日光例幣使道 を歩く        .金崎宿 から 楡木(にれき)追分     平成26年10月24日 (金)   晴

出発地が遠くなりるに従い朝が早い。横浜駅5時54分の京浜急行特急青砥行に乗り込みます。それにしてもこんなに早い時間なのに結構混んでいるんですね。幸いにも座席は確保できましたが。浅草から区間快速で順調に新栃木駅に到着し、9時42分発の普通電車で金崎駅へ向かうはずでした。
待つことしばし、「42分発にしては早いな」と感じながらも入ってきた電車に乗ると、「次は野州平川、野州平川」。 ・・・?・・そして、えっ!と思ったが後の祭り。違う路線があるとは思ってもいなかった二人は呆然と顔を見合わせます。1時間に1〜2本の電車を乗り間違えたのだから戻るのにどのくらい掛かることやら、と大失態を悔やみつつ降りた野州平川駅前には幸運にもタクシー会社があります。

とんだドジを踏んだことから余分な散財をしてしまいましたが、ほぼ予定時刻にスタート地点の金崎駅前に到着しました。前回はほんの一足違いで1時間半も待ち、今日はこのザマ。金崎に呪われているのでは、との思いが頭をよぎります。が、金崎には関係なく全て自分の責任。


朝から大失態をしでかしましたが、ともかくも9時5分金崎宿をを歩き始めます。金崎宿は街道筋に家並みが並んでいたが、その他は田畑ばかりのごく平凡な宿だった、とのことで、たしかに歩いている道すがらに宿場らしい面影は残りません。


金崎信号を過ぎた左手の電柱に「日光例幣使街道 日光東照宮への使いが通行した道」と木札が下がっています。すぐ先左手に立派な門と板塀の大きなお宅があります。新築されていますが、本陣だった古沢氏宅(左)です。

古沢氏宅から100m程行くと右に旧道が残ります。旧道は小倉橋西信号で国293号線に合流し小倉橋で思川を渡ります。
大概帳に「小倉川有、常水時は川幅弐拾五間」とある小倉川が今の思川です。小倉橋で渡りますが、当時は5月から8月は徒歩渡り、9月から4月の間は土橋が架けられたそうです。また日光社参の際などにも土橋が架けられたそうです。


小倉橋を渡った小倉橋東信号で思川に沿うように細い土手道へと左折します。
土手道を歩き始めるとすぐにつれからストップの声が掛かります。「鳥の声がいっぱいする」と言いながら双眼鏡を取り出しますが、はやとちりには鳥の声は一切聞こえません。耳の衰え=老化を痛感します。ホオジロ、カワラヒワ、ジョウビタキと矢継ぎ早に野鳥の名をあげて興奮気味のつれです。そのつれ最近は街道歩きより野鳥観察(バードウォチング)に趣味の重きをおきだし、今後街道歩きは一人でか?とも感じるはやとちりです。


土手道から再び合流した国293号線に「鹿沼の観光案内板」があります。「鹿沼?」気付かなかったのですが、小倉橋の手前で栃木市から鹿沼市に入っていたんです。脇には11月1日、東中強歩大会に対する交通配慮の掲示板も。
強歩について以前テレビで見たような気もしますが、一昼夜で80〜100qも歩く長距離歩行のことで、中学生がお互い助け合い励まし合って完歩した達成感はもとより、労りの心や友情の深まりなど精神面の効果が大きいのでは。日にたかだか10qから15qっきり歩いていないはやとちり一行は、100qも歩く生徒さんに敬意を表しつつ全員の完歩を念じました。


国293号線を北に向かうと右手に磐裂根裂神社(右)の森があります。神社の裏手に十九夜塔が5基並んでいます。建立年がわかるものでは、文久9(1,869)年が一番古く他は明治と昭和で比較的新しいものです。


今朝ひと騒動があり出発前に万全の準備が出来なかったことからそろそろトイレの所在が気になりだします。しかし行けども行けども国道沿いにコンビニや公園はありません。

右手に磯山神社の入口看板がありますが、神社はかなり奥らしいので素通りします。磯町信号を過ぎてしばらくした東北自動車道の手前に長屋門(左)の家が2軒並んでいます。

すぐ先東北自動車道の下に鹿沼南押原駐在所があります。旧街道を歩いていて2〜3度駐在所でトイレをお借りした経験からドアを押しますが開きません。かなりな飽和状態なのでこのチャンスを逃すと一大事を引き起こしかねず、つれの静止を振り切り裏手の住まいに声を掛けます。
出てこられた警察官の奥様からOKを頂きます。

ほっとしたついでに聞いたんですが、コンビニはこの先3q程の楡木まで行かないと無いそうで、この駐在所がなかったらどうなったことやら。神様仏様駐在所様から車が多いから気を付けてと送り出されました。


東北自動車道から50mの右手に明治42(1,909)年の石塔(右)があります。中央部分だけ文字が読めないのは、誰かが意図的に削り取ったのか、それとも石の劣化だろうか。

更に50m先に馬力神があります。この付近は四脚門や長屋門などの大きな旧家が目立ちます。
右手に馬頭観音があります。これは平成10年建立の真新しいもので、その付近からはるか右手に車の行き交う道が見えてきます。日光壬生道です。その日光壬生道と合流する楡木追分はもう目と鼻の先。

日光壬生道を確認してから約400mで、楡木追分(左)に到着です。追分道標には「右中仙道、左江戸道」とあり、この道標は日光から下って来た旅人の為のものです。
楡木追分は日光例幣使道と日光壬生道の追分ですが、道中奉行管轄の例幣使道はここで終わり、ここから先今市までは小山宿の喜沢追分で日光街道と分かれた日光壬生道になります。しかし一般的には今市までは例幣使道と呼ばれています。

はやとちりは道中奉行管轄に従いここ楡木追分で例幣使道を完歩とします。今日の歩数は6,625歩、時は10時29分でした。


今日我々は鹿島まで歩きましたが、この先は「日光壬生道を歩く」として日光壬生道編で記述させていただきます。


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