宮闕きゅうけつ
漢代宮闕から日本の武家屋敷門、
寺社山門と鳥居まで
Que: Chinese Monument Gate-Tower. One of a pair of stone or wood buildings erected
at the entrance to a palace, tomb, government office, or residence of the nobility.


江蘇省溧陽[りつよう]県天目湖の太行山風景区入口 江蘇省溧陽県天目湖の太行山風景区入口

河南省南陽市医聖祠1
河南省南陽市医聖祠1

河南省南陽市医聖祠2
河南省南陽市医聖祠2

河南省永城市芒碭[ぼうとう]漢文化観光区1
河南省永城市芒碭ぼうとう漢文化観光区1

河南省南陽市漢代画像石墓 [けつ]』。
 早くは春秋時代(前770年から前403年まで)に現れたと
されるが、はっきりしたことはわからない。
 漢代になるとさらに発展し、漢闕と称されるほど代表的
なものになった。たとえば、河南省南陽市にある南陽漢
画像石群には、多くの種類の闕が見られる。単独の闕、
二つで一組の闕、二重の闕、三重の闕もあるが、基本的
には『闕』という字それ自身が象徴しているように、まん
中は欠け、両側に望楼様のものが建つ、威儀威厳を強調
するための建築物である。

東漢時代後期になると、「魏闕」、「冀闕(きけつ)」とも称されるようになった。「魏闕」とは「巍巍(ぎ
ぎ)たる闕(大きくそびえたつ闕)」のことで、漢代の讖緯(しんい)説から、魏が三国魏の国名
となる
ほどの影響力をもったから、闕はただの建築物ではなく、おそらく呪術的な力を持つものと考えら
れていたのではないか

 『』は、宮殿、寺廟、城門の前に設けられただけではなく、貴族や高級官僚の邸宅の前にも置
かれた。素材を石、かわら、材木などによって建造した。

上図の南陽市唐河縣新店村にて1978年3月に発掘された『漢郁平大尹馮君孺人畫像石墓』には、
「門闕、廳堂、人物図」(87×142cm見上図)が描かれている。中間に廟堂のような建築物があり、
両側は一対の重層楼閣式門闕である。廟堂の両側左右には、それぞれ笏[しゃく]を持った侍者が
立っている。廟内には幔幕が掛けてあり、机が置かれ、二人の貴婦人が端座し、机の傍らには侍
女が立っている。
闕の層数が多く高いほど、主人の身分が高い。主人より身分が低い者が闕の前まで来れば、馬
車から降りて敬意を示す。

司馬門。宮闕の象徴。宮城の未央宮では、南側の司馬門(南闕)には公車司馬令の詰め所があっ
て、皇帝に緊急上書するもの、謁見するものは、この門で受け付けた。ここが宮闕と言われる象徴
的な門である。臣下はみなここで馬車から降りなければならない。
公車司馬令(略称・公車令)は衛尉に属す。宮殿の司馬門の警衛と宮中の夜間巡邏。臣民の上書と
朝廷の徴召(民間から最初の任官、地方から中央への任官)は公車令の所管。参考『漢官儀』。よっ
て公車奏聞[そうもん]と言う。


闕の傍流の発展 闕は宮城正門である紫禁城午門以外にも以下のような発展
をした

揚州漢広陵王墓博物館入り口

揚州漢広陵王墓博物館入り口

河南省永城市芒碭[ぼうとう]漢文化観光区三重の塔1 宮闕とは無関係
河南省永城市芒碭漢文化観光区三重の塔1

河南省永城市芒碭漢文化観光区三重の塔2
河南省永城市芒碭漢文化観光区三重の塔2

河南省永城市芒碭漢文化観光区 東漢梁王墓陵
河南省永城市芒碭漢文化観光区漢梁王陵

河南省永城市芒碭漢文化観光区入り口 奧に上記の双闕と東漢梁王墓陵がある
河南省永城市芒碭漢文化観光区入り口

河南省永城市芒碭漢文化観光区邸宅
河南省永城市芒碭漢文化観光区邸宅

京都南禅寺三門
京都南禅寺三門
京都の「南禅寺三門」の望楼(上層を五鳳楼、下層を天下龍門と称す)に、歌舞伎では
大盗賊の石川五右衛門が棲みつき、京都の景色を眺めて「絶景かな、絶景かな」と見
得を切ったように、上は望楼で棲むことができる。すなわち闕の形式をもっている。



墓にも漢闕
漢闕

四川省雅安市漢代益州太守高頣及弟高実墓闕
四川省雅安市漢代益州太守高頣及弟高実墓闕

山西省五台山龍泉寺牌楼(屋根と斗拱つまり斗組ますぐみがあり、楼に近い
ものがある)

山西省五台山龍泉寺牌坊

鎌倉建長寺山門
鎌倉建長寺山門

黒田家屋敷門在読売Land前
黒田家屋敷門在読売Land前

宇和島伊達家屋敷門在小金井市江戸東京建物園
宇和島伊達家屋敷門在小金井市江戸東京建物園

東大赤門 (朱門は九錫、あるいは皇族の臣籍降嫁と関係あるが、それは別に述べる)
東大赤門

安徽省績渓県龍川村胡宗憲尚書府内の皇帝より賜わった牌坊(屋根と斗拱[とうきょう]つまり
建築の斗組ますぐみは有るが楼は無い。牌楼と牌坊の中間)

安徽省績渓県龍川村胡宗憲尚書府内皇帝賜建設の牌坊

牌楼は斗拱と屋根がある
牌楼は斗拱と屋根がある



闕の変遷の図
隻闕01

 漢闕には二種ある。
 一つは独立した双闕。その間には門はない。双闕の外側にそれぞれ子闕があって、それが塀と連結
しているような闕もある。これらの形式は唐、宋時代には陵墓の前で使われるようになったが、それ以降
は使用されない。
 もう一種は、門と闕がひとつになっているもの。この双闕の間には、単層あるいは二層の楼が載る門、
北魏の壁畫に描かれた宮殿正門は、城壁の上に三層の門楼があり、左右には観があり、いろいろ折り
曲がった城壁の上に複雑な門が建てられるようになった。唐の唐大明宮含元殿の左右には突出した双
闕があり、宋代以後は継続し、明清二代の午門もまたこれの発展形である。
 明清時代には寺廟や官庁には、正門の外には牌坊、照壁、石獅が置かれるようになった。


望楼
隻闕02

邸宅
隻闕04

貴族の大邸宅。右側が闕。
隻闕05

塢堡[うほ](要塞の一種)
隻闕06


日本の鳥居と中国の牌坊の源が同じではないかと思った原因が、以下の写真である。
京都伏見稲荷大社第二鳥居

京都伏見稲荷大社第二鳥居

京都伏見稲荷大社鳥居林
京都伏見稲荷大社鳥居林



安徽省歙県棠樾村棠梨樹舌香牌坊1
安徽省歙県棠樾村棠梨樹舌香牌坊1

安徽省歙県棠樾村棠梨樹舌香牌坊2
安徽省歙県棠樾村棠梨樹舌香牌坊2

安徽省歙県棠樾村棠梨樹舌香牌坊3
安徽省歙県棠樾村棠梨樹舌香牌坊3




牌楼、牌坊

Pailou, Paifang: A monumental gateway constructed as a row of roofed pillars, marking the entrance to a
temple, tomb, or at the start of a main street or bridge. If it is without roof, it is called a Paifang, which is
derived from gates to lifang.
Lifang: walled-district system. resident block in a city.


闕。又の名を観。西晋の崔豹撰でいろいろな事物を説明した『古今註【ここんちゅう】·都邑』に、
「闕,觀也。古毎門樹兩觀於其前,所以標表宮門也。其上可居,登之則可遠觀,故謂之觀。
人臣將至此則思其所闕,故謂之闕」とある。

『後漢書·百官志』注引く蔡質の『漢儀』に「王莽初為大司馬,府門有闕」とある。
当時、闕はすでに官爵地位と功績の象徵性を表明する建築であった。
『白虎通·卷十二·雜錄』に「門必有闕者何?闕者,所以飾門,別尊卑也」とある。



河南省永城市芒碭山の漢文化観光区
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