姉妹喧嘩
インターハイ個人戦初日―
試合前に、照は会場内の廊下を歩いていた。
今大会の主役の一人である照。
試合前に会場内を歩けばすぐにマスコミに囲まれ、コメントを求められてしまう。
あの営業スマイルのおかげもあってマスコミへ受けの良い照であったが、元々人前に出るのは好きな方ではなかった。
そのため、試合前は極力出歩くのは控えていたのだが、それでもずっと控室に籠っている訳にもいかない。
注目をされるのを承知で、ある場所に向かっていた。
愛用の財布を抱え、照は若干早足で歩く。
隣にはチームメイトの菫もいた。
その菫に、不満顔で照は尋ねる。
「…なんで菫がついてくるの」
菫はその問いに、冷めた目で答える。
「お前に一人で行かせると、アホみたいな量のお菓子を買ってくるからだ」
「………」
照と菫が向かっているのは、売店だった。
そして、その目的はお菓子だ。
だが、菫は別にお菓子が欲しい訳ではなかった。
菫の役割は、照のお目付け役だった。
照は、あと30分ほどで試合が始まるという時になって売店に行きたいと言い出した。
菫は当初、他の手の空いている部員に買い出しをさせるつもりだった。
だが照は自分で買いに行くと言って譲らなかった。
試合直前に一人でお菓子を買いに行くチャンピオンなど、恥でしかない。
「自分で行く」「ダメだ」の押し問答の末、折衷案として菫がついて行くことになったのだ。
菫はさらに照に言う。
「それに、試合まで30分しかないんだぞ」
「…それが何?」
「お菓子に夢中になって試合に間に合わなかったら大変だろ」
最早お目付け役というより、お守りだった。
「…菫は私のお母さん?」
「こんなデカい子供を持った覚えはないけどな」
照のわがままに付き合わされている菫は、いつもより辛辣だ。
そして何度も言った文句を再度言う。
「というかお菓子なんてどうでもいいだろ。これから試合なんだぞ」
「どうでもよくない。お菓子は重要。お菓子があれば2回くらい多くアガれる気がする」
「それにしたって、誰かに買ってきてもらえばいいだろう。お前はただでさえ注目されてるんだぞ」
「お菓子は自分で選ばないと意味がない。自分が食べたいお菓子を買う事で、通常以上の力が出る、はず」
「………」
お菓子への想いを熱く語る照に、溜息しか出てこない菫。
だがこんなやり取りも毎度の事だった。
次の角を曲がれば、もう売店だ。
お菓子を目前に、若干テンションが上がる照。
菫に話かける。
「ねぇ、お母さん」
「誰がお母さんだ」
「チョコ系とクッキー系、どっちがいいかな」
「ホントどうでもいいな!好きにすればいいだろ」
「分かった。じゃあ両方買う」
「待て、両方はダメだ。どちらかにしなさい」
「お母さんのいじわる…」
「誰がお母さんだ」
そんな会話をしているうちに、売店が見えてくる。
そこで菫が前方に見覚えのある人物を見つけた。
「おい、あそこ…」
「え?」
菫が指をさす。
「あれ、妹じゃないか?」
言われて、照が指さされた方を見る。
20メートルほど前方、売店の前に咲がいた。
照は歩みを止め、踵を返す。
「……菫、向こうの売店に行こう」
逃げようとする照の腕を掴む菫。
「なんでだ。すぐそこだろ」
「こっちは…良くない」
「なんだ良くないって。向こうの売店は品揃えが悪いってぼやいてたじゃないか」
「………」
「そんなに私に妹を紹介するのが嫌なのか」
「………」
目が泳ぐ照。
そんな照を見て菫は思う。
(動揺する照…新鮮だな…)
照と咲は、団体戦後に久し振りの再会を果たしていた。
だがその時は二人きりだった。
照としては、他人が、しかもある程度事情を知っている菫がいる所では会いたくないのが本音だった。
咲と会えば、普段とは違う自分が出てしまう可能性が高い。
そんな自分を菫に見られてしまうのは、これ以上ないくらい気恥ずかしい事だった。
咲は何か困ったような様子でキョロキョロと辺りを見回していた。
おそらく、迷子にでもなっているのだろう、と照は想像する。
やがて咲が照に気付いた。
咲は主人を見つけた犬のように、駆け寄ってくる。
退散する前に咲に見つかってしまった照は、覚悟を決めた。
(咲の前でも、普段と同じ宮永照を演じてみせる―)
気合を入れ、咲と対峙する。
「お姉ちゃ……」
と、言いかけて、咲は咄嗟に言葉を飲み込んだ。
そして急に畏まったような態度になり、照に言った。
「み、宮永さん…おはようございます…」
「!?」
他人行儀に挨拶する咲。
その態度に、少なからずショックを受ける照。
「……なんで苗字で…?」
「え……だ、だって…いいの…?」
「…何が?」
咲は照と菫を交互に見る。
どうやらその態度の原因は菫のようだ。
「お姉ちゃん、妹がいること隠したがってたみたいだから…」
「え…?」
「人前で『お姉ちゃん』って呼んだらマズいかな…って…」
「あ…」
咲は、少し寂しそうに俯く。
それを見て、照は自分の過去の発言を後悔した。
罪悪感が頭をもたげ、慌てて言い訳をする。
「い、いや、あれは…私の妹だって分かったら咲に迷惑がかかると思って…その…」
「……そ、そうなんだ。じゃあ…いいの…?」
と、菫を見て、様子を伺う咲。
照は咲に言う。
「うん、大丈夫。それに菫はもう知ってるから」
「そうなんだ」
気付けば、会って30秒で既に普段と違う素の自分をさらけ出してしまう照。
そんな照を見て、菫は驚きを隠せない。
(こいつがここまで狼狽するとは珍しい…というか、面白い…)
普段見られない照に、思わず顔がにやけてしまう。
というより、半分笑ってしまっていた。
それを見て、照が押し殺すような声で菫に告げる。
「菫、後で鳴かす…!」
「な…っ」
「泣かす」ではなく「鳴かす」。
この場合の鳴かすとは、夜ベッドで、という意味だ。
とんだとばっちりを受ける菫。
理不尽この上ない。
照は気持ちを落ち着かせるべく、軽く深呼吸をする。
そして努めて姉らしく振る舞う。
「こんな所でなにしてるの」
「控室どこか分からなくなっちゃって…」
やはりまた迷子だった。
いくつになっても変わらない咲に、呆れ顔で言う。姉らしく。
「迷子になったくらいで泣かない」
「な、泣いてないよ…」
そう言いつつ、涙目の咲。
精一杯の強がりも一瞬で見破られる。
「…何かあったの?」
「…さっきから知らない人からいっぱい話しかけられて…怖くて…」
「あー」
団体戦決勝の凄まじい活躍で一気に有名人になってしまった咲。
人一倍気弱な咲には、知らない人から話しかけられるのは恐怖以外の何物でもないだろう。
そして、それは照にも経験がある事だった。
「私も、最初の全国の後は大変だった」
「そ、そうなんだ…」
「すぐ慣れる」
「うん…」
会話がひと段落した所で、菫が照の腕をつつく。
そして照に小声で話しかける。
「おい、照」
「なに?」
「一応、紹介してくれよ」
照は露骨に嫌そうな顔をする。
その反応に、菫の額に怒筋が浮かぶ。
照は小さく溜息をついてから、菫を紹介する。
「咲も知ってると思うけど、ウチの部長の菫」
「あ…次鋒のお姉さん…」
「弘世菫だ。よろしく」
「宮永咲です…。いつもお姉ちゃんがお世話になっています」
笑顔でお辞儀をする咲。
その笑顔には、照と同じ種類の可憐さがあった。
自分に向けられた笑顔に、息が詰まる菫。
一瞬で頬が赤く染まる。
(か、可愛い…なんだこの可愛いさは…。
照といい、咲といい…遺伝か?遺伝なのか?)
そんな菫を、照が責める。
「菫、なにデレデレしてるの」
「で、デレデレなんてしてない…っ」
「してた」
少し怒ったような顔で抗議する照。
その様子を見て、菫はいつもと違う照の感情を読み取る。
「…お前…もしかして、嫉妬してるのか?」
「…し、してない」
図星をつかれて、言葉に詰まる照。
若干、顔が赤い。
「いーや、してたな」
「してないから」
「絶対してた」
「菫、しつこい」
そのやり取りを見て、咲は遠くを見る。
(…実の姉のイチャイチャを見るのって結構辛いなぁ)
咲のちょっと引いた視線に気付いた照が我に返る。
菫に抗議の眼差しを向ける照。
そして咲に耳打ちをする。
「咲」
「え?なに?」
「菫に…コ゛ニョコ゛ニョ…」
「…えぇ!そ、そんなの…」
「大丈夫だから。意外と喜ぶ」
「え…う、うん…」
咲は菫に向き直る。
そして申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「あの…シャープシューターさん…」
「そ…っ、その呼び方はやめてくれ…!」
「ご、ごめんなさい…!ほらー!もー!お姉ちゃん!」
照に抗議する咲。
笑いを堪える照。
キッと睨む菫。
照のささやかすぎる反撃だった。
そして照は時計をちらりと見る。
「咲、そろそろ戻った方がいい」
「う、うん…」
試合開始まで、あと少し。
確かにそろそろ戻らなければ間に合わなくなる頃だった。
だが咲は照に促されても戻ろうとしなかった。
ただ単に戻る道が分からないからという訳ではなく、
まだ何かを言いたそうに、下を向いたままその場から動かなかった。
「…どうしたの?」
「ねぇ…個人戦って…私とお姉ちゃんが打つ事もあるんだよね…?」
顔を上げ、不安そうに照に尋ねる。
それは照も当然考えたことがあった。
全国の舞台で咲と打つ―
それは、楽しみである反面、怖くもあった。
平常心で打てる自信は、百戦錬磨の照にもなかった。
そんな気持ちを悟られないように、照は答える。
「そうなる可能性も、なくはない」
「そっか…そうだよね…」
「それがどうしたの?」
「もしお姉ちゃんと打ったら…今度は、私が勝ってもいいんだよね?」
「………」
その咲の言葉に、菫は戦慄した。
咲からの、強烈な宣戦布告。
照の目つきが鋭くなる。
一瞬で、緊張が走る。
だが咲は、照を挑発した訳でも、挑戦状を叩きつけた訳でもなかった。
ただ単に、確認しただけだ。
幼い頃、勝つと怒られていた家族麻雀。
それは咲に根深いトラウマを植え付けていた。
勝っても怒られないのであれば、麻雀を楽しむことが出来る。
だが昔と同じように、勝てば怒られるのであれば、楽しむのは難しい。
それを馬鹿正直に聞いてしまうのが咲らしかった。
だがそれは逆に言えば、照にも勝てると思っているという事だ。
あの「宮永照」にここまで言える高校生は咲くらいだろう。
しかし…と菫は思う。
(確かに照に勝てるとしたら…咲以外にはいないかもしれないな)
咲の言葉を受け、照が切り返す。
「…あの程度で私に勝とうなんて、10年早い」
そう言われて、咲は自分の発言がどう受け取られたかをようやく理解した。
慌てて否定する。
「あ…わ、私…そういうつもりで言ったんじゃ…」
「咲は昔みたいに私に負けて泣いてるのがお似合い」
これにはさすがの咲もカチンときたらしい。
ムッとした表情で照に言い返す。
「…お姉ちゃんも、昔みたいに私が勝っても怒ったりしないでね」
「………」
数秒間の睨み合いの後、照はくるりと背を向けた。
そして咲に言う。
「私と打つつもりなら、その前に他の誰かに負けたりしないように」
「私は誰にも負けるつもりはないよ。…お姉ちゃんにも」
「………」
「………」
そのまま歩いていく照。
咲はその背中を呼び止める。
「お姉ちゃん」
「…なに?」
照は振り返らずに足だけを止める。
そして咲の言葉の続きを待つ。
「………」
「………」
「と、ところで、トイレってどこかな…?」
「………」
照は脱力しながら振り返り、
トイレの場所を教えてあげた。
久し振りの再会も束の間、喧嘩別れのような形で終わってしまった照と咲。
だが菫には、これ以上ないくらい仲の良い姉妹のようにも見えた。
スタスタと歩いていく照を追いかける菫。
「おい、照…いいのか?」
追い付いて照に話しかける。
だが、その表情を見て安心する。
「………」
照は笑っていた。
それは、妹が自分と同じ舞台にまで上ってきた事を喜ぶかのようだった。
「…嬉しそうだな」
菫にそう言われ、照は知らず緩んでいた表情を引き締める。
「……嬉しくなんてない」
「そうか…」
付き合いが長い菫には本心は隠せない。
照のこんな表情を見るのは初めてだった。
もしかしたら咲は、照にとっての初めてのライバルかもしれない。
菫は、二人の対局を純粋に見てみたいと思い始めていた。
「…ところで、照」
「なに?」
「お菓子はよかったのか?」
「………」
立ち止まる照。
そして振り返る。
「忘れてた。買う。戻る」
「ダメだ。もう時間がない」
「え……」
「少し長く話しすぎたな」
試合開始まで、もう10分を切っていた。
照は悲しそうな顔になる。
「泣くなよ。亦野にでも頼んで試合中に買っておいてもらえ」
「……そうする」
トボトボと控室に戻る照。
その後ろ姿は、本当に悲しそうだった。
「そんなにお菓子が大事か…」
独り言のような菫の呟きに、照は反論する。
「お菓子は重要。お菓子があれば2回くらい多くアガれる気がする」
「それはさっき聞いた」
試合が間近に迫り、会場全体が緊張感に包まれる。
照と咲。間違いなく個人戦の主役になるであろう二人。
その二人が互いをライバルと認識したのだ。
菫はこれから起こるであろう数々のドラマを想い、身震いする。
全国大会という名の、宮永姉妹による壮絶な姉妹喧嘩が始まろうとしていた。