|
制限されない自由競争の世界が次第に統制の世界に入った。物の生産が種種の方面から影響して直接間接に吾々の仕事の上にも余波を受けて来た。隨って誇大挑発的な廣告手法は意義を失ひつつある在来の広告図案も存在価値を危うくする訳にもなる。今後の広告は商品の存在や性質の告知形式の必要上全く減退して仕舞ふとは考へられないが少なくとも其の為に目的に変化を来して来るのだから従事する者の用心と識別と調節の必要性が生じて来る。隨って広告の世界にも一大轉換期が拡大されて行く性質を多分に持つ。遡って昭和維新をポイントとして廣告しに深く彫り込まれた顕著なる現象が2つある。広告用文字の新感覚化と商業美術の普遍化で、何れも生まれ来る新時代の一大轉換で新しい企画の遂行であった。蓋し最も社會的な意義ある革新の大成であると思ふ。然しこの二つの意図も未だ第一次的の達成で将来に残された仕事がある。
過ぐる若き日にものした拙ない著述図案文字大観を刊して早や十五星霜、版を重ねる事拾有幾余とは謂へ、今日汗顔なる処女作ではあったがその使命こそ大なる収穫で新日本のあらゆる広告面は十五年にして全く図案文字で塗りつぶされるに至ったばかりか海を越へて彼方の大陸にさえ用ゐられゐるを見参するにつれ感激一入のものがある。
今日の広告面の問題は總て印刷技法が条件であるがこれは後述するとして、活版術は依然と永久に繰返される運命を持続してゐる。而もその表現の最も重要な役割を勉めてゐる文字は、その運用にも豊富であるが、ここに吾々は木版刷の華やかなりし封建時代から、大正に至ることを想起せねばならぬ。近世の印刷された活動が力と率直さを良く表現してゐるが、それ以上の携帯に於ける変化はない。只広告面の近代化にのみよって満足していたのである。又活字鋳造所は過去幾世紀かの間に渉って吾々の為に工夫されてきた活字面を使用し続けてゐるが一つの鋳造所とて、これが文字面の改正を敢えて企てようとはしない。殊に仮名文字と漢字との不合理な不調和は依然として慣習的に目馴れて忘れられて仕舞ってゐる。
図案文字の新時代性については数年に渉り故武田五一博士の指導の下に、京大建築学教室やその他の人々の助力を得て、世界のあらゆる文学の発生から進化の系統状態を研鑽することを得、次著図案文字の解剖、新式図案文字又は現代商業美術全集に於いて発表したやうに、鑿や木や竹で掻いた彫刻の原始時代から、筆やペンで書いた筆記時代も過ぎ、多数複製を要望する印刷の時代に入った今日では、最早や活字に接する文化となり、手で書く時代でなくなった。書道の破壊でも外國の模倣でもない。新時代の派生的な発生で、總ては機能と特徴を生かす為の進化である。電文や点字暗号標語番組等々、それぞれの機能と特徴を活用されてゐるように、機械の精緻さを誇る印刷は、印刷的に機械化的に美しい読み易いと言う目的の為になさねばならぬ。最早や書易く速記的に言ふことは、犠牲にしても、如何に読み易く現代人の新感覚に接近すべきかを考へられねばならない。最早過去の習慣から読み悪いとか、芸術味に乏しいとかの批評は認識不足の文字によって抹消されてしまった。レコードや映画に實演以上の或魅力を感受する時代は性は、幾何学的線条に新鮮なる芸術味を見出す時代が既にきた。今後の廣告には、相當シッカリした図案的基礎訓練が必要とする訳で、小器用に画が画けるとか、一寸色が使用し得る程度では間に合わなくなった。図案家が文字を筆耕屋に託したのは昔の噺で、所謂間に合わせものではならなくなった。最も根底をなす文字やその取扱方に、又物象の正確な描写等の基礎的な確実なる技能を必要とし、これ等健実なる技能を所有する図案家のみが、今後歩み続け得られろ時となって来る。今や図案文字は社會的に圧倒的な地歩を固めた昭和の一新芸術とさへ謂へる。
これと併行して注目すべき発展振りを示したのは商業美術運動である。今や商業美術は社会の常識となり、一般社會人が既にその実際について理解し共鳴し注視するに至った。都市生活の為の生活の美術としても、少なからぬ文化的貢献を為し遂げた。又これに携はる人々の集団的運動も増加した事は、同慶すべき事実であるが、今後の商業美術はこのままの踏襲でよいものだらうか。今時の統制社會の出現とともに、大なる仕事と切実なる整理が強要されることを覚悟せねばならぬ。第一次的な目的の為になされた凡そ描き得る者の呼応せしめたのみでは、商業美術の永遠性も進歩も見出されないのである。輓近商業美術が社會の表面に浮かび揚った如く自惚れていても、結局商業美術のニックネームが低劣卑俗愚味を意味する根強いそしりは、純美術家連の未だに共存する引用語となるが如きは、?々心あるものを憂鬱へ導いている。商業美術家の大に反省すべき真実性である。懐古するに一昨冬失った故濱田増治氏は、商業美術なる新名称の提唱運動を起こした一人で、その生涯は殆どこれに費やされたかの感を以って彼は逝った。氏は生前非妥協性の為多くのフォーを持ってゐたが、斯るデフェクトは兎に角寔に敬遠すべき精力家でもあった。彼の編纂に關る現代商業美術全集の類別目録の建安集の如きは、僕が上京中に24分冊を一夜の裡にデッチあげて仕舞って、アット言わせた程の精力的な男であった。彼は美校は中途で退学したとか当時の所謂前衛的作家であったらうが、余り多くの作品は見せてくれなかった。構成は以前の怪奇的なものをものして居たやうに覚えて居るが、傑作とて採りあげるものもないが、文筆の達者な理論家で、その精力的なのには何時も圧倒されずにはゐられなかった。よく眉を會は巣毎に泡を飛ばして論争に時を忘れたものだが。
常時未だ商業美術なるものの包含する範囲に於いてすら肯定には可成の異論もあり、価値的目的効果に就いて理論的検討は数年に及んだ。幼稚な黎明時代であった。始めて東京に商業美術団体が組織されて既に十五年を降ったが時の同志に多田北烏、藤澤龍雄、古田立次、市川赳夫氏等のゐたことを覚えてゐる。關西から入会を申し込んだのは僕一人で、地理的に就て其の処理を甚だ困惑したと、後日濱田氏が白状してゐるのを想像しても其規模も類推できる当時大阪には前衛的分子は見当たらなかったが、翌々昭和3年には大阪三越に於いて、約百余点會員二十余名を数ふる画期的な展覧会が開催されるに至った。當時本協会の飯守勘一氏、波多野修作氏、白根ー氏、入江来布氏、森田茂樹氏等の多大な御声援を蒙ったことを感激してゐる。東京団体の共鳴者は多くウヰンドウ画法の編輯に携わった連中で、これらのグループも後或事情から多少の紆余曲折があったが、依然運動には変更なく互いに精進されて居た。昭和四年当時長崎商品陳列所長で元熊工の先生前川佐一氏が、多大の犠牲を払って新団体を設立され、東京大阪長崎は互に連絡呼応して、各府県に於いて展覧会にパンフレットに、商業美術なる代名詞の認識運動に大童であった。今日全國に幾十の商業美術団体の結成をみるの進展を示し、初期の目的は達成されたの感はあれども第二次的な質の問題に至っては、遺憾ながら寒心すべき状態であると謂へよう。僕がかって或懸賞で優勝を得のを誇りとせられたる所謂懸賞大家と初対面の際、残念ながら僕を悲観させた。元来大阪の図案家は活字に親しみを持たなさ過ぎる。書く事は兎角読書だけは忘却すべきではない全く専。門家になる糧に欠如して栄養不良の作家が出来上がって仕舞ってゐて、これ等が大先生で納まってゐるのだから始末が悪い。
専門家と名付けられる即ち玄人と言う者は、その道の常識や教養に乏しくてはならぬ筈であるのに、何んと商業美術家程出鱈目な世界はない。
實際大阪の数ある図案家に繪の描けない者の何と多き事よ、繪の描きえる者幾人と指折る程度には驚かされずにはゐられない。心臓の強い世界である。図案は勿論繪ではないが、繪の出来ない者にによい図案が生まれる理由がない。基礎的な力量ある自由な表現は到底望まれない事で、舞踏の素養なくして舞台にたてないのである。泥鰌掬ひの等ひである。特に重要な技術が欠乏して、迫力を感ぜしめやう等とんでもない不心得で、徒らにエア―ブラシを乱用し、腫れあがったレプラ患者の如きポスターはよく街頭で見せつけられることで、繪ができないから簡単に扱はなければボロが出る、所詮構成派一点張りでカムフラーヂする、怪しげなシュールが汎濫したり、デフォルムで誤魔化したり、どんなに繪の具やエァーブラシを器用に使用されてゐても結局は無駄骨である。この反対に繪が描けるだけでは商業美術にはならない。可成り巧みな油繪の材料や用具を用ひこなしてゐても、構図や構想に欠陥があっては台なしである。又繪が描けるからと自惚れて、徒らに遊戯に陥ることを警告して置く。これ等の現實派最近の審査の席上で見られた。要は宣傅と効果と言ふ領域を充分に心得ることで、實際的な内容の説明に充分の技能を盛りあげ、清新な脈?ある迫力を持つ作品が作り出されなくては、眞の商業美術たる眞価を見出されないのである。濱田氏が提唱した凡そ画心ある物皆商業美術家なる主張は、今日の御時世には當て填まらなくなって来た。まだエゲツナイ話がある。九州の或一角に極めて熱心な所謂懸賞図案学とでも言ふ傾向の団体があるとか、審査員の好みから応募者の情態、時の事情は甚しきはスパイを放って統計的にも調査されてゐると言ふ行届いた歪んだ研究団のあることをプレスアルトで読んだ。恐れ入った話である。
実際懸賞は一時旺盛なる流行を示し、華やかな或意味に於いては、よき体験の的の刺激ではあったようだが、商業美術家自身の向学心のためには好からぬ影響を与えた。単なる目先の欲に奪われて、青年の投機心を助長するばかりでなく、元来応募作品に果たして責任ある作品が作り出されるかである。単に刺激的な強調や、毒々しい色調で目先の技巧に没頭して、審査員の目をくらますことのみ流れ、甚しきは外國物そのままを模写出品される一度紛れ当りでもすれば一躍自称大家となって仕舞ふ。青年学徒にはこの自惚れが、将来ある前途の研究心を失はしめて仕舞ふた例は少なくない。實に困ったもので有害とさへ感ぜられる。話の序だ情けない話がある。ヤレ何々団体の代表と言ふウレシガリである。さも得意気に無闇に奔走する。眞の商業美術の大成には全く無頓着である。そんな者に限って風貌だけは凛々しく馬鹿に鼻が高い。それでゐて思索も技術も皆目駄目なのが可笑しい。自分の欠陥を名誉職の他力本願によって瞞著しようとする無根據性にはあきれた。他人を突き退けてもその席に?り付かねば金箔が付かぬと心得へ、敢て奸作さへ弄するのである。これを又口さがしく慨嘆する者亦同類の落伍者で、妙な所に誇りを待つ。誠に非秩序的なるは商業美術界である。社會的な指導者は斯る遊戯では甚だ危憂を感ずる。昨夏も内閣情報部内に精動作家の団結が期待されたが、結果は残念な幕を閉じた。山師的な軽挙妄動は慎むべき事で、折角の聖なる精神を傷け、國家の為憂へ圖にはゐられない。
高い教養と、長い研鑚と、豊醇な実力的な技能者によって、モット正しい眞の犠牲的正心の団結した団体が東亜新秩序の為、社會文化の為建設されなくてはならぬ。第一次歐洲大戦にはアメリカ戦時美術家聯盟が、宣傅に多大の貢献を成し遂げて居るではないか。
図案やで僅か一、二年の見習いが獨立したり、懸賞で妄想狂となったり、これ等を皮肉る奴も亦これに等しき缺陥者にして怪し氣な慨嘆を発するのである。心ある眞の商業美術家こそ深く同感させるゝ所かと思ふ。これ等のナンセンスも、蘖えんとする商業美術への過渡期かも知れぬ。當然既に商業美術家の多くが清算されつゝある時が来た。急新する社會の文化の流れに踏み止まり得ず、現在の既成作家が落伍して行く生命は僅か約三年で消える最早五年前の華々しき夢は無數に流星の如く地に落ちる。この際商業美術家は作家的良心を以って、自己の再認識をなすことで、不斷の努力と理智のひらめきを要求する。必要な實驗は常に行ひ、そして思索し讀書し、体系づけられた基礎工事を必要とする。
商業美術家と自稱する専門家が、職分の大きな陥穿に氣付かないでゐる事がまだ一つある。元来大阪の作家は広告物の条件となるべき印刷技術に對する知識には全く零である。何れの國の作家にも、彼自身が製版し得る技能を習練してゐる。日本の作家のみが印刷屋の据膳で無關心な其日其日を送ってゐるのが、不思議と言ふもので、其の作品に印刷効果の期待をかけられるものではない。その癖二言目には寫眞製版なれば等とやり返す奴さへある。如何にフォトプロセスが進んだとは謂へ、その製版法にはそれぞれの特徴と機能が付随してゐる。オフセットが何やら、グラビアがどんな製版過程を経るるやら、全く無頓着に描かれた図案こそ災難である。石版には石版たる特色があり、グラビアにはそれのみの持つ持味や特種性がある。各幾十種の印刷機や印刷技法にはそれぞれの印刷効果を発露する特徴と機能があり、一寸の紙の扱い方にも大きな経済的な影響を及ぼしたり、紙質にもその機能と特徴を持ってゐる。緊要なことは商業美術家が、印刷技術を監督し得る丈の知識を体得すべきことで、吾々の鍵盤はその技法を昏迷に陥らしめぬ様に明示すべきである。仕事の御膳立ては図案家のなすべき仕事であって、色彩刷寫眞応用、活字、古い技法、新しい技法裁断製本に至る迄、あらゆる種類の技法は併せて心得置かなくては、機能と特徴を活かすことは不可能である。現在の作家は印刷屋に引きずられてゐる。印刷常識なくして印刷の指導したり、図案家の地位を保持しやう等とはとんでもない不心得である。最後に美術家は浪費的な遊戯に流れ易い経済学的知識には全く無關心で、この方面へ頭脳を働かそうともしないことを附言しておく。経営方針の拙劣な商業美術家から、眞の商業美術が傑出する筈がないことを。
大変毒氣を吐いて仕舞ったが、この眞相を首肯いて頂けば本懐である。紀元二千六百年を期して商業美術家は大いに自覚し、来るべき一大轉換期に備へ、徹底的に改善すべきことがまだ多々あると思ふ。此の際懸命なる廣告人諸彦のご協力を得て、多くの怪しげな商業美術家に覚醒を促がして下さらんことを茲に特に冀望しておく。
|