日とはいえ、通信対戦でのプレイはその臨場感、テンポの点ではどうしても対面対戦には劣る。青森にも仲間がいて、その仲間と楽しくゲームができることは本当に幸せなことだ。家庭人であり、職業人である私がゲームをするにあたってはいろいろと制約があるが、これからもできる限りゲームをしたいと考えている。関係皆様、なにとぞ、よろしく。