| 古代東海道 を歩く | 7. 上中里駅 〜 三河島駅 平成28年10月25日 (火) 曇 | |||
JR京浜東北線上中里 駅から坂を上った、本郷通りの平塚神社前信号が今日の出発地点です。通りの向かい、安永九(1,780)年の六阿弥陀三番目 西箇原無量寺と刻まれた石柱の立つ路地を入り、坂を下り左に曲がると無量寺の山門があります。山門をくぐると両側に笹竹が風にそよぐ風情ある参道です。境内に入ると、「境内は公園ではありません、マナーを守ってお参り下さい」の注意書がまず目に入ります。枝垂れ桜やモミジなどが配置された境内は季節毎に趣を変え、参詣者以外にも多くの人が訪れ、なかにはマナーの悪い人もいるのだろう。 無量寺(左)は創建年代は不明だそうですが、十四世紀頃の板碑が多数確認されているとのこと。慶安元(1,648)年に幕府から八石余の年貢、加役を免除され、元禄十四(1,701)年には五代将軍綱吉の生母桂昌院が参詣しています。余談ですが、元禄14年は赤穂浪士が吉良邸に討ち入る前の年。 平安時代後期の作と言われる阿弥陀如来坐像が安置されています。江戸時代に六阿弥陀詣でが流行り、春と秋の彼岸に極楽往生を願い、花見や紅葉狩りを楽しみながら、各所の阿弥陀如来を巡拝したそうで、無量寺はその第三番目です。 本尊の不動明王像は、忍び込んだ盗賊が不動明王像の前で動けなくなり捕まった、と伝えられ足止め不動として 信仰されているそうです。本郷通りに戻るとすぐ先が旧古河庭園(右)です。綺麗なバラが咲き誇る洋風庭園から、心字池を中心に紅葉や松が配置された和風庭園を散策します。松の枝を保護する作業中で、縄の結び目が変わっているので植木屋さんに聞いたら梅結びと呼ぶ結び方だだそうです。細かいところにも凝った庭園に目の保養をさせてもらいました。しかもこの見事な庭園の入場料は65歳以上の二人は70円とお得な格安料金です。 旧古河庭園前で本郷通りと分れ、左テに田端高台通りを行きます。通りは名のごとくJR京浜東北線などの線路を見下ろす高台を通っています。 左手にしばしば目にする和菓子の青柳があります。前に買ったかりんとう饅頭が美味しかったのでここでもと、つれがショーケースを覗きこんだがここには無いらしい。 右手に女子聖学院があり、向かいにかなり立派な赤門のお宅があります。小鳥の鳴き声が大きく見上げた、お宅の屋根は小鳥の糞で真っ白く汚れていました。 田端中学校入口信号の所で山手線を高架で越えると正面にスカイツリーが見えています。間もなく左手にアスカタワーが出現し、すぐの東台橋手前を左に坂を下ると田端文士村記念館があり、入場無料とここも嬉しい。田端は明治中頃までは閑静な農村でした。明治22年上野に東京美術学校(現芸大)が開校され、以降芸術家達が続々と転入しさながら芸術家村のようになる。大正3年に芥川龍之介が移り住んだのをきっかけとして、室生犀星や菊池寛、堀辰雄、萩原朔太郎なども居を構え、大正から昭和初期にかけて文士村となった。 文士村の脇の回転寿司で昼食です。 |
食事をした店の前の道路、都道458号線を北に行くと右手に田端八幡神社があります。社伝によると、文治五(1,189)年、源頼朝が奥州征伐を終え凱旋する時に鶴岡八幡宮を勧請して創建されたとされています。田端八幡神社参道口隣に東覚寺不動堂があり赤紙仁王尊と呼ばれる仁王像(左)が立っています。東覚寺は田端神社の別当だった関係で、仁王像は明治元(1,867)年の神仏分離令までは田端八幡神社の門前にありました。 吽形像背面の銘板に寛永十八(1,641)年とあるそうです。この仁王像は身体にいっぱい赤紙が張られていますが、当時江戸市中で流行った疫病を鎮めるために建立され、いつの頃からか赤紙(悪魔を焼除する火の色)を自分の患部と同じ箇所に貼り病気身代わり、心身安穏を願うようになったと。それで赤紙仁王尊と呼ばれ、願いが叶うと草鞋を奉納しますが、病気見舞いに日夜歩き、さぞかし草鞋が必要だろうとの思いかららしい。 ![]() 東台橋に戻って先に進みます。JR京浜東北線などを左手に見下ろす台地で、この付近は道灌山と呼ばれています。名の由来は中世の土豪の関道閑の屋敷跡があったとか、太田道灌が出城を造った等の説があります。 この付近には寺院が多く、競って庭園を整備したことにより、四季折々に景色を楽しむことができ、また風流人の虫聴きの名所にもなっていて、一日遊んでいても飽きないことから「ひぐらしの里」と呼ばれていました。元々の地名は新堀ですが、こんなことから日暮里の文字があてられるようになった。〔西日暮里公園(右)の説明板より〕 西日暮里公園の先から日暮里駅に向かう道はお寺ばかり、日暮里駅の先には谷中霊園があります。しかし街道はそちらには向かわず、公園から左手に坂を下り、右折して西日暮里駅の下を潜り、更に日暮里舎人ライナー、そしてすぐに京成線を越えます。そして少し先で貨物線だろうと思われる踏切を渡り線路沿いに右折します。 右折した少し先でJR常磐線の線路が大きくUターンして右手から迫り、道路に沿う形に並行します。その先の三河島駅が今日にゴール。右手高い所にホームが見えますが、行けども行けども改札口がなくホームを横目に歩くこと約300m、ようやく駅構内へ入り、午後1時30分、8,853歩。だんだん歩く時間が減ってきている、はやとちり一行二人です。 |
| 前の頁 | 次の頁 | 古代東海道TOP | TOP頁 |
|---|