台湾廟会





台湾廟会
 日本人はお祭り好きと言えるだろうが、台湾人は、さらに輪をかけて祭り好きである。廟会は日本の神社のお祭りに相当する。台湾各地に道教廟がたくさんあり、信心深い住民たちが、季節毎に廟会を催す。日本の縁日のように多くの屋台も道路の両側に並ぶ。
 わたしは、以前、台湾にまだ戒厳令が敷かれていた時、少しく住んだことがある。下宿先の近くに廟会が催されれば見に行っていた。その刺激的な光景と、騒音と、においに圧倒された。五感すべてになだれ込んでくるのだ。



將爺

上は將爺 日本の大通りに突然、出現したら、子供たちは泣くぞ!

ど派手な廟會
 派手な極彩色の道教の神像、神輿を住民たちがかつぎ、太鼓を叩き、鐘を鳴らし、ときには中国式ラッパも吹く。爆竹を鳴らし、大通りを練りあるく。しばらく見物していると、赤青黄色に金銀がキラキラし、もう眼がチカチカ、頭がクラクラ、耳も痛くなる。
 これでもかこれでもかという感じのど派手さである。
 爆竹の音は、邪鬼を払うためである。台湾では騒音は気にしない。だから、台湾では暴走族はぜんぜん目立たない。なぜならサラリーマンやOLが、毎日、通勤にスクーターの爆音を鳴らして走るからである。わざとではない。気にしないのだ。だから日ごろ暴走族がいくら爆音を立てて走っても、だれも気にしない。しかたないので、五色のライトを車や車輪につけて注目されようとするのがいじましい。
 廟会の食事も天井だけスレートでおおわれた、体育館のように大きなところで、ものすごい人数が楽しくそれぞれの丸テーブルを囲んで食事をとる。それが良いお祭りである。

葬式でさえも、ど派手
 人びとを引きつけるのは良いことだ。葬式でさえ派手で景気がよい。トラックの荷台には故人の巨大な写真を載せる。葬列は大通りに花車を十台、二十台、三十台とか走らせて注目をあびる。人も車も多いほどよい。
 葬式なのに展望車にはストリッパーたちが乗り、展望車のスピーカーから大音響の音楽が流れる中で踊りつづける。それを見た、わたしは度肝【どぎも】を抜かれた記憶がある。人が大勢、集まって見送ってくれれば、故人もうれしいのだ。

乩童【けいどう】

 閩南【びんなん】語ほぼイコールの台湾語ではタンキー。漢字にすると童乩。
 廟会では、乩童も出てくる。乩童たちは青竜刀やトゲトゲの金棒【かなぼう】を持って禹歩【うほ】(註)を踏みながらトランス状態になり、上半身はだかになった自分の身体を傷つける。太い針を頬に刺したりもする。もう血だらけになるので怖い。住民はトランス状態にある乩童のお付きの人におカネなど進上して、いろいろ願い事をする。昔は乩童が陶酔状態になると、いろいろ占卜のお告げをしたり、呪術をかけたりした。

タンキー
乩童【けいどう】

(註)禹歩【うほ】。道教の道士が祈祷儀式のときにおこなう歩き方。夏王朝の禹が黄河を治めるときに呪術として使ったとされる(治水事業のひとつ)。
 歩きかたが北斗七星(罡星【こうせい】斗宿)の上を七歩が1セットでジクザグに歩くように進むので、「步罡踏斗【ほこうとうと】」ともいう。
 ちなみに、中国と日本では一歩の数え方が異なる。日本では片足を出せば一歩だが、中国では左右両方を出して一歩。とくに古代中国ではそうなので、史料を読んで歩の距離を換算するときに間違えないようしなければならない。
六家將
副主壇

舞龍


舞獅


八家將


神饌供物


神輿出御


神輿巡行1



神輿巡行2


牛犁陣 (田植え歌)
台湾民俗の紹介ウェブサイト『民俗思想起』



上は、廟会のポスター例。下の二つは、廟会の追っかけウェブ。
廟會追追追


台湾節慶・台湾各地の廟会


中華文化
 中華文化の流れから見れば、廟会は、中国南方にある楚、呉越の文化から由来している。楚と呉越は揚子江(長江)の周辺から南であったが、南北朝時代からは浙江、安徽、江蘇もすっかり中原文化となった。だが、楚の文化は、現代の福建、広東にまだ色濃く残る。台湾もまたしかり。
 中国大陸にも元宵節のようにお祭りはある。しかし全国一律なのだ。台湾のように各地に各様の祭りはない。地球上の生き物は、環境の激変があっても生き残ってきた。それは多様性があればこそである。どこを切っても金太郎飴ではつまらない。多様性こそが生きるちからである。文化もまた同じだとおもう。