| 11.裾野駅 〜 (東海道)下石田交差点 平成21年2月15日(日) 晴 |
|---|
裾野駅前〜長泉なめり駅付近![]() 晴天とはいいながら霞がかかった空の下、9時16分一通りの作業を終え裾野駅前を出発します。「えっ? 一通りの作業ですか」トイレと靴の紐を結び直す程度ですよ。5分程で佐野原神社前を通ります。踏切を越え三協アルミの工場沿いに行くと、工場のはずれに熊野神社(左)があります。 石垣は富士の火山岩を使ったもの。新しい社殿ですが龍の彫刻だけは昔のまま残されたようです。そしてこの神社もこの地独特と思われる、注連縄の張り方でした。 早くもが咲いています。3月1日に河津へ桜見物の予定をしていますがこの分ではちょっと遅すぎるかも。 左手に不動尊(右)があります。不動尊の境内にはいろいろな碑が置かれています。 その先を直進して、芙蓉台で大場川を渡るつもりでいたところここには橋がありません。仕方なく更に7〜800m程も歩かされた青木橋を渡り、芙蓉台の対岸まで戻りました。 30分以上も無駄足を踏んでしまいましたが、ここは不動尊の所で右折して御殿場線を渡り、県道394に出れば良かったようです。 芙蓉台から東洋ラテックスの工場脇を通り、御殿場線の第一納米里踏切を渡り、更に県道を越えついでに富士見橋で黄瀬川まで越えてしまいます。 |
城山(長久保城祉)〜小林地区・天王宮![]() 黄瀬川に沿ってしばらく進むと、線刻のがあります。こんなにはっきり綺麗に見える線刻碑は珍しいのではないでしょうか。すぐの突き当たり右手が城山で、長久保城があった場所です。今川、北条、武田そして徳川が支配権を争った城跡には、木々に覆われて城山神社(左)が建っています。 神社の石段を下り、斜め右に進むと、左に蓮華寺のひげ題目碑があります。 少し広い道路に合流します。桃沢川を高橋で渡ると緩い登り坂になり、上り切った左奥にこんもりとした木が見えます。 一柳直末公首塚で、天正18年(1,590)の小田原攻めで山中城で戦死した秀吉方の武将。 間もなく沼津市に入ります。小林地区を行くと右手に八幡神社があります。ここの注連縄も真っ直ぐ・・・・・もういいか、しつこいね。 神社前で右に曲がり、細い川沿いを行くと沼津市消防22分団前に震災追弔之碑(右)が建っています。安政1年(1,854)の安政東海地震での犠牲者を供養するために明治36年に建立されたものです。 向かいには庚申塔もあります。碑の前を左折すると、ちょっと奥が天王宮で、11時53分、大きな楠の木陰で休憩を摂ります。 |
大岡・山の神様〜下石田交差点![]() 上石田山の神様(左)前から西園寺前を通り、北街道と書かれた新幹線のガードをくぐります。くぐった右手には上石田とか、十三町余、光長寺とか所々文字の判る道標が置かれています。 右に左に大きな家が見えますが、間もなく国道1号の下をくぐり、車の行き交う上石田交差点に出ました。 天理教踏切を渡り、道なりにどんどん進みます。大岡小学校を過ぎ、箱根裏街道踏切で東海道本線を渡ると、「これより木瀬川」と書かれた小さな木札がありましたが、何なのですかね?。 踏切を渡ってからひたすら歩くこと10分、東海道との合流地点下石田交差点(右)に、小さなガッツポーズで到着、矢倉沢往還を完歩しました。 12時40分、裾野駅から19,067歩で。 |
| 柿田川湧水地 〜 三島広小路駅 |
|---|
| 下石田(交)でゴールしたんですが、東海道を歩いた時のこの場所は全く記憶に残っていませんでした。 しかし、柿田川公園にむけて東海道を下り始め、沼津領界石や潮音寺を見ると共に完全に記憶を取り戻しました。 もう間もなく1時になろうとしていますがまだ昼飯にあり付いていません。国1に出れば蕎麦屋くらいあるだろうと思っていましたが残念、いらつきながら柿田川公園まで来てしまいました。そしていらつきも頂点に達したころ、やっと公園前にファストフード店を見つけます。 |
![]() ![]() ![]() ![]() |
| 柿田川湧水は、北に40q富士山に降った雨や雪が三島溶岩流の間を通り、長い年月を経てここに湧出している。湧出量は日量100万トンと言われ、静岡県東部の約35万人の飲料水となっています。 10年前まではヘドロだらけの川だったそうですが、今はそんなだったことは全く感じません。水が澄んでいるために魚の泳ぐ姿もはっきりと見え、水辺から水中まで繁る植物も生き生きとしています。 国道は何度も通っていましたが、通過のみでした。今日ここに入って本当によかった。透明度の高い水や、緑の水中の植物を見て目も心も洗われたように感じます。 |
三島か沼津までバスで帰ろうと思いましたが、時刻表を見ると30分以上待つことになります。「三島までは歩いても30分位だぞ」旅人二人、三島広小路駅(伊豆箱根鉄道)に向かって出発! 途中で旧東海道に合流すると千貫樋の説明板があり、家の裏を覗くとコンクリート樋の中を用水が流れています。 伊豆と駿河の国境に架けられた樋で長さは42.7mあります。創建は今川、武田、北条三家の和睦が成立した時に、北条氏が今川氏に長堤を築き、引き出物として水を疎通させたと言う説が一般的だそうです。 千貫樋とはこの用水が、高千貫の田畑を潤すとか、建設費が千貫を費やしたから、などかららしい。 東海道の時には、「大したものじゃないので」と素通りしてしまいましたが、一見の価値はありますね。 間もなく三島広小路駅から、くたびれ果てながらも矢倉沢往還を完歩したことに大満足しつつ帰途につきました。 |
| 前の頁 | 矢倉沢TOP | HOME |
|---|