廣 告 文 化
第十六号
紀元二千六百年奉祝記念
大 阪 廣 告 協 会
昭和15年 2月11日 発行
 本文は旧仮名使い、漢字、句読点で読み辛いかもしれませんが、原文をできる限り尊重した表現に努めました。しかし一部にはキーワードの関係もあり現代表記にしてあります。
『広告文化』第16号、《紀元二千六百年に誓う》に投稿された各氏(到着順)
 森 平兵衛、伊藤俊雄、水野利八、・夷 佐一、竹田津吾一、入江來布、辻 覺次郎、河村仁三郎、・麻生久人、・奥田治伸、岸本水府、・南 無生、加藤直士、岡田流布之助、増井光三、・矢島週一二宮顕次郎、・前川市郎・大塚峻三森下禎三、・伊東仙吉
 太文字諸氏の抜粋掲載文を戦時下の広告資料としてここに転記しるものです。


外人の顔
美津野運動用品株式会社     長 水野 利八

 興亜戦線もいよいよ茲に第四年を迎へ、光輝ある紀元二千六百年は、この一大記念事業たる新東亜建設の聖業の完遂に向かって、全國民が一心となって打樹てる年となった。 この為には我々は重加する百難を突破して聖業の達成を帰さねばならぬ。同時に又我々はこの時に當り、躍進日本の偉大さ、新東亞の盟主として日本人の責任を認識し、すべての事にせねばならぬと思ふのである。  私は十一年前に歐米視察を終へて歸へるや一歩邦家へ入ると同時に、世界に冠たる日本人の優秀卓越性を確認し、我々の自覺を促した事があったが同時に広告界に對し、須く歐米の後塵を拝するが如き「外人の顔」をモデルとした広告やマネキンの排除を提唱した事がある。當時まだ「舶来品」を「優良品」と思ひ、歐米人を先進國とした拝外思想者の頭からは「外人の顔をモデルにするな」といった事を提唱しても、如何にも衒う如き感を持たれた人々も多かったと思ふのであるが、
 事實當時は外人でさへあれば、映劃俳優であらうが、スポーツ選手であらうが、實に常識はずれのした歡待をされた様にも感ぜられた。
 為に彼等こそは豫想外のもて方に喜ぶ事もあらうが、度を過すとかへって反對に侮日感さへ感じて歸ったものである様であった。
 殊にサイン攻めで東京や大阪で女學生が問題を起こした如き、全く日本女性の為に惜しまれる次第であるが、これ等の依って来るところを考ふるに全く拝外者流の教育指導によって斯くの如く誤られたものであらうと思ふ。
 とまれ、拝外思想の根は仲々排除し難い。映劃やマネキンや広告物に現はれる美の對照にやはり外人の顔が扱はれる事が未だある様であるが、これは一面広告作家の場合に於いては、或原稿の軽便主義の為に「外人の顔」がスクラップから取出される事もあり得ることではあるが、兎に角、「美しい」と思はせ、「立派だ」と感じさせる。
 この對照に外人を持って来なければならぬ様では駄目だと思ふのである。
 否、今こそ日本の立派さ、偉大さを彼の拝外者流に認識せしめて須く日本的な美、日本的な偉大さを拉し来ってこそ、広告を通じて國民を指導するところの所謂「広告報國」になるのであるまいかと思ふのである。
 しかし最近の新聞、雑誌等の讀み物等には努めてこの精神が盛られ、いたずらに拝外的な寫眞や記事を掲ぐる事なき様に劃りつゝある事は、殊に喜ばしい次第である。
 この事は興亞聖業の精神が那邊にありやを認識すれば自ら諒解されるべきことである。
 紀元二千六百年を迎えて、我々は広告を通じての國家社會への奉仕といった立前から、この事を更に提言する次第である。


誕生日の記
巧案社   麻生 久人


 毎年の事ながら年頭には誰しも思い多しである併し今年は何をさせ置いても、この世に生を受けて然も光輝ある鳳紀二千六百年の聖代に廻ぐり會ふと云ふ、その事既に大なる感激であり正に千載一遇の僥倖と云はねばならぬ。この天與の幸機をば若し私慾の惡得にりするとするならば、それこそ聖道に汚辱する外道に陥ったのも同然であらう。如何なる事態が身に振りかゝらうとも吾々は外道には陥りたくない。だが世間は想像以上に廣いのであって、中には背に腹は替えられぬを楯に、夜盗を事としてまでも白畫を飾る事に奸智を絞り詰めてゐるものもある。キタナク儲けてキレイに喰へば足りる主義の極地だと云ひたい。かかる人、内に外道の毒素を含んで自らも亦それに毒されている私は暫しの對坐と對談の内にそされた姿をふと直感する事が度々ある。疑装し切れない人魂の蓋し善なる象であらう。とまれ藝術畑の一隅に育った私等には、その曲藝は演じ得べくもなく、唯きじの儘の氣易さに生きた方が損であっても楽しいこの気持ちは純商業人からは兎角笑殺されるので、めったに賣り込みが出来ないが、出来ないだけに自分と同じ氣持の人を讀物の内に發見した時など又とても嬉しい。この前の本誌上に載してあった。座談會の記事の内で矢島週一さんの提訴(?)された中に、前歐洲大戦當時のアメリカの図案家の挺身的な奉國事業の引例があったが、實はよく私もそれを知ってゐて今日まで丸で他人事の様にしか感じてゐなかっ事に氣付いて、やが上にも赤面したと同時に、矢島さんの(謦咳には未だ接してゐない)お持ちになっている思想の片鱗に端なくも感觸して、楽しさの限りであった。全く奉國的に圖策宣揚のポスターを造り合ふ事位ひは、ほんたうにそれ位の事が實際に出来なければ嘘だと思ふ。獨力を如何にせんなどと徒らにに獨り歎いている場合でな氣がする。殊に今日は正月二日で私の誕生日、こゝに誓いたいのは、その志ある図案家糾合運動の發起である。


モンタージュ
ヤジマ・スタジオ   主宰 矢島 週一

 
 時局下の宣傅は次第に誇大挑発的ではいけなくなって来た。銀髯千丈の手法では今後適しなかなる。大朝の1月8日の新聞紙上で見た話だが、中央の或精動演説講師が、血の一滴のガソリンで、電車のあるに不拘、名古屋から半田まで飛ばしたのに激昂した民衆はその講師を忌避したとか、而も其主旨たるやガソリンの節約徹底を期する為だと聞いては、常識的な判断では割り切れぬ。精動主旨不徹底のそしりは相當にあるやうだ。用語が抽象的で高踏的に過ぎて例えば東亜新秩序の建設と言ふ用語は系統だった具体的な説明が示されなくては民衆には響かぬ、只鸚鵡返しに口まねするだけでは何の事やらよく判らないと言う。作成するものと観る者との階級の差があることに気づく。又厳めしい講演会よりも、新聞社のニュース映画
1巻でも見せた方が効果が期待されると云う。土に親しむ者の要求しそうな真理である。今一つ生産擴充の厚生省と、満州移民を奨勵する拓務省との宣傅を一所に引き受けた町村長が、二つの方針について一体どちらが徳かと反問されて困ったと云う、考えさせられる所がある。又節米しろと言ふ宣傅が出た頃には既に米が逼迫してゐたとか、以上の問題はわれわれ廣告人に教えられる所がある実例だ。繪描きが自分の畑にのみ氣を奪われて眞の目的を忘れたりアドマンが獨りよがりの文案をひねくるのはよくある圖である。

 僕が或職人階級の者と交際したら或友人が忠告してくれた。その友人は高踏的なることを誇りとしていた。廣告人にあらゆる世相の心理学的発見は許容されなくてはならぬと信じている。我々は少女のエスプリの環境にまでも飛び込んで共鳴し得る勇気と人生勉強は常に課せられている宿題のやうに思へてならぬ。都會人が土の人、職の人と交際して得策なしと早計する程泥人形ではないつもり、徒らに高踏的鼻っ端には土の附くときもあることを自覚せねばならぬ。

 終わりに最近日本の或製綿工場へ、ドイツから宣傅書を送ってきたと言ふ話。ドイツ語では何やらサッパリ分らんが、兎に角熱意あることだけは判るとの記事であった。この課題も我々にはいろいろに解釈ができる。痴人の話も一度は聞かねばならぬことがある。


広告の理論化について

前川 市郎

 広告の理論化は議論の時期ではなく實行の時代なるは云ふ迄もないが、實際的に見てまだまだ道の遠きものがある。果たして行ふべきか、行はれる可きかである。
 今日までの歴史に於いては他動的なる場合が主であって、広告人自らの場合では極めく尠い、然も広告に關する法規は相當あるが、大概全体的、抽象的でたって、具体的に完成されたものではない。その處に無能があり無駄があり、無節操が生まれる。嘗て大阪府の高尾氏、林技師、魚森氏等から主として薬品化粧品方面に亘って熱心な指導を受けた事もある。

 更に事變當初に於いて特高課の槐島、定森兩警部からも懇切に指導さるゝ處があった。然し前者は府衛生課のたちばとしてゞ、後者は事變下警察の立場として、自らの職務から出發された取締りに過ぎなかった。元よりのあの忙しい警察が広告の論理化まで細い世話が行届きさうな筈はない。一方街頭広告については広告審議會に依って、相當細かく研究實行されて來たやうである。處が是も市内の一部程度であって全般的に痒い處までは無理である。

漸く發達した今日の広告を如何にすべきか、吾々は忠實になる広告は悪質なる広告人に依って、或は識者に、或はのゝ行手を示さば、明朗商業広告の將來にも、惹いては産業家各自の広告政策にも期して待つべきものあるを疑はぬ。


活字のささやき
大阪印刷型紙製版所   大塚峻三

 乾坤一轉謹みて紀元二千六百年の新春を壽ぎ奉ります、と共に今年こそは更にこの光輝ある歴史的年代をして一段と意義あらしむる事に努力したい信念に燃えて居ります、新しき希望に躍進また躍進の姿を認識しつゝ奮勵する我等日本國民に榮光あれ!の萬歳を叫ぶものであります。
 扨、好むと好まざるに拘らず、過去の歳月は皆一様に過ぎて来た道であれば、その足跡を省みてさらに將來の進路に資する必要がある筈であるを思ひ、茲に感じたまゝを平凡ながら、順序もなく軽い氣持で重い筆を運んでいます。

 兎に角昨年は物資の不足が生活必需品にまで、及んで来ました。更に今後はその方向が擴大される事であらうことを覺悟せねばならぬと思ひます。では一体、物資の不足はいつまで續くか、どの程度まで激しくなるのか、勿論、こんな大戦争をしてゐるのであるから、平常通りの國民生活であり得るわけはない、大事業を前にしての切迫感があるべきは必然でありましょう。戦時物資の充足は民間需要を節して、これに當てねばならぬ。即ち『戦時の要求は絶対なり』の鐵則は茲に依って生まれた言葉であります。従って民需への強制は避くべからざる事實となって現れる。こゝに民需を或程度まで緩和する方法としては、それは生産力を殖やすことにあるは謂ふまでもないことであり、消費増に對應する生産率を増大すればよいのであるが、では生産擴充とはどの方面を指すかと云へば、戦時生産は一瞬も緩せに出来ぬは勿論であるが、一面に平和産業資源の開拓にも特に留意の必要を痛感するものであります。科學の進歩、生産技術の發達とその活?なる運用を以ってすれば、物資不足も悲觀せず、生産擴充の可能性を信じて疑ひません。

 近來我國の諸物價は高くなりつゝあり、尚その上に高くならんとしたものが、海外物價の低迷に一時は牽制されたのであるが、今度は反對に歐洲戦亂によって、海の向ふから物價昴騰の誘ひをかけられ再びぐんぐん高くなりかけたので、所謂傅家の寳刀たる物價ストップ令が飛出したやうです。所が皮肉なもので安ければ買ふのが自然の理であって、水の低きに流れるが如く、値がが安い金はある、買いたい、これでは物資不足で拍車をかけてプロペラーを廻した様なもので危険此上もありません。これも慾に弱い人情の一つでありましょう、殊にそれの甚だしい金持ちの存在……これを稱して殷賑産業方面と敬稱してゐます。日本は甘い言葉を慥へます。
 紀元二千六百年活字に恥ぢず正しく職責に勵みましょう。

寧ろ廣告の機會
伊東仙吉

“賣るに易く買ふに難い今の時代に広告の必要はない”とは近頃よく聞く言葉である。需要が増して生産が減れば統制の必要も起る。従って賣る為の廣告は意味ない、と考えられるのは一応尤もなやうであるが、今日のやうな非常時的現象がそう永く續くものでない。若しこの状態が目当なしに進むとすれば、生産の擴充も貿易の振興も亦大陸の發展もあったものでなく、遠からずわずか経済界は行き詰って了ふことは明らかである。だが固より、今日の事態は大亞細亞建設とそれが繁榮への苦行であり、大いに伸びんとするの足掻きであって、やがて遠からず、大事業遂行の豫備状態から大市場開拓の飛躍時代を迎へることは疑ひない。

 今日の広告は多くが文化的賞品であるために時局の影響も甚だしく、そこに広告無用論なども起きるのであらうが、元來企業に於ける広告は露天商人の如き一時的に賣らんがための手段ではない永續的の經營要素であって、先づ商品の長所を知らしめ、信用を扶植し、需要を喚起し、次でそれ等の顧客を維持し、更に進んで新市場を開拓すべく、再びより廣く知らしむるなど、以下同じことを繰り返しつゝ広告戰を戰ひつゝあるのは謂ふまでもなく、其間時代の變遷、市場の變化による事業の盛衰、広告の難易が堪へず伴ふことは商戰場裡の常である。

 今日の受難時代も、深刻ではあるが齋しくその一道程とするならば、そこに多年培った名聲や信用を活かし、進んで來る可き新時代の市場獲得に備へるためには、今日こそ寧ろ広告の必須性を感ぜねばならない時と謂へやう。文化的企業は固より広告に縁の遠い所謂殷賑産業にあっても、やがて再び大衆の生活に密接の關係を持つ平和産業に立ち歸らねばならないことは必然である。それを憶へば、今日の僅かの広告投資は、他日の亂戰時代に投ずる何倍かの巨費に相當して、復活されるであらうことは想像に難くない。

 たゞ、今日のやうに賣るべき品に乏しく、広告媒体の利用不便な時に於いては媒体の選擇、広告の手段、内容に愼重を期し、浪費を省き、現状に適し且つその將來性に考慮すべきは當然であるが、要は広告の量や技巧よりも精神が第一である。現下の広告は、時局を認識して國策の遂行に努力し生活の改善文化の向上に資する奉仕的の念によって行はれてこそ、広告の眞使命は輝き又世人の信用と親しみを深めて永くその偉力は發揮されるものである。

 從來、年々二億圓と推算されたるわが巨額の広告費も、その幾割が眞の広告使命のために活用されたであろうか。凡そ今日でなくとも不要と目される莫大な浪費と、却って広告界を毒した邪道広告費、それ等一切を省いた正味を以ってすれば敢へて過剰の広告費を要せずして將來に備へ得られ、且つ広告界は自ら明朗化するのである。皇紀二千六百年を劃して新しき認識の下に理念的広告境の建設に精進したい。

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