あなたの手を執って

執子之手 與子偕老

出征兵士が故郷にいる妻を想う詩
『詩経(しきょう)・邶風(はいふう)・擊鼓』
Battle-drum Beating


德田本『全訳資治通鑑・巻62・漢紀54』
東漢献帝建安元年(196)第8節註4より引用したが、この擊鼓の詩は、春秋時代の作。

 出征兵士が故郷にいる妻を想う有名な詩句。死生契闊(けつかつ)とは、「生きる時も死ぬる時も、ともにいる時も離れる時も」 の意。以下に紹介する。

【現代語訳】
 軍鼓を激しく打つ音に合わせ、歩兵は地面に座って強弩を張る姿勢から飛び上がり、戦車に飛び乗る動作をくり返す(註)。
 都城は土木工事が進み、漕の地では城が築かれる。だが、われらは南方に出征した。
 将軍孫子仲に従い、陳国と宋国の調停に行った。だが任務が終わっても、長らく家には帰ることができず、わたしの心は憂いに満ちる。
 兵士たちは、あちこちに散在して宿営している。固く繋がなかった馬は行方知れずとなり、見つけた時には、林の下に倒れていた。

 妻よ、わたしはあなたに誓った。死ぬるときも生きるときも、共に暮らすときも離れているときも、心はひとつだとあなたに誓った。あなたの手を執り、共に老いようと固く誓った。
 ああ、妻と遠く離れ、生きて再び会うことも難しい。
 ああ、妻と遠く別れ、あの誓いを果たすことも難しい。


【訓読】
 鼓を撃つこと其れ鏜(どう)たり。踊躍(ようやく)(踴躍とも。註)して兵を用う。國に土(ど)し漕に城(きず)く。我、獨り南に行く。
 孫子仲に従いて、陳と宋を平らぐ。我と以(とも)に帰らず、憂心忡(ちゆう)たるあり。
 爰(ここ)に居り爰に處(お)る。爰(ここ)に其の馬を喪(うしな)う。于(ここ)に以て之を求む。林の下に。

 死生契闊(けつかつ)、子(なんじ)と説(ちかい)を成せり。子(なんじ)の手を執(と)りて、子(なんじ)と偕(とも)に老いんと。
 于嗟(ああ) 闊(かつ)なり、我を活かさず。
 于嗟(ああ) 洵(じゆん)なり、我を信(の)ばしめず。




執子之手 by HITA (3分06秒)
作曲/編曲:R侯爵
作詞:李太伯
演唱/和聲/後期:HITA



【原文】(歌詞ではなく、詩経・擊鼓の原文)

擊鼓其鏜,踊躍用兵。土國城漕,我獨南行。
從孫子仲,平陳與宋。不我以歸,憂心有忡。
爰居爰處,爰喪其馬,于以求之,于林之下。

死生契闊,與子成說。執子之手,與子偕老。
于嗟闊兮,不我活兮。于嗟洵兮,不我信兮。


[解題]
 出征兵士が故郷にいる妻を想う詩句である。将軍孫子仲とは、衞国の将軍。『左氏伝・隠公四年(前719年)』や『史記』によれば、衞の州吁(しゅうく)(第12代の荘公の子)が異母兄の桓公(第13代)を殺して公位を簒奪し自立した。親友の鄭国の共叔段(鄭の国主の弟)を鄭国にもどし(恐らくは国主にするために支援)、鄭国を討伐しようとし、そのために先に同盟国である宋、陳、蔡の三国を協力させるため、不仲であった宋と陳とを調停した。それから、鄭国の共叔段(鄭伯の弟)などとの連合軍は春と秋に鄭国を攻撃して勝利した。

 つまり、軍事的勝利によって、対外的には親友の共叔段に実権を握らせた鄭国など周辺諸侯の支持を取り付け、対内的には不人気な自分の地位を安定化させようと考えたのだ。しかし、九月、州吁(しゅうく)は桓公(異母兄)の旧臣たちによって捕らえられ、処刑された。

 この「撃鼓」は、紀元前719年の春から秋の期間の出来事を語っていると推察する。暴君の命によって出兵した将軍公孫文仲は、春の攻撃の後、州吁の指示を待っていたのだろう。
 だが、いつ帰国できるのか皆目わからない中、兵士たちの士気は弛緩し、思うのは故郷に残した家族や妻のことばかり。

 兵士は妻を想う。わたしは、生死と運命をともにすると、あなたに誓った。わたしは、あなたの両手を固く握り、共白髪(ともしらが)まで添い遂(と)げると誓った。
 出征するとき、最後の別れに妻と誓った言葉。必ず生きて帰ってくると誓った言葉。その誓いを果たせず、心を粉みじんに砕くような激しい痛み。

 この「撃鼓」の詩の以降、「子(あなた)の手を執(と)って」「子(あなた)と偕(とも)に生きよう」という句は、愛しあう男女の結婚の誓いとなった。
 「子の手を執(と)りて」「子と偕(とも)に老いん」という句は、たとえ星空が幾度もめぐり、風景が何度となく移り変わり、二千七百年以上も時が過ぎた現代になっても、中国では夫婦の永遠に変わらぬ愛の代名詞になったのだ。


(註)踊躍(ようやく)。踊躍とは、①曲踊と②距躍のこと。歩兵が、①地面に座って強弩を弓張る姿勢から、飛び上がって立ちあがり、さらに②戦車に飛び乘るまでの一連の動作を言う。

 ①曲踊は、曲腿跳躍のこと、地面に座った姿勢から足を曲げて飛び上がって立つこと。
 弩(ど)(石弓、クロスボウCROSSBOW)の弓張りのやり方は二種類ある。弩弓の先端には足をかける鐙(あぶみ)がある。一つは立ったまま、両手と片足でのみ張る。この弩弓の弦の張力は弱い。もうひとつは地面に座って腰バンドの鉤を弦に掛け、両足を弩弓の先の鐙に掛けて、両手と腰と足の力で弦を張る。この動作を蹶張(けつちよう)と言う。強弦の弩弓に用いる。この強弩を張るために地面に座った姿勢から、足を曲げて勢いを付けて立ち上がることを言う。

 ②距躍とは、歩兵が立ち姿から、高床の戦車に飛び乗る動作。距は足で地面を蹴る意。甲冑を着けたままであるから、訓練が必要。
 『左氏傳・僖公28年(前632年)』の春3月の条にも同様の例がある。
「部将の魏犨(ぎしゆう)は命令に逆らって敵将を殺したので、彼の胸の負傷が重く、もう役に立たないなら、殺してしまおうと、晋の文公は考えた。魏犨は胸を布で包んで使者に面会して言った。
『ご主君の威靈の前では、寝床でゆっくりと休んでおられましょうか』。
 そして強弩を張るための地面に座った姿勢から、飛び上がって立ち、それから戦車に飛び乗る動作を3回、くり返した。そこで、文公は彼を許した」とある。

 訓読:「魏犨(ぎしゆう)、胸を束(つか)ねて使者に見(まみ)えて曰く,『君の靈を以てしては、寧(やす)んずることあらず』。距躍三たび百(う)ち、曲踊三たび百(う)つ(百は拍の意)。乃ち之を舍(ゆる)す(魏犨束胸,見使者曰,『以君之靈,不有寧也』,距躍三百,曲踊三百,乃舍之)」とある。

 この曲踊と距躍の解釈は、『春秋時期的歩兵』(藍永蔚著、中華書局、1979年刊)の第218頁「歩兵の単兵と隊列動作」の項に拠る。


執子之手與子相伴 After love
日本アニメにおける「執子之手」の中国的理解 (3分33秒)


詩経(しきょう)・邶風(はいふう)・擊鼓

執子之手,與子偕老
Taking your hand, living to old age
together with you



Battle-Drum Beating


When battle-drums resound each time; soldiers sitting on the ground to string their crossbows and quickly put the arrow on then stand up and jump onto the chariot repeatedly.
For war, construction of the wall of CAO castle begins. The pubplic defense works started at our capital, too,
While we go south to war.

We follow General Sun Zizhong,
To mediate kingdoms of Qi and Song.
We are stationed there (Zheng kingdom?) for a long time,
We are filled with cares and fears.

We soldiers are scattered and billeted here and there;
I lose my horse because I did not tied it firmly.
When I was looking for it here and there,
But I find the dead horse by trees among the groves.

My wife, I swore to you at the time of wedding;
"We're bound in martial union whenver life or dead, wherever live together or apart".
I grasped your hand and promised,
"We will grow old together."

Long have I parted from my wife;
How can I meet you again?
The war has kept us far apart;
How can I achieve my oath?


Note:"The Book of Poetry" is the first anthology of poems in China, including altogether 305 poems composed from the Western Zhou Dynasty (the 11th century B.C.) to the Spring and Autumn Period (the 6th century B.C.).
"The Book of Poetry" consists of three parts: Regional Songs, Odes and Hymns. The Regional Songs is divided into 15 sections in all: 1.Sourthern Zhou, 2.Southern Shao, 3.Songs of Bei, 4.Songs of Yong, 5.Songs of Wei, 6.Songs of Wang, 7.Songs of Zheng, 8.Songs of Qi, 9.Songs of Wei, 10.Songs of Tang, 11.Songs of Qin, 12.Songs of Chen, 13.Songs of Gui, 14.Songs of Cao, 15.Songs of Bin. These 15 sections names mean small kingdoms or regions. The "Battle-Drum Beating" is included in No. 3 Song of Bei.

We guess this war of "Battle-Drum Beating" occured during the fall from the spring of B.C. 719. This poem tells the feeling of one ancient soldier who honestly yearned for his wife and hometown. But even if starlit sky rotated many times, and scenery changed time and time again, the hearts of loving men and women remain unchanged till now. Therfore in China, the words of "Taking your hand", "Living to old age together with you" have been the unchangeable oath of wedding since two thousand seven hundred years ago.