私の恋の終わらせ方

 


 

あの子の事が気になり始めたのはいつからだろう。

はっきりとは思い出せないが、きっと春頃からだった気がする。

本来、3年生である私が担うべき部長という大役を、あの子は引き受けてくれた。

そして初めからそうするのが決まっていたかのように、それをこなした。

私はいつしかその凛とした姿を目で追っていた。

そして気付いた時には恋に落ちていた。

 

あの子の視線の先には、いつも決まってあの人がいた。

その視線を見つけるたびに、胸がキュッと締め付けられた。

だけど、それは私が恋をする前から知っていた事だ。

いつもあの子の中にはあの人がいた。

それはきっと10年前から育み続けていた恋。

私にはそれを奪う事など出来なかった。

それでも日に日に膨らんでいく想い。

私はその気持ちを"冗談"という形で表に出すしかなかった。

 

 

「灼ちゃんって、名前があったかいよね〜」

「え……」

そう言って、私はおどけたふりをしたまま、灼ちゃんに抱きつく。

「ちょっ…宥さん…抱きつかないでよ…」

「あったか〜い」

口では拒みながらも、明確な拒否はなかった。

でもそれは分かっていた事だ。

灼ちゃんは優しいから、きっと私を拒まない。

それを分かって、私は抱きつくのだ。

 

灼ちゃんは温かかった。

体温が、心が、眼差しが、温かかった。

一緒にいると、とても落ち着いた。

抱きついているうちに、だんだん眠くなる。

このまま一緒に眠れたら、それはどんなに素敵な事だろうと思う。

そしてきっと灼ちゃんはそれすらも拒まないだろう。

だから私は、灼ちゃんの優しさにつけこんでそれを実行する。

「あったか〜い……むにゃむにゃ…zzzz」

「えっ、ちょっ…宥さん?寝ないでよ、ちょっと?」

もちろん寝たふりだ。

ドキドキして眠れるはずがない。

私に抱きつかれ身動きが取れない灼ちゃんは、観念したかのように溜息をついた。

そして寝ている私を優しく抱きしめ、頭を撫でてくれた。

それはきっとただの友達に対するスキンシップだろう。

それでも私はその行為に胸の奥底から温かくなり、

同時にほんの少しの罪悪感がやってきた。

 

しばらくそんな温かさに包まれていると、玄ちゃんが部室に来た。

そして灼ちゃんに抱きついている私を見て、灼ちゃんに声をかける。

「あれ?灼ちゃんどうしたの?」

「離してくれないんだけど…どうにかして…」

「あははは…」

玄ちゃんの乾いた笑い声。

この辺りが潮時だろう。

私は寝たふりをやめ、起きたふりをする。

「…ん……あれ、玄ちゃん…?」

「おはよー、お姉ちゃん」

「あ……私、寝ちゃってた…?」

自分でも笑いそうになるくらい、わざとらしく起きる。

そして灼ちゃんから離れる。

離れる瞬間、体を包む冷気が心まで冷やした。

もっとくっついていたかった。

だけど、私は概ね満足していた。

灼ちゃんは温かくて、柔らかくて、良い匂いだった。

好きな子に抱きつくという事が、こんなに満たされる事だとは思いもしなかった。

だけど、それを知ってしまったのは、私の失敗だった。

それから、私は事あるごとに灼ちゃんにくっつくようになった。

あんな幸せを知ってしまった私に、その衝動に抗う術はなかった。

 

 

少しだけ肌寒い初夏のある日、半袖の灼ちゃんが肌をさすっていた。

私はすかさず声をかける。

「灼ちゃん、寒そうだね」

「少し…」

それを聞いてすぐに提案する。

「マフラー、一緒に巻く?」

「え、そこまで寒くな…」

予想通りの言葉。

私は落ち込んだふりをする。

そんな私を見て、灼ちゃんが少しだけ慌てたように言う。

「あ…や、やっぱり巻こうかな…」

これも予想通りだった。

灼ちゃんは本当に優しい。

「本当?じゃあおいで」

「う……うん…」

私はマフラーをほどき、それを灼ちゃんの首に巻く。

そしてそのまま私の首へ。

「うぅ…顔近い…恥ずかし…」

「あったか〜い」

「うぅ…顔が熱…」

すぐ横に灼ちゃんの顔がある。

キスをしようと思えば、簡単に出来る距離だ。

もちろん、したかった。

でもそんな事は出来ない。

その一線を越えてしまったら、もう冗談では済まされなくなる。

そしてその瞬間から灼ちゃんは私と距離を取るだろう。

だから、私はグッと我慢をする。

 

私達を見て、憧ちゃんが呟いた。

「仲良いな…」

仲が良い、とはこういう事なのだろうか。

このスキンシップは、基本的に私からの一方的なものだ。

灼ちゃんから抱きついてきたりした事は一度もない。

当然だ。灼ちゃんは私の事なんて好きではないのだから。

仲が良い、なんて言葉に、私はなんの喜びも持てなかった。

 

 

だから、こんな日々がすぐに終わりを向かえるのは分かっていた。

こんな風にくっついたり抱きついたりしていたら、そろそろ嫌われるだろう。

それを思うと途端に怖くなった。

好きな子に嫌われるというのは、これ以上ない恐怖だった。

だけど、私のこの想いは灼ちゃんに届く事はないだろう。

灼ちゃんは私ではない、別の人を見ている。

それは初めから分かっていた事で、今さら絶望するような事じゃなかった。

振り向いてもらえないまま、私の気持ちは消えていくのを待つしかなかった。

それならば、と私は思う。

現状維持しか道がなく、いずれは終わってしまう運命なら、

せめて一度だけでも、この想いを形にしたい。

一度だけ目的を達して、その代償として嫌われて、終わりにする。

それが私の恋の終わらせ方のような気がした。

そんな気がしてしまった。

 

そして、そのチャンスはすぐにやってきた。

 

 

私は灼ちゃんと二人でお風呂に入っていた。

麻雀部の合宿の夜、大浴場で二人きりだ。

他の子達は皆、既にお風呂から出てしまった。

赤土先生と話をしていてお風呂に入るのが遅れてしまった灼ちゃんと、

もっと温まりたいから、という理由をつけてお風呂に残った私。

他の子達が再びお風呂に戻ってくる事はないだろう。

赤土先生は知り合いに会いに行く為、出かけてしまったらしい。

観光シーズンではないこの時期、他の宿泊客もほとんどいない。

全ての舞台が整った。

このチャンスを逃す手はなかった。

 

「灼ちゃん、寒いね…暖めてあげる」

私はいつものように、ふざけたふりをして抱きつく。

「宥さんが暖まりたいだけでしょ…。っていうかお風呂で抱きつかないでよ…」

いつもの拒否の言葉。

だけどやっぱりこれ以上の拒絶はない。

「あったか〜い」

最近では当たり前になってきたスキンシップ。

だけど今日はいつもとは明らかに違う。

互いに裸であるという事。

そして、私の中に一つの覚悟があるという事。

好きな子の裸を目の前にして、冷静でいられるはずもない。

灼ちゃんの胸やお尻を見て、有体に言うと、興奮していた。

私だって、人並みにそういう感情を持ち合わせているのだ。

 

私は灼ちゃんの背中に胸を密着させる。

そして灼ちゃんを背後から抱きしめ、両手は灼ちゃんの胸へ。

小さいけれど、微かな膨らみはちゃんと柔らかかった。

「やわらか〜い」

「ちょっ…どこ触って……んっ…」

指が乳首に触れた時、一瞬だけど灼ちゃんの声が跳ねた。

それを確認して、私は一気に踏み込む。

手を下に移動させる。

「灼ちゃん、生えてないんだ〜」

「やっ…そ、そんなとこ…ダメ…っ」

まだ言葉での拒否しかない。

だから、まだやめない。

灼ちゃんの一番大事な所に侵入する。

「…ん…っ、あっ」

「ここ、気持ち良いんだ?」

反応のあった場所を執拗に攻める。

その度に灼ちゃんの声がうわずっていく。

「あっ、や…あっ、あ…っ」

「気持ち良い声出てきちゃったね?もっと触った方がいい?」

「や…、もう…ん…っ、ふぁっ、やっ…」

灼ちゃんの可愛い声に、頭がクラクラする。

そしてその声を出させているのが自分の指だと思うと、さらに高揚した。

お湯の中ではあるが、明らかにお湯とは違う、ぬるぬるした感触があった。

灼ちゃんのを触りながら、私は灼ちゃんの首筋にキスをする。

指で、口で、灼ちゃんを感じていると、灼ちゃんが私のものになったような錯覚を覚えた。

そして、最初の覚悟を遂行するべく、私は灼ちゃんの耳元で囁く。

「…ねぇ、灼ちゃん、赤土先生には内緒にするから…最後までしていい?」

私は赤土先生の名前を出し、取引を持ち掛ける。

だけどこんな事、誰にも言える訳がない。

だからこれは、取引じゃなく、脅迫。

これで、私は目的を達して、灼ちゃんに恨まれ、恋を終わりにする。

本当にこんな事をしてもいいのか、この瞬間に至っても逡巡する。

灼ちゃんを傷つけるのは間違いない。

自分の欲求のためだけに、こんな酷い事を好きな子に強要する。

私は最低の人間だ。

それなのに灼ちゃんは、どうして―

「うん…内緒にする…。内緒にするから…して…」

なんでそんな目で私に"お願い"をするのだろう。

こんな卑怯な私を恨んで欲しいのに。

胸の奥が締め付けられた。

そしてその瞬間、私の心が芯から凍えた。

私は何をしようとしていたのだろう。

こんな事をしたら、灼ちゃんを傷つけてしまうだけだ。

私は慌てて灼ちゃんから離れる。

「ごめん…っ、灼ちゃん…じょ、冗談、だから…」

「え……」

一瞬、呆けていた灼ちゃんだったが、すぐに私の言葉を理解した。

そして真っ赤な顔で取り繕う。

「ご、ごめん…私の方こそ、何を言って…」

私達は互いの顔を見れないまま、しばらく固まった。

そして私は逃げるようにお風呂を出た。

 

私は自分の部屋に戻り、少しだけ泣いた。

この涙は、後悔の涙だった。

私は、自分のした事を後悔していた。

あと少しで、取り返しのつかない事をするところだった。

いや、酷い事なら、既に十分すぎるくらいにしてしまった。

灼ちゃんも流されかけ、あの場での同意はあった。

だけど、そういう状況を私が作ったのだ。完全に私のせいだ。

このまま嫌われ、恨まれ、口もきいてくれなくなったとしても仕方なかった。

絶対に後悔しないと決めてした事だったのに、

たった30分で既に死にたくなるような後悔に襲われている。

せめてもの救いは、それを完遂出来なかったという事だけだ。

私は、最低の人間だった。

私は体調の悪いふりをしてベッドに潜り、深い後悔の中、

私はジッと壁を見つめたまま、寝たふりを続けた。

 

 

夜、メールが届き、携帯電話が光った。

深夜3時。私はまだ眠れていなかった。

差出人は灼ちゃんだった。

私は心臓が止まる思いでメールを見る。

 

『今から私の部屋に来れる?』

 

きっと灼ちゃんも一睡もしていないのだろう。

そして、ずっとさっきの事を考えていたはずだ。

私は少しだけ迷ってから、ベッドから起き上がる。

そして玄ちゃんを起こさないように部屋を出た。

 

 

灼ちゃんの部屋に、赤土先生はいなかった。

「ハルちゃん、今日は知り合いの所に泊まるって」

私の問いかけよりも先に、灼ちゃんが私の疑問に答えた。

私は何も答えずに、灼ちゃんの隣に座った。

部屋には、季節外れの暖房が効いていた。

きっと私のために部屋を暖めておいてくれたのだろう。

こんな私のために。

 

しばらく沈黙が続く。

私は何を言えばいいのか、

ずっと考えても、何も浮かばなかった。

私が言うべき事は、ただ一つだけ。

それは分かっていたのに、それを切り出す勇気がなかった。

「…なんで、あんな事したの?」

突然、沈黙を切り裂くような質問。

それは、返答一つで全てが終わってしまう、核心を突いた質問だった。

どう答えるべきか、私は考える。

私の本心を言えば、灼ちゃんはきっと困るだろう。

こんな気持ちをぶつけても、灼ちゃんには想い人がいる。

だけど、この場で取り繕った嘘の理由を言う気にもなれなかった。

口ごもる私に、灼ちゃんは助け舟を出すかのように、静かに呟いた。

「……冗談で、あんな事、やめて欲し…」

それを聞いて、私はようやく気持ちが定まった。

あの時咄嗟に口にした"冗談"という言葉。

でも冗談であんな事をしただなんて、思われたくはなかった。

その誤解だけは解きたかった。

この期に及んで許されようだなんて考えない。

でも、本当の気持ちだけは知って欲しかった。

「……冗談なんかじゃ…ないよ」

「…どういうこと?」

「灼ちゃんの事が好きだから…灼ちゃんに触りたくて…したの」

「え…」

「灼ちゃんを…私のものにしたかったの…ごめんね…」

言いながら、私の目からは涙が零れる。

涙なんかで誤魔化したくなかった。

それでも、自分の意思とは無関係に涙が出てくる。

灼ちゃんは私の言葉に驚いているようだった。

「本気で、私の事を…?」

私は頷く。

そして、もう一度、はっきりと言う。

「灼ちゃんの事が、好き…」

再び訪れる沈黙。

灼ちゃんはきっと困惑しているだろう。

私がこんな気持ちを抱いているなんて、思ってもいなかったはずだ。

やっぱり、困らせてしまうだけだった。

私は灼ちゃんの顔を見れなかった。

 

このまま朝を迎えてしまうかに思えた長い沈黙は、

灼ちゃんの掠れた声で終わりを告げた。

「本当?信じても…?」

私は顔を上げ、灼ちゃんを見る。

灼ちゃんは顔を赤くして、私を見つめていた。

それは照れている、というのが一番しっくりくる表情だった。

そして、灼ちゃんはぽつりぽつりと呟く。

「最近、宥さんが私に抱きついたり、触ったりしてきてたの…」

ゆっくりと、言葉を噛みしめるように、

「本当は、少し嬉しかった」

灼ちゃんは自分の気持ちを伝えてくれた。

「友達と、あんな風にじゃれたりした事なかったから…」

私は、その言葉の意味を必死に拾い集めながら、

「私も、宥さんの事は…好きなのかもしれない」

溢れてくる涙を止めるのを忘れていた。

好きな子が好きだ、と言ってくれた。

それだけで、なんと幸せな事だろう。

でも、私は灼ちゃんの本心に気付いていた。

灼ちゃんの事が好きだから、気付いてしまった。

私は、灼ちゃんに言う。

「でも…灼ちゃんは赤土先生の事が好きでしょ?」

灼ちゃんは、少し考えてから頷いた。

「灼ちゃんが私を好きなのは、友達として、でしょ?」

「…………………ごめん」

灼ちゃんの口から謝罪の言葉。

それを聞いて、私はようやく気付いた。

私は、フラれたのだ。

だけど、それは初めから分かっていた事。

初めから分かっていた事実を、ただ告げられただけ。

何もショックな事ではなかった。

私は灼ちゃんの手を握り、そして尋ねる。

「…どうして謝るの?」

「え?」

「私の事、友達としては好きになってくれたんだよね?」

「うん…」

それを聞いて、胸の中に喜びが広がる。

私には、それだけで十分だった。

これ以上、望むものなんて何もなかった。

私は、灼ちゃんの目を真っ直ぐ見た。

「好きになってもらえて、嬉しいよ」

そして偽りのない気持ちを伝える。

「ありがとう」

 

私の恋が、今終わった。

 

 

 

それから、私はお風呂場でした事を灼ちゃんに謝った。

「あんな酷い事しちゃって…本当にごめん…」

私がそう言うと、灼ちゃんは一瞬体を強張らせた。

その強張りを感じて、私は激しく後悔を募らせる。

やはり、灼ちゃんの心に傷を付けてしまったのだ。

だが、灼ちゃんの反応は少し違った。

「…あの事は…その…忘れて欲し…」

消え入りそうな声で、懇願するような事を言ってきた。

私は戸惑う。

「え…?」

「あんな風に…変な声出しちゃって…ごめん…」

「灼ちゃ…」

灼ちゃんは、恥かしがっていた。

それを見て、不謹慎にも私は可愛いと思ってしまった。

俯いたまま、灼ちゃんはもう一度私に言う。

「恥かしいから…もう忘れて…」

だが、私は湧き上がる疑問を灼ちゃんに投げる。

「怒ってないの…?」

「え……うん、別に…」

「ど、どうして…?あんなに酷い事したのに…」

私からの素朴な質問。

灼ちゃんは、少し迷ってからそれに答えた。

「宥さんだけが悪かった訳じゃないし…」

「……」

「私だって、最初に拒めば良かったのに…そうしなかったし…」

「……なんで、拒まなかったの?」

「っ……そ、それ聞く…?」

少し怒ったように、灼ちゃんが私を睨む。

それは聞いてはいけない事なのだろうか。

私にはよく分からなかった。

灼ちゃんの言葉を待つ。

灼ちゃんは、すごく言いにくそうに、顔を真っ赤にして言った。

「………気持ち、良かったから…」

「え?」

「胸触られて、気持ち良くて…拒めなか……って、何言わせるの…っ」

そんな理由だったとは。

私は驚く。

「胸触ったりするくらいなら、玄がいつもしてる事だし…」

「う、うん」

「松実家特有のスキンシップって事で…、だから、気にしなくていいよ…」

私は、玄ちゃんの日頃の行いに少しだけ感謝した。

「それに、途中でやめてくれたし…」

「……ごめんね」

「うん…だから、もう忘れてね…本当に恥ずかしいから…」

でも、それでも、灼ちゃんが怒っていなくても、

私のした事は許される事ではなかった。

私は罰を受けるべきだった。

 

 

 

次の日の朝―

私達はホテルのロビーで集合した。

明け方に赤土先生も帰ってきたらしく、全員揃っていた。

結局私はほとんど寝ていなかった。

部屋に戻ったのが朝の4時半。

それからベッドに入ったが、

ようやくうとうとしかけた頃に目覚ましが鳴った。

 

皆が口々に挨拶をする。

私も、皆に挨拶をする。

いつもの光景だ。

そして灼ちゃんと目が合った。

私はいつものように笑う。

そしていつもと同じ言葉に、いつもと違う感情を込めて、言う。

「おはよう、灼ちゃん」

 

そして今日も、私の好きな子は、私に笑いかけてくれた。

 


 

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