ぶ ら り 鎌 倉 街 道  を歩く     その3 中 道(なかつみち)      
  10.  池袋 〜 岩淵    平成26年4月17日 (木)   晴


家を出たのが9時、地下鉄副都心線池袋駅に10時10分。今日のスタート地点南池袋信号に10時35分にt着き、豊島岡女子学園に沿い左に曲がります。

すぐ左手の小さな広場に明治天皇御野立所跡碑(左)があります。脇の碑文は、長文のうえに読み難いのですが、明治8年に板橋方面で行われた軍事演習をご覧になる際ここで休憩したとのようです。


その先豊島岡女子学園の裏手に回り込むように右折して、首都高5号線の下をくぐり斜め左に進み、サンシャインビル前で斜め左に細い道に入ります。
と言いながら、実はサンシャインビルを見上げたりしていて、うっかりこの道に入るのを忘れ、すぐ先の信号でこの道に出たのが真実です。


東池袋公園の先で春日通りにぶつかり行く手を阻まれます。通りの向かい正面に伊勢屋と子育て地蔵(右)が並んでいます。

右手の信号で春日通りを横断し子育て地蔵の写真を撮っていたら、隣の帝京平成大学の関係者と思われる方が、地蔵など撮っている二人に興味があったらしく近寄ってきます。「旧鎌倉街道を歩いていて、古道を偲ばせるものを撮っている」と話すと、この道が鎌倉古道ですか、とびっくり。そしてその古道を辿って歩いていることに更にびっくりしていました。

その方に、ここは時習小学校だったはずだがと尋ねると、6〜7年前に帝京平成大学に変わったとのこと。大学に沿い右に曲がると右側の学校敷地隅に、時習小学校跡・西巣鴨町役場跡碑が立っていました。
明治34(1,901)年に高等尋常小学校として創立され、校名は論語の「学びて時に之を習う」から引用された、その学校敷地の一部に西巣鴨町役場が建っていたそうです。


山手線や高崎線の線路の上を宮中橋で跨ぎ、上池袋2信号で都道305号の明治通りに合流して右に曲がります。上池袋交差点を過ぎ、上り坂に差し掛かる右手に東光庵が、坂を上る途中に淑徳巣鴨中学高等学校があります。

そのすぐ先右手の千川上水公園(左)千川上水調整池跡。小石川、浅草、上野方面への水道として、元禄9(1,696)年に玉川上水から分水された水のごみを取り除く沈殿池跡。
明治13(1,880)年に岩崎弥太郎らが設立した、千川水道株式会社の送水に使われたバルブが公園内に残っています。

道路向かいには千川上水分配堰碑(右)があります。
明治15(1,882)年の設置で、碑面に(取水)樋口の大きさや利用者が刻まれ、千川上水の利用者の水利権を明確にし、取水量を遵守させるために設置された碑です。

すぐ先で旧中山道との掘割交差点を横断します。旧中山道でここを通ったのは、平成19年5月。巣鴨から板橋までの途中で、旧中山道を歩き始めて2回目でもう7年も前になります。その掘割の地名は、慶応元(1,865)年幕府が滝野川村に建設した反射炉の水車利用に、王子方面への分水を開削する際に堀を作ったことに由来します。


右に大正大学を過ぎた西巣鴨交差点の30m程手前を斜め左に入るのが旧道です。しかしこの旧道はすぐに国17号の中山道により分断されています。旧鎌倉街道に限らず旧道は新道で分断されているケースが多く、その都度迂回せざるを得ません。ここでは旧道に入る目の前に見えていた西巣鴨交差点で横断し、続きの道を行きます。


旧道はすぐに、滝野川八幡通り商店会(右)に入ります。かっては賑やかだったのだろうが、今は商店もちらほらといった商店会です。
突き当りを右折しすぐの十字路を左折し、しばらく先右手の「コープみらい」手前を右折します。右手の王子高校と思われる塀に沿った先で二車線のやや広い道路にぶつかります。
その道路の向かいは、小さな公園で藤棚の下のベンチで小休止です。つれがさっきから休もう休もうと訴えていましたが、ご尤ももう歩き始めて1時間も経っていて、休んで当たり前。


二車線の道路を北に向かうと右手に妙證寺があり、その先で滝野川アパート群を過ぎると正面に赤い橋が見えてきます。その手前左手に金剛寺(下・左)があります。門前に数基の石塔が立ち山門を潜った左右に宝暦4(1,754)年の筋骨隆々の金剛像(と思う)が立ちます。

治承4(1,180)年兵を挙げた源頼朝は初戦こそ勝利したが石橋山に敗れ安房国に逃れます。そこから上総、下総の諸将を味方に鎌倉を目指す途次、滝野川の松橋に陣をとります。松橋は当時の金剛寺寺域の地名。弁財天を信仰する頼朝は、両岸が切り立つ岩の洞窟にある弁財天に(おそらく戦勝を)祈願し、弁天堂を建立したといいます。

当時弁天の滝や紅葉の名所として知られていたそうで、紅葉橋からの石神井川は滝こそありませんが、切り立つような深い谷の下を流れ、金剛寺境内の紅葉が当時の名残でしょう。


境内には、滝野川で生まれ富士講の先達として富士信仰にかかわる人々から敬われた安藤富五郎の顕彰碑七福神(右)なども置かれています。


紅葉橋を渡る時が丁度12時。橋の先の紅葉橋交差点左にスーパーのサミットがあり、中で軽食でもと入店します。しかし食事ができる店はなく当て外れ。トイレだけ拝借して店を出ます。

交差点の先で坂を上ると右も左も王子アパート、500m以上も続いたアパート群を抜けると左手に北区中央図書館があります。

右手から合流してくる道があり、その合流点に2基の庚申塔(左)が立っています。向かいは北区中央公園の芝生の広場で、近くの学生達が食事をしたり、寝そべったり。空腹を覚える二人は、食べながら談笑する学生を横目に先を急ぎます。

公園の先で二車線の道路に突き当ります。旧鎌倉街道へはここを左折します。しかし、右手の信号方向に車の通りが多く、ひょっとして食事のできる店があるのでは、と坂を上ります。そして信号交差点で通りの左右を見渡しますが、ここも当てが外れます。でも、この十条台小学校前の信号交差点は見覚えがあります。日光御成道です。旧鎌倉街道と日光御成道との合流点が真近いのを確信。


日光御成道に小さな感動を覚えながらも、目的を果たせずややがっかりして元に戻り、美容院のある最初の信号を右に曲がります。曲がったすぐのパン屋さんに、はやとちりの好きなサラダやコロッケなど総菜パンが並んでいます。これを逃す手はなく、どこで食べるかは後で考えるとして、買っただけで少し空腹も和らいだようで現金な腹だ。


中十条1−27で右手からの道と合流しますが、ここが日光御成道との合流地点です。実は我々二人、鎌倉街道中つ道を歩くのは2回目で、当然2度目の日光御成道との合流です。1回目の鎌倉街道中つ道は2009年で、これは日光御成道を歩くよりも前のこと。この時、何も記録しないで歩いたために、今回の再挑戦となった次第です。



この先は日光御成道として歩いていますが、旧鎌倉街道の道案内、芳賀善次郎著「旧鎌倉街道探索の旅」中つ道による終着地岩淵まで歩くことにします。
合流する箇所に風化した石塔があり、左折したすぐ右手に六十六部供養佛塔が、その先左に地福寺があります。茶の生垣参道はかって「茶は王子の名物」と言われた郷土の歴史を伝えています。


すぐ先の信号からは右が東十条駅、左は十条駅へ向かいます。どちらも商店街で食事のできる店がありそう。十条駅方面へ左に折れた通りは、篠原演芸場通りで思った通りレストラン101を発見。総菜パンの出番は失いましたが、12時50分ようやく昼食にこぎつけました。しかしまだ昼食時間としてそんなに遅くもなかったのにこの腹の減り具合、今日はどうしたのかな。



街道に戻り先に進むと左手に十条富士塚があります。江戸時代から続く大祭を伊藤元講が主催してと、ここにも富士信仰を広めた伊藤講の名があります。


その先、ステンドグラス(左)の窓の家や銅葺の家など、大正時代だろうと思う歴史のある旧家が並びます。

右手に西音寺を過ぎた環七との交差点南西角に八雲神社(右)があります。
賑やかな環七の片隅にひっそりと佇む神社で、略記によると、江戸時代までは牛頭天王を祭神として、牛頭天王社と称し庶民から天王様と親しまれていたが、明治の神仏分離令により八雲神社と改称した。社名は須佐之男尊の詠んだ「八雲立つ出雲八重垣妻籠に 八重垣作るその八重垣に」による。境内の片隅に天明4(1,784)年の庚申塔が佇みます。


環七の交差点を超えると清水坂。その説明板に、五街道の一つ日光街道に幸手で合流するこの道は家康の年忌など、徳川将軍が日光東照宮へ社参する道で、その華やかな行列は幕府財政を圧迫する莫大なものだった、と。

清水坂を下った左手の山の中腹に若宮八幡宮の屋根が垣間見える。街道の右手にJR高崎線や東北・上越新幹線が接近し、それに左から合流してくる埼京線の下をくぐります。
そのくぐる手前の右手は、かっては温泉の「かっぱ天国」、日光御成道の時は「温泉わっしょい」に代替わり、現在は建物は残っていますが営業していません。商売ってのは難しいんですね。


ガードをくぐった先は5年前と同じで、道路拡幅工事中。いつまでの予定なのだろうか、歩行者が通るたびに頭を下げる交通整理員の方も大変だ。
左手に真正寺があった真正寺坂を過ぎ、鐘楼山門が異国的な雰囲気を醸す普門寺前を通過します。すぐ先の左手奥に新勝寺があります。境内や付近の地形から太田道灌が築城したと伝えられる稲付城跡と推測されています。


赤羽駅西口の先で駅反対側に出て、線路に沿い突き当った宝幢院前を右折します。宝幢院は寛正2(1,461)年の開山。門前が板橋道と日光岩槻道が合流する位置にありそれを示す道標が立っています。


宝幢院前を右に曲がると間もなく赤羽交差点に差し掛かります。交差点の一本右手の道の角に大満寺(左)があります。
不動明王を安置して、岩淵不動尊として信仰されている寺。不動堂のそばに弘法大師を囲んで四国霊場札所の銘木があります。その銘木に手をかざして一巡りすると、四国霊場札所を巡礼したのと同じご利益が得られるとする「お手かざし霊場」です。

門前の幸福地蔵尊は手にワラジを持っています。人々を救うためにワラジを履いて近くまで行き手を差し伸べたい、との願いを持っているからだそうです。


ゴール目前の右手に都内唯一の造り酒屋小山酒造があります。最初の鎌倉街道の時はシャッターが下りていて、御成道の時にはウォーキンググループらしい大勢の人が店内にひしめきあきらめた経緯があり、三度目でようやく店内に入ります。

奥さんが語るには、創業は明治11年で130年以上になるが、埼玉にある本家は200年以上ですよと。

本家をはじめ分家の銘柄が並んでいましたが、ここの代表銘柄は丸真正宗。純米大吟醸には手が出ず、純米吟醸で我慢。
隣に史跡岩槻街道岩淵宿問屋場跡碑があり、その脇を入った奥が小山酒造の造蔵蔵っです。


すぐ先が新河岸川に架かる新荒川大橋(左)、ここが旧鎌倉街道中つ道の最終目的地。今日午後1時55分、12,610歩。


これで旧鎌倉街道中つ道を踏破し関東地方の主要旧鎌倉街道、上つ道・中つ道・下つ道の3ルートを制覇しました。




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