紹介

「森の中で」へ








●自己紹介●

ようこそ。この森を守る森番こと八神華夜です。          

ここでは、少しばかり僕の自己紹介をします。           




■八神華夜■

名  前:八神 華夜《やがみ はなや》             
性  別:男性                         

好む小説:「五重塔」           幸田露伴       
     「空色勾玉」          萩原規子       
     「ドグラ・マグラ」       夢野久作       
     「死に急ぐ奴らの街」      火浦功        

好む漫画:「ベルセルク」         三浦健太郎      
     「なつのロケット」       あさりよしとお    
     「ハルチン」          魚喃キリコ      
     「笠井萌子の運転手」      高木りゅうぞう    

好む知識:「私の中の日本軍」       山本七平       
     「生きている人と死んだ人」   山本夏彦       
     「言霊」            井沢元彦       
     「雲萍雑志」          山崎美成?      

好む映像:「Trainspotting」            
     「スタンド・バイ・ミー」               
     「フルメタル・ジャケット」              
     「ニュー・シネマ・パラダイス」            

嫌いな物:保身に「人権派」を詐称して社会貢献を無視する弁護士会 
     嘘を真実とし、不安の見出しで耳目を集める報道機関   
     のみニュケーション文化側からの搾取          
     「多数決で行こうよ、民主主義だからさ」という「空気」 

e-Mail :連絡は付かないものと諦めて下さい。          
     どこかの掲示板に八神宛の書き込みがあれば       
     5年に一度くらいは見るかも。             



■「森の中で」の由来■

思い付きで付けた名前を説明するのにしては、少々話が長くなります。
しかしまあ、ご来訪下さった方の、理解の一助になればと考えしたため
る事としました。どうぞご一読下さい。              


さて、唐突ですがあなたにも悩みはありますか。          

僕も人の仔、人皆誰しも持つように一人前に悩みがあります。この悩み
は解決できるようなものではなく、むしろ生涯引ずって行かなくてはな
らない業のようなものです。いや、業そのものなのかも。      
正直、自分のことは嫌いです。                  

当然、次の命題はこうです。「自分は一体どうして自分なのか」 いい
歳になって青臭いと笑う向きもあるかも知れませんけれども、悩みを放
棄する生き方と追求する生き方の、どちらに貴賤があるということもな
いと思います。そして僕にとってはいつまでも深刻な問題です。   

歌謡曲や大衆物語は決まって「夢は必ず叶う」とおためごかしを唱えま
す。しかし僕はそれを見て聞いてますます不快になるばかりです。すべ
ては成功者の言葉。不才が為の堂巡り目眩みの果てにあるものは、決ま
って頽廃の淀みとなります。                   


機会に恵まれる幸せに浴して欧州を一人で散歩したことがあります。言
葉の通じないもどかしさはありましたが、自分とゆっくり付合う事ので
きた、それは良い旅でした。                   

「デブの国ノッポの国」という童話があります。          
やせた兄と太った弟がパリ郊外フォンテーヌブローの森をハイキング中
に、とある丘から地下世界に入り込んでしまいます。そこはデブはデブ
同士、ノッポはノッポ同士で国を作り、いさかい、いがみ合いながら暮
らしている世界です。二つの国はやがて戦争を行ったあと相互理解を深
め、ついには講和を結び一つの国として生まれ変わります。これを見届
けた2人が地上に戻ると、おどろいたことにほんの数時間の出来事でし
た。                              

これ、僕はパリ市内にあるブローニュの森のことと勘違いしていたんで
す。なにしろ小学生の頃読んだだけですので。まあ、思い違いから始ま
りましたが、2人にあやかってみたくって、ある年の12月23日、パ
リ市内ブローニュの森を一人で散策してみたんです。        



聖誕祭に湧く町中と違い森はひっそりとそこにありました。木々は真っ
すぐに立ち並んでいました。流れがやせてよどんだ小川には薄く氷が張
っていました。土の上には馬の蹄がその足跡を残していました。水面に
はカモ、木肌にはキツツキ、頭上にはヒヨドリ、暗がりにはカラスが居
ました。                            

森はどこまでも続いて行きます。歩いて歩いて歩き疲れて、それでも人
を嫌ってどこまでも歩いて行きます。道は時折小川にそい、あるいは多
様な勾配を見せ僕をなにかに誘っていました。           

それでも疲れ果て、心細くなり、何かに縋り付きたくなった時、目の前
に突然、大きな池が現れました。                 

疲れた足を休ませるため、ほとりのベンチに座り込み、コートの襟を立
てて風を避けます。良く晴れた日差しは僕の身体に温もりを与えます。
しかし、冬をつかさどる氷の女王の息吹の前には、ほんのなぐさめにし
かなりません。顔を上げると池の向こうには小高い丘がありました。 

2人の兄弟の物語を強く思いおこさせるめぐりあいに気分を良くした僕
はその丘を登ります。するとその丘を登るにつれて、どこからともなく
激しい水音が響いてきます。「なんだろう」好奇心はしかし恐怖もよび
ました。ですが、あこがれはそれらを駆逐して、ただ僕の身体を頂上へ
と急がせました。                        

そして登り切り、ついに視界が開けます。頭上に欧州の青空を頂いた僕
の足下に現れたのは、それは見事な滝でした。知らず感動が心に湧きま
す。しばし全てを忘れて「うっわー」と驚嘆します。        

落ち着いて、滝のつくりを丁寧に眺めると、どうやら天然をよそおった
人造の滝で、先に見た、今僕の後ろに広がる池の水が、この丘をくぐっ
反対側から落ちているものと判りました。それでもなんだか、この滝に
巡り会えたのが嬉しくなって、今度は正面から眺めてみようと左にそれ
て降りてみました。                       

すると何と、その丘のふもと暗がりに、地下に向かった穴が開かれてい
ました。道は当たり前のようにその中へと続き、地下世界へ僕を招いて
います。見知らぬ外国で人気のないところに突き進む不安に足がすくみ
ます。けれども、僕の好奇心が無謀を勇敢と言いふくめて足を先に運び
ます。今一度辺りを見回し、周囲に怪しい人影が無いことを見て取り、
ままよと歩みをそちらに向けました。               

洞をくぐると、一度はおさまりかけた水音が、また大きくひびいてくる
と同時に光が射し始めます。そして、再び驚かされました。     

僕は丘の下、滝の真後ろに立っていました。水は僕の目の前を、青空を
背負ってどこまでも白く落ちて行きました。            



その旅行の中で、尤も深い思い出となったその滝が、有名な、ロンシャ
ンの辻にある滝と知ったのは帰国してからのことです。団体旅行でただ
行っただけなら、バスか何かで横付けしただけなら、きっとこんな大切
な思い出にはならなかったでしょう。もう一度訪れてみたら、きっと大
した所ではないでしょう。むしろつまらない所と言ったら言いすぎでし
ょうか。                            

しかしそうだとしても、僕が歩いてたどり着き、教わることなく見つけ
だした丘と滝と洞窟は、取り戻せないそのときの、かけがえの無い宝物
です。                             

僕は人付き合いが上手くない人間ですけれども、当時は今以上にものご
とから距離を取っていたため、その旅を思い立ったことも、数々の思い
出も、森を求めたことも、そしてそこでの邂逅も、全ては自分で求め自
分で探し、自分で至り自分で見つけた、独りぼっちのものでした。  

ですから、自分にとっては誇らしい大発見でも、端から見たら唯の感傷
に過ぎません。                         

ですがそこまで自分で割り切っていても、この胸に残るあの欧州の空の
ような安らぎは、これは一体何なのでしょう。           


敬愛する山本七平氏に言わせれば、小説の役割とは「他人の内面の世界
を知ることによって、自分の内面の世界を把握できる」所にあるそうで
す。なるほど、物語を楽しみながら僕は、実に様々なことに思いを馳せ
ています。                           

時には登場人物のことであり、時には歴史上の出来事であり、時には作
者の逸話であり、時には自らの体験であり。そんな時、僕は必ず一人で
す。どんなに大きな発見をしても、どれほど強い感動を覚えても、物語
を読むとき僕は必ず一人です。                  

それは確かに寂しいことではあるのかも知れません。しかし、はたして
むなしいことでしょうか。違います。例え一人であっても、いや、一人
であるからこそ、その一つ一つの思いは、かけがえのない大切な自分自
身でありえるのです。                      

思い出は森の中で生まれました。                 

物語を書くという行為が自分の外に向かっての語りかけであるならば、
物語を読むという行為は自分の内に向かっての語りかけであるのです。

山本七平氏説く所の「中間言語」としての役割を僕の作品がつとめられ
るかどうか、それは判りません。あるいはそれは見果てぬ夢、生涯決し
てかなわない夢かも知れません。                 

ですが、人の生涯が死に向かって不可逆に進むものであるならば、僕は
その命を手段として何かを為しえたいと思います。         

拙速に求めた答えが良い答えとは限りません。むしろ巧久を持って求め
てこそ興趣に富むものかも知れません。とまれこの試みが、僕を含めた
一人でも多くの人の「森の中で」の出来事となればあるいは、    

そんな思いを込めて名付けました。                

この試みが皆様の何か契機となりますように。           






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