|
寧ろ廣告の機會
伊東仙吉
“賣るに易く買ふに難い今の時代に広告の必要はない”とは近頃よく聞く言葉である。需要が増して生産が減れば統制の必要も起る。従って賣る為の廣告は意味ない、と考えられるのは一応尤もなやうであるが、今日のやうな非常時的現象がそう永く續くものでない。若しこの状態が目当なしに進むとすれば、生産の擴充も貿易の振興も亦大陸の發展もあったものでなく、遠からずわずか経済界は行き詰って了ふことは明らかである。だが固より、今日の事態は大亞細亞建設とそれが繁榮への苦行であり、大いに伸びんとするの足掻きであって、やがて遠からず、大事業遂行の豫備状態から大市場開拓の飛躍時代を迎へることは疑ひない。
今日の広告は多くが文化的賞品であるために時局の影響も甚だしく、そこに広告無用論なども起きるのであらうが、元來企業に於ける広告は露天商人の如き一時的に賣らんがための手段ではない永續的の經營要素であって、先づ商品の長所を知らしめ、信用を扶植し、需要を喚起し、次でそれ等の顧客を維持し、更に進んで新市場を開拓すべく、再びより廣く知らしむるなど、以下同じことを繰り返しつゝ広告戰を戰ひつゝあるのは謂ふまでもなく、其間時代の變遷、市場の變化による事業の盛衰、広告の難易が堪へず伴ふことは商戰場裡の常である。
今日の受難時代も、深刻ではあるが齋しくその一道程とするならば、そこに多年培った名聲や信用を活かし、進んで來る可き新時代の市場獲得に備へるためには、今日こそ寧ろ広告の必須性を感ぜねばならない時と謂へやう。文化的企業は固より広告に縁の遠い所謂殷賑産業にあっても、やがて再び大衆の生活に密接の關係を持つ平和産業に立ち歸らねばならないことは必然である。それを憶へば、今日の僅かの広告投資は、他日の亂戰時代に投ずる何倍かの巨費に相當して、復活されるであらうことは想像に難くない。
たゞ、今日のやうに賣るべき品に乏しく、広告媒体の利用不便な時に於いては媒体の選擇、広告の手段、内容に愼重を期し、浪費を省き、現状に適し且つその將來性に考慮すべきは當然であるが、要は広告の量や技巧よりも精神が第一である。現下の広告は、時局を認識して國策の遂行に努力し生活の改善文化の向上に資する奉仕的の念によって行はれてこそ、広告の眞使命は輝き又世人の信用と親しみを深めて永くその偉力は發揮されるものである。
從來、年々二億圓と推算されたるわが巨額の広告費も、その幾割が眞の広告使命のために活用されたであろうか。凡そ今日でなくとも不要と目される莫大な浪費と、却って広告界を毒した邪道広告費、それ等一切を省いた正味を以ってすれば敢へて過剰の広告費を要せずして將來に備へ得られ、且つ広告界は自ら明朗化するのである。皇紀二千六百年を劃して新しき認識の下に理念的広告境の建設に精進したい。
|