| 保土ヶ谷道を歩く | 平成24年10月12日(金) 晴 |
絹の道を歩きながら、保土ヶ谷道の存在を知りそれを歩くことにしました。保土ヶ谷道は東海道保土ヶ谷宿(大門交差点)と戸部村を結んでいるごく短い区間らしく、戸部村(戸部交差点で横浜道に合流して横浜港まで通じています。 天王町駅前の旧帷子橋跡から少し東海道を上ると大門交差点信号(左)があります。この交差点を左折して(南東方向へ)進み、今井川を大門橋で渡ると間もなく道路は東海道線や横須賀線などの線路で分断されます。 ![]() そこに架かる跨線橋で線路を渡り国道1号線に出ます。 余談ですが、箱根往復大学駅伝を、この付近で応援するのがはやとちりの正月恒例行事になっています。 国道を横断した正面の小高い所に杉山神社(右)が鎮座しています。 拝殿の左手に両手にすっぽりと収まってしまいそうな小さな狛犬や庚申塔、道祖神、堅牢地神など数多くの石造物が置かれています。その中の石灯籠には文久3(1,863)年、上岩間町水戸屋政五郎とあります。 ![]() 東海道線の下岩間踏切付近で保土ヶ谷区から西区に入ると、早くも保土ヶ谷道のプレート(左)を発見しました。絹の道を歩いた時に、このデザインの意味を知ったのですが、もう一度おさらいをしておきます。人の字のような一画目が東海道、二画目が横浜道、そして横棒はその両街道を結ぶ保土ヶ谷道で、西区を通る三本の旧街道をデザインしています。 ![]() 踏切のすぐ先で右折してくぐる、グリーンロード藤棚のゲート(右)の手前に保土ヶ谷道西区歴史街道標柱が立っています。またそのゲートにはニコニコ商店街、久保町商店街、藤棚商店街、藤棚一番街、西前商店街と五つの商店街の名が書かれています。 グリーンロードに入るとニコニコ商店街です。ほとんど商店街らしい面影が失われた商店街ですが、中程にまたグリーンロードのゲートがあり、すぐ先を右に曲がるとこじんまりと八幡宮が鎮座しています。 久保町商店街を過ぎると藤棚商店街に入ります。藤棚商店街はシャッターの閉まったままの店などなく活気にあふれ、今までより行き交う人も多くなっています。 ![]() 藤棚商店街から広いバス通りに出ると藤棚町交差点(左)。交差点北西角の藤棚の由来には、横浜へ向かう保土ヶ谷道の要衝であったこの地に、明治の初め頃から酒饅頭店があった。その店先の藤棚には毎年純白の花房がたれ、道行く人は勿論市電の窓越しからも観賞され、誰言うとなくこの地を藤棚と言うようになった。戦災で藤棚は焼失したが、町名変更の時に藤棚の地名だけが残された。 現在は有志により再び藤棚が復元されています。 ![]() 交差点の先は、藤棚一番街。この商店街も活気に満ち満ちています。西前商店街に入ると右に藤棚日限地蔵尊入口の石柱が立っています。 右に曲がったすぐ右手に願成寺山門(右)が見え、その手前の地蔵堂に三体の地蔵尊が祀られています。大正2(1,923)年の関東大震災でこの付近一帯が焼け野原となった時に藤棚に残された延命地蔵尊と、戸部岩亀横町の子育て地蔵、それと徳川時代から願成寺にあった日限地蔵の三体です。 ![]() 願成寺は寺伝によれば、天平年間(729〜49)この付近を通りかかった行基が喉の渇きを覚え、亀に教えられ掘リあてた清水で渇きを癒した。そこでこの付近を法亀山と名付け草堂を創り、この草堂が願成寺の起源となる。 山門をくぐった右に日本のスポーツ振興に尽力した、元横浜市長平沼亮三氏の墓があります。 本堂奥の墓地に横浜開港間もなく、外国人を殺害した罪で処刑された三人の墓(左)が並んでいます。 慶応2(1,866)年関内の遊郭で酒に酔って乱暴をはたらいた、フランス人水兵を居合わせた相撲取りの鹿野山が投げ飛ばし、鳶の亀吉通称小亀が鳶口で殺害した事件の小亀の墓と、元治元年(1,864)鎌倉八幡宮そばで、イギリス士官を惨殺した、攘夷派の志士清水清治と間宮一の二人の墓です。 しかし維新当時に外国人を殺害したこの二つの事件、イギリス士官殺害は攘夷派浪士に非があるが、小亀の件は情状酌量の余地があるのでは。 |
西前商店街のはずれに西前商店街周辺案内図があり、周辺の主要施設が示されています。 保土ヶ谷道はすぐの信号の先を右に坂を上ります。しかし二人は、そこを直進した先の五差路信号を左折して杉山神社(左)に寄ります。イチョウやケヤキの古木に囲まれた中に鎮座する杉山神社は、白雉3(652)年に出雲大社の大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命)の分霊を祀ったと伝えれる横浜市内では唯一の式内社です。こんな身近にとてつもない古社があったとは、正直おどろきです。 拝殿の前に狛犬とともに、狛鼠が置かれています。これは平成14(2,002)年に創建1,350年を記念して建立されたもので、男性は雄鼠を女性は雌を一回転させてお参りするのだそうです。それとなぜ狛鼠かと言うと、大己貴命が須佐之男命の娘、須世里姫に求婚したところ、須佐之男命から試練を課され、鼠の協力によって乗り切ったとの伝えで、鼠が大己貴命の使いとされているかららしい。 境内左手には俳優の黒沢年男氏が奉納した、大黒天石像もあります。 ![]() 戻っって上る坂はくらやみざか(右)。安政6(1,859)年の横浜開港とともに、治安維持の為に関門が設けられたそうです。脇に牢屋敷と処刑場があって、願成寺に葬られている、小亀や攘夷志士もここで処刑されたそうで、何となく坂の名の由来がイメージできます。 坂の途中伊勢町もくせい公園の先に小さな祠が二つありますが、この祠はここで処刑された人々の冥福を祈って建立されたのでは。 坂を上り切ると左手に光源寺があります。浄土真宗のお寺ですが、「光源氏だって」とは、つれのつぶやき。 道路の右下の方からからゴォーと低い音が響いてきます。道路右手の谷底を京浜急行が走っています。谷底の先はすぐにトンネルと、この付近はほとんど地下鉄状態です。坂を下った伊勢町商店街(左)は、さびれが進行中のような商店街です。しかし、数軒ある八百屋そして米屋、洋品店や寿司屋、花屋、電気屋などが頑張って営業しています。 ![]() それにしても、保土ヶ谷道はニコニコ商店街から始まって、この伊勢町商店街まで、ほぼ半分は商店街の中を通っています。保土ヶ谷道開通当時はどの商店街も栄えに栄えていたのでしょうが、大手スーパーの進出とか、交通の発達などで横浜駅周辺に客足が流れ、現状は生き残りに大変な努力をしているのだろうと想像します。 商店街を道成りに進むと、横浜駅根岸道路(市道80号)に合流します。合流した角にも西区歴史街道保土ヶ谷道標柱が立っています。 その先、坂を200mほど上った頂上の交差点(右)は保土ヶ谷道が絹の道でもある横浜道と合流する地点で、横浜道と保土ヶ谷道の二つの旧街道プレートがはめ込まれています。 そしてここが保土ヶ谷道のゴール。到着が10時36分、歩数5,356歩のわずか1時間足らずの保土ヶ谷道散歩でした。 |
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