| 日光御成道 を歩く | 7.和戸から幸手追分 平成24年4月8日 (日) 晴 | |||
9時47分、和戸駅に着いてすぐに出発です。備前堀川を渡り、日光御成道に出て右折、すぐに備前前堀川を和戸小橋で渡ります。 備前前堀川は橋の右手で大落古利根川に合流します。ほぼ平行に流れている備前堀川もすぐ下流で大落古利根川に合流しています。その大落古利根川は上流で、葛西用水と青毛堀川更に中落堀川が合流して生まれています。このように多くの水路があるのは、かってこに地域でさかんに新田開発が行われていたからだろうと推測します。 ![]() 橋を渡った和戸橋(交)の右手に相野原にあったのと同じ、大きな「日光御成道のみちすじ」説明板があります。 交差点を渡った右手には宝暦7(1,757)年の庚申塔(左)があり、右すぎと道、左さって道とあり道標にもなっています。 そして向かい、道路左手には大きな大落古利根川治水碑が建っています。 少し進んで、右手のスーパー・マミーマートで花見用の弁当を購入します。 すると、「お弁当だけで、ビールは要らないの」とつれが気遣います。が、買わないにはそれなりの訳があるのです。その訳は後ほど分かりますが。ついでながら、この日光御成道のゴールを今日にしたのは、権現堂堤での花見を目論んでいて、満開時期と睨んだからなのです。 スーパーを出るとすぐに下高野一里塚(右)があります。 古利根川の自然堤防上の街道両側に五間四方の塚があったが、大正初期に道路拡張により西側が取り壊され、東側だけが残っています。 左手に墓地を過ぎると、ジャージー姿の一団が飛び出してきました。左手の昌平高校の生徒達で、ジョギングですれ違って行きました。湯島の昌平黌とは関係ないだろうな。 ![]() 左手に八幡神社があります。 入口に右から屋根の下の地蔵尊、馬頭観音、庚申塔、文字庚申塔(左)と並んでいます。 真ん中の庚申塔は元禄7(1,694)年、馬頭観音は天保10(1,839)年と刻まれています。側面の文字を読むのに夢中になり、うっかりして地蔵尊のトタン屋根に頭をぶつけてしまいました。帽子を被っていなければトタン板の角で頭を切り、血を見たかも。 向かいにも社があります。神社だと思いますがそれ以上は分かりません。 ![]() 前方左手に松並木の名残松が二本(右)残っています。 傍らの御成街道の松並木説明板によれば、御成道には松をはじめ杉、榎など数多く植えられていた。昭和30年代以降、交通の発達と道路拡幅により徐々に減り続け、今ではわずかに残る松が往時の面影を偲ばせている。 名残松の横にある公園の紅梅は見頃は過ぎたがまだまだ綺麗。すぐ先左手には絵本から出てきたような、カラフルな家が何棟か並んでいます。 ![]() 街道に沿って南側用水路(左)が流れ、数羽の鴨が遊んでいます。 途中では街道と用水を横切って圏央道(首都圏中央連絡自動車道)の建設の真っ最中。甲州街道の旅でも、日光街道でも圏央道の建設現場を通りましたが、部分的には完成していますが、全線完工にはまだかなり時間が掛かりそうですね。 少し行くと、用水縁に家庭菜園のような小さな畑が並んでいます。畑に用水の水を汲み上げるのにバケツやひしゃくジョーロなどをてんでんに工夫しているのには感心しました。 ![]() 信号の左手に馬頭観音(右)があります。文化14(1,817)年の建立で、右日光道、左いわつき道、西くき道などと道標を兼ねています。 その信号の左手を葛西用水路が流れ、その右手奥に祠が見えます。 葛西用水路周辺は整備された公園になっています。しかし折角の公園なのに何故か中には入れません。その公園の中に祠もあり、祀られている正体は確かめられません。 |
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左手に正徳2(1,712)年の庚申塔(右)があり、脇に御成街道と琵琶溜井の説明板があります。琵琶溜井は江戸時代の関東郡代、伊奈忠克が利根川を開発して琵琶形のダムと各地へ水門を造り、水田へ水を流すためと、江戸を水害から守るために利用しました。 伊奈氏は忠次、忠治、忠克(勝?)の三代に渡り関東郡代として、江戸を洪水被害から守るために、利根川の治水に力を注ぎました。 この説明板のすぐ奥に琵琶溜井堰があります。 ![]() 間もなく右手に日光街道が合流して来ます。日光街道と日光御成道の追分です。 11時15分、7,000歩ぴったりで到達した、この追分が日光御成道の旅のゴールです。=日光御成道完歩 ![]() 日光街道でここへ着いた時に石井酒造が無くてがっくりきた事を思い出します。日光街道をあるく(創英社発行・大高利一郎著)に石井酒造がここにある、とあって、楽しみにしていたからです。実は無かったのではなく、スーパーベルクに隠れていて気が付かなかっただけだったのです。しかし今回は事前調査で存在を確認していて、迷わず店内に入ります。 この店、最近では珍しい量り売りをしていて、大吟醸だって180mlが525円で買えちゃう。財布と相談しながら、大吟醸と純米酒を少々。「甘酒も大吟醸で作ると美味しいわよ」とつれは酒粕も。それと朝、つれが気遣ってくれた「花見用の酒」は、ここでを買う、と決めていたのでそれも含めて。 間もなく東武日光線を渡り、幸手宿に入ります。ここは既に歩いているのでもう脇目も振らず、いやかなり振りながら、権現堂へとまっしぐら。 |
![]() 途中、「花も団子も」と欲張るつれは石太菓子店の客となります。 文久年間(1,861〜)創業の老舗菓子店で、奥さんが持つしおがまはその当時からの味を今に伝える銘菓で、明治6(1,873)年明治天皇が東北巡幸の際、幸手に泊られた折に献上されたと。 ![]() 現場で食べるのに少し買い、帰りにまた寄ります、と出ようとしたら「帰りはバスに乗ってしまうかも、今買って行って!」商売上手に、荷物が増えてしまいました。 店を出る時に、途中の無料休憩所(右)で、うちのお菓子と地元のコンニャクを振舞っているから寄りなさいよ、とアドバイスも。 |
![]() ![]() 権現堂堤は、利根川の支流権現堂川の水防の為、江戸時代前に造られた堤でかっては、6qにわたり約3,000本の桜があり、大正時代から桜の名所となっていました。利根川や荒川の流路変更に伴い、昭和8(1,933)年に権現堂川は廃川となり堤防は荒れ果て、終戦のどさくさで桜は燃料として伐採されてしまった。 ![]() 昭和24(1,949)年権現堂川堤防のうち、中川の堤防として残った部分1qに約1,000本の桜を植樹したのが現在の権現堂堤です。 ご覧の通り、桜はまだ5分咲き程度ですが、桜と菜の花のコントラストは見事のひとこと。満開ではないが、日曜日でしかもうららかな陽気とあってもの凄い人出で、あちらこちらから綺麗!の喚声が聞こえてきます。 桜の下はもう入りこむ余地もなく茣蓙が敷き詰められ、それぞれに花を見上げながら楽しげに談笑し、箸を口に運んでいます。 人が多ければ埃も多い。我々はそれを嫌い、人波を縫って中川の対岸に渡り、喧騒からのがれのんびりと花見の宴を催します。 スーパーの寿司に石井の酒、そして石太の桜まんじゅうなどを並べて。 |
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