田舎通信 〜心臓パクパク田舎人〜


第十五号 2002年4月20日
ジャガイモの植え付けを終わった。今年も我が季節がついに来た。 冬の間は息を潜め引きこもっているが、春ともなるとさながら虫のように蠢動を開始する。春の日射しが嬉しくて鼻の奥深く太陽を吸い込む。
 家の裏手に猫ほどの大きさの獣が死んでいた。イタチかなあ。と顔を見ると狐のように見える。しかし、尻尾が違う。イタチにしては胴体が短いような気がする。何か分からぬまま穴を掘って埋めた。
 チュウリップがプランターでは満開だし、畑では蕾を膨らませて出番を待っていた。兎も角、一面春だった。
田圃は既に田植えを待つだけに整備されている。夜は寒いが、日中は春たけなわと言うところで命の洗濯をしてきた。
  心臓パクパク田舎人

第十五号 2002年3月25日
桜の例年より圧倒的に早い便りを背に心を弾ませ和良村に向かった。
毎年わたしは春を心待ちにするのだが今年は特に待ちわびていた。というのも 今年の冬は特に寒く感じた。暖冬とか言われていたがわたしにはそうは思われなかった。
それは兎も角、春の陽光の中郡上八幡から山道にさしかかると様子が違う。檜や杉がやたら倒れているのである。何が起きたのかとさえ思った。山陰には牛が寝転がったほどの雪があちこちに残っている。また畑一面雪の所もある。
その訳は村について分かった。何でも、今年は近年にないほどの大雪だったそうである。130センチ以上は積もっただろうと言うことだった。
みんな雪下ろしをしたそうである。また、倒壊した家もあったらしい。我が家は無事で何事もなかったかのようにたっていた。
蕗のとうが一面に顔を出し畑にはチュウリップや水仙も当然のことのように元気な様子だった。
私の春はこの日から始まった。畑を耕し荒れたところの手入れもすましあとはジャガイモの植え付けをするばかりである。
  心臓パクパク田舎人

追伸 集え田舎大好き人間、来たれ畑大好き人間。
第十四号 2001年11月15日
立冬も過ぎた先日和良村へ行った。 実は11月の初めに行く予定だったが 体調不良のため延期していた。
大根は輪切りにすると直径10センチはある。 それがニョキニョキと首を伸ばしている。 白菜は一抱えもありスーパーで売っている 上品なものとはまるで違う。主がいなくても 勝手に大きくなるたくましさに感動を覚える。

 「親は子を手塩にかけたというけれど
          勝手に赤い畑のトマト」

と俵満智は詠んだ。

下手にあれこれ手を加えるよりほったらかしの方が 良いと言うもんだ。
それは兎も角として寒かった。日中は小春日で ポカポカしていたが夜になるとグッと気温が下がる。
寒い中、夜空を見上げると星が青白くまたたいていた。 吐く息も白くそこは紛れもなく冬である。
今年は今回を最後にして冬支度をして和良村を後にした。
心臓パクパク田舎人
第十三号 2001年8月20日
カラスもサルもヒトもみな共存してるとは云え 折角作った畑のトマトやトウモロコシや今年から 実を付け始めたモモが一晩で全滅とは情けない。 「共存」のインチキ、その程度で腹を立てる気の小ささ がカラスによって暴露された。

畑で完熟し朝露に光るトマトを朝早くザルに摘んで 朝食の時に出すことを夢見ていたわたしが馬鹿でした。 現実は厳しくて夢は夢にしかすぎない。 そういえば前日カラスがさかんに「アホー、アホー」と啼いていたのに あまちゃんのわたしはそれを田舎の風景としかみていなかった。 カラスもトマトが熟すのを待っていたのかもしれない。 モモが食べ頃になるのを楽しみにしていたのだろう。 しかし、突然現れたヒトを見て現実を優先させて夜襲したに違いない。

友人達とその子供達が川遊びをしている時サルも川に入ったと 興奮して話してくれた。だが現実はサルは芋畑を全滅させるワル である。わたしは子供達に「サルに石をぶっつけたらよかった。」 とは云えなかった。力無く「よかったなあ。ここは自然が一杯やろ」 と笑って見せた。
トマトもトウモロコシもモモも来年まで待たなくてはいけない。 畑にはまだ芋が頑張っている。最後のホープ芋君の奮闘を 祈りつつ。
  心臓パクパク田舎人
第十二号 2001年7月16日
 アメリカから田舎通信を発信したのだけどやりかたが まずかったのか返ってきました。一度でくじけて止めました。

 日本の田舎っぺはアメリカの田舎スポケン空港に降り立った。 娘ファミリーの熱烈歓迎を受けわたしはすぐにおじいさんに なった。初対面の孫娘ティファニーに勿論英語で挨拶したさ。 ナイスチュミースチュとね。しかし一分もせんうちにがっくり した。あのティモシーがなんやわからん英語でペラペラ話してきた。 去年の夏まで英語など話せなかったのに。それにくらべて十年 以上も学校で英語を勉強したわたしはなんなんだ。

 我が娘の住む町チニーはスポケンの隣にある。シアトルから 内陸にジエット機で一時間のところに小都市スポケンはある。 (地図の勉強のつもりで調べてみて下さい。)
チニーは大学があるので学生が多いのは勿論だが住宅しかない。 パチンコ屋もなければ喫茶店もない。健全の見本みたいなところ。 だが田舎ゆえか、治安もいいし人情も厚い。道行く人が微笑み 声をかけてくれる。散歩していても高校生ぐらいの子がハワユー なんて声をかける。声をかけられてもなんと返事をしていいのか 困るけどよそよそしくされるよりずっといい。
 なんかわからんまま「ファインサンキュウ」と云いながら歩いた。 夜は十時ごろやっと日が暮れる。子供の躾はどうするんだろう。 「もう九時やで、はよ寝えや。」は通用せん。まだ日がてっとる。

それはともかく孫達と遊び、アメリカの田舎もんの人情にふれた 旅でした。
  心臓パクパク田舎人
第十一号 2001年5月10日
風薫る初夏の美濃路は田植えが始まっていた。
関西より一ヶ月以上は早いだろう。今では全てが 機械化されて田植えの風情はどこにもなく、ただ 事実のみがあるだけである。それは至極当然の ことであり、風情ほどしんどいものはない。
子供の頃、田植えの手伝いをしたことがあるけど 「腰が痛い。」と云えば「子供には腰はない。」と 云う返事がかえり、「田植えをさせれば、根性の あるなしが分かる」とあらかじめ釘をさされては 止めたくても止める訳にはいかない。しかし 休憩の時おにぎりを食べながら大人達に 「おまえはなかなか見所がある」とおだてられると 満更でなく止めたいという気もなくなる。
そんなことを思い出しながらふと田圃に目を遣ると 耕耘機の先端に孫を乗せてゆっくり運転する姿が あった。やっぱり風情は生きていた。
和良村には連休を利用して若い友人が来て、部屋の 壁塗りをしてくれた。
わたしは畑にさつまいも、きゅうり、トマト、なす、を植え もう収穫を夢見ている。満開のチュウリップを眺め 農夫の気分を満喫し、この幸せをみんなにも分けて上げたい と思った。
心臓パクパク田舎人
第十号 2001年4月12日
梅の花が咲きメジロがどうしたといってるうちにもう桜も散ってしまった。春は素晴らしい。花粉さえなければ。
この季節を迎えると浜辺に出て潮干狩り。とうぜんアサリ貝が主力だが面白いのはマテ貝掘りである。(馬刀貝といって もおおかた知らないでしょうが、長さ10センチ巾1センチほどの二枚貝)水際から10センチ程上の砂の表面をこすりとるといくつもの穴がまだ海水を含んで現れる。馬刀貝のアパートである。その穴に塩を指先につまんで入れると多分辛くなるのであろう。馬刀貝がずずっとせりあがりベロを出す。その瞬間親指と人差し指でつまむのである、。一度つまみそこなうとその穴からは 二度と現れない。その取り方が貝を傷つけないので食べやすい。食べ方は佃煮が美味しい。
この季節はまだ寒いのでまだ泳がないが学校では 「梅雨明けまで水泳禁止」のおふれが出る。
それでも夏日を思わせる暑い日がある。そんな日は海に落ちるのである。落ちた以上泳がなければ死ぬので「仕方なく泳ぐ」ことになるが翌日は近所の女の子の口から先生に伝わるのである。その時代は「女をいじめる男は弱虫」ということで女の子は庇護されていたので「チクリ放題」であった。
春の夕方、ぼんやりと田舎の浜辺を思い出して現実から逃避していると、なにやら甲高い女房の声がしてハッと我に返った。
心臓パクパク田舎人
第九号 2001年3月5日
梅の花が今を盛りと咲き誇っている。この頃になるときまって 思い出すことがある。
梅の花の蜜を狙ってメジロがやってくる。狙ってと言うのは相応しくない。 メジロは愛くるしくて優雅ですらある。そのメジロを捕りによく行ったもので ある。
わたしたちの姿こそ「狙って」に相応しい。先ず、メジロが一番とまりそうな 枝振りの小枝に囮を入れた駕籠をぶら下げる。駕籠にはとりもちをつけた 枝が付けてある。枝の先にはよく目立つように椿の花を付けている。
メジロと少年達の知恵比べである。準備が整うと少年達はメジロ駕籠の よく見える草むらに身を隠しひたすら待つのである。メジロの声が聞こえる まではヒソヒソ声で話、笑いあっているが遠くにメジロの声を聞くと息を殺し 一斉に梅の木を見、胸をときめかせて待つのである。
その日のために、秋から準備にはいる。メジロ駕籠を作ることと、とりもちを 作ることである。メジロ駕籠は竹だけで作る。ひごを何十本も作らねばなら ない。根気のいる仕事である。一週間で出来れば早いほうである。
とりもち作りも根気がいる。山に行きもちの木を探し、皮を剥ぐ。
クリーム瓶一杯のとりもちを作るには多量の樹皮をとらねばならない。
駕籠作りも、とりもち作りも共同でする。根気のいる仕事なのでできるかぎり 楽しくやろうという、子供の知恵である。
メジロは10匹とってもオスは1匹程度しか捕れない。必要なのはオスで メスは全部逃がしてしまう。
メジロの餌はすり餌で、毎朝小さなすり鉢で菜っぱと芋をすり、さかずき 一杯の餌を作るのである。駕籠の底にたまったフンも毎日掃除しなければ ならない。三日おきに水浴びもさせねばならない。手間のかかる仕事である。
梅の花の咲く頃、わたしは少年になる。楽しい思い出だけではない。苦い 思い出も多くある。それは次回にゆずるとして、人間に必要な根気や手先の 仕事なども日常の生活のなかから培われていくものだとわたしは思う。
だから田舎者の方が、都会人よりねばり強いし器用だと思う。
教育の原点はそこにあるのではなかろうか?便利や楽を教えるのでなく 自然の中でいきる知恵を教えれば充分ではなかろうか。
心臓パクパク田舎人
第八号 2001年1月27日
 和良村の隣、明方村はスキー場があるくらいだから雪もかなり降るのだろう。地形とは不思議なもので山一つ隔てただけで雪の量は全く違うのである。
 和良村では降ってもせいぜい30センチぐらいだと聞いた。その分寒さが酷いそうだ。わたしはこの年になると寒いのは苦手である。それでも子供の頃は 噴火でいちやく全国区になった雲仙普賢岳に登ったものである。夜12時に出発すると、6時前に頂上に着き、ほどなく日の出を迎えることが出来る。
 今は大寒の最中で、頂上の室には寒行の人達が数名、暖をとっている。彼らが室からでて東の空になにやらお経のようなものを唱えると太陽が顔を表すのである。日の出を見届けた彼等は次に池に向かい、池の表面の氷を割ると、男はふんどし一つの裸になり、女は白の襦袢になると気合いもろとも池の水を頭からかぶり始める。寒行と言っても相当の荒行である。
 その様を見てわたしは信仰心なんか持つものではない、と思った。普賢岳に日が射すと一面に咲いた霧氷が幻想的な色彩を放ちだす。このような光景が忘れられず毎年雪が降ると普賢岳に登ったものである。雪の山道が月明かりに照らされ、山の斜面に狐の足跡が続いている。わたしにはその光景は夢幻に思えるのである。
 冬は寒い、等と言わずに平気で雪山に登る元気が今一度欲しいものである。
第七号 2000年12月29日
 和良村の後藤さんから「白菜が巻き始めましたよ。
 一寸早いけど雪になる前に穫ったがいいですよ。」と、電話を貰った。
 12月28日、一寸暖かくなったので速攻で出かけた。
 和良村に近付くほどに道端に雪が現れ始め、段々と多くなっていく。景色としては申し分ないが、これからの仕事のことを思えば些か気が重い。
 着くや否や雪に埋もれた白菜を愛しい子供を抱き上げるようにして、掘り起こした。50本弱のことだけど折角植えたもの、雪の下で腐らせる訳にはいかない。それだけの思いで手や足の冷たいのも忘れ頑張る。
 先月は大根を収穫した。その時は寒くも冷たくもなく大根をかざし、口も滑らかに冗談も絶好調だった。
 しかし今回はそうはいかん。体は汗ばむほどだが手足の感覚は鈍くなり、口は凍り付いて一言も発することなく黙々と仕事をするのみ。白菜の後に玉葱を植えて仕事を終えた。一泊する予定だったがあまりの寒さに一目散に逃げ帰った次第でした。
第六号 2000年10月16日
これまで田舎のいいところばかり書いてきた。しかし、人それぞれで都会になれきった人にとっては、田舎と言うところは、虫は多いしたまには蛇もおるような所は「かなんなあ」というのも本音だろう。
 10年程昔、同僚の20代男性二人を和良村に連れていった。酒でも飲みコーヒーでも啜り教育論、人生論に花を咲かせるほどに夜も更け 真夏というのに涼風が窓から忍び込んでくる。「大阪ではみんな脂汗を流している」ことと比べわたしは一人幸せ感に浸っていた。
 ところが同僚の素振りがおかしい。尻を浮かせて話も上の空なのである。目もあらぬ方を見ている。その目の先には壁に大きなクモが張り付いていた。 「君らはクモが恐いのか?」「はい、ぼくらはシティボーイですから」 初めは「そんなものかなあ。」と思っていた。
 しかしよく考えてみても腑に落ちない。壁に張り付いているのはタランチュラでもなければ、畳を這い回っているコオロギの大きい奴もサソリと言うわけでもない。恐がるのも教師なら多少なりとも科学的でなければならぬ。と思った 訳ではないが、シティボーイが聞いて呆れる。
一人は西田敏行風の顔立ち、もう一人は身の丈185センチの大男。キムタクやトヨエツがシティボーイと言うのなら納得もいく。しかし・・・もう一度考えた。
 結論が出た。彼らはヒトとして進化する過程で遅れたのである。まだミミズのような虫であったころの記憶が残っているに過ぎないと。確かにその頃は クモを見たら逃げなければいけなかった。そう思ったら気持ちも落ち着きよく眠れた。
第五号 2000年9月16日
 まだ9月の上旬というのに既に稲刈りを終えた田圃があり、まだ黄金色の稲穂をつけたそれとで程良いモザイク模様をなしている。陽光はまだ夏のものではあるが、稲穂の上に群れ飛んでいる赤とんぼや山の斜面の陰に秋を感じた。ふと道の端に目を遣るとススキが風に揺れていた。
 間違いなく秋である。
 わらの家に着くと主のいない畑には健気にもトマトが赤く熟れていた。待ちくたびれたキュウリは、ヘチマほどにふくれて息絶えていた。
 秋と言えばそれぞれの秋があるだろう。
 わたしの秋はやはり「食欲の秋」である。
 終戦の年に小学1年生を迎えたわたしの少年時代は来る日も来る日も空腹の毎日だった。
 しかし、秋には芋掘りを終えた畑に取り残しの芋が宝物のように埋まっている。少年達は芋が無くなるまで連日畑をはしごする。冬眠前の熊さながら少年達も一年分のエネルギーを備蓄するのである。
 秋はそのためにあるとわたしの辞書には書いている。
 わたしの頭は条件反射で秋と聞いただけで涎を出すようになっている。「ゆうやーけ、こやけーの赤とんぼ」なんて美しい歌を歌うときでさえ頭の中は焼き芋が満ちている。時には哀れな少年のために涙ぐむ時もある。人には情感を込めて歌っているように見えるかも知れないが、現象とはそんなものである。
 ところが心臓パクパクマンはつい先日無慈悲な医者の声を聞いた。「コレステロールや中性脂肪が多いですね。それに糖も少し増えていますね。
 体重も3キログラム程落とした方がいいですね。果物も食べ過ぎないようにして下さい。」
 頭に刷り込まれた「秋」はどうしたもんだろう。
第四号 2000年8月10日
 山陰に灯る外灯に照らし出されて動くものを見た。車を止めて目を凝らしてみると子鹿が草を食べていた。わたしと目があった子鹿は逃げると思いきや、またゆっくりと草を食べだした。
 トリスタンが「バンビや」と叫んだ。我々は慌ててカメラやビデオを取り出した。しかし、子鹿は忽然と姿を消していた。幻を見た思いだった。
 その日の朝には、お向かいの後藤さんがトリスタンに軽トラックの中を指さし「鼻白グマ」といった。鉄製の小型の檻の中に白鼻心が捉えられていた。トリスタンが手を出すと、「ぐえっ」と大きな口を開けた。
 山村には時折日頃見慣れないものがいる。
 耳にはカナカナやカジカの鳴き声が、目には蛙を飲み込む蛇の姿が「都会人」に感傷と感動を与える。しかし、そこで生活する者にとっては共存と同時に頭痛の種でもあるのである。
 議会便りに猿捕獲やイノシシ対策が書かれていた。とはいえやはり野生の動物が我々の心を和ませてくれるのである。村人が何と言おうと。

 我々はひとしきり子鹿の話をしながら郡上八幡に向かった。これから、郡上踊りが始まるのである。
先生 郡上踊り
第三号 2000年7月30日
 24日から28日まで和良村に行って来ました。
 前川隊長及び俊也隊員とは御在所SAで合流。小雨パラつく中での現地入りでした。日照り続きの和良村も前川隊の入村と同時に大荒れでした。翌日も雨のため前川隊は川遊びを諦め観光及び温泉巡りに出かけていきました。
 さて我々は荒れ放題の庭の草取りなどをチョッピリやり前川隊の帰った後川遊びを満喫したのでした。
 ところで、我が家を訪れた殆どの客人はその涼しさに「極楽じゃあ」と言います。わたしは返事をしかねます。
 極楽がどんなところか知らないからです。地獄なら分かるような気がします。
 また、まだ日のある明るいうちに風呂に入り窓を開け放すと爽快なことこの上もありません。
 友人は言いました。「殿様みたいですねえ。」殿様が窓を全開にして風呂に入ったかどうか知らないので返事のしようがありませんでした。
 滞在中は毎日、新聞を買いにスーパーや役場のある地区に出かけます。我が家ではそこへ出かけることを「町に行く」と言います。我が在所からするとそこが銀座に思えるのです。そこのスーパーの豆腐はおすすめです。昔懐かしい臭いと味を知ってる人には。
 今日は生活臭のある雑感をかいてみました。
第二号 2000年7月11日
 今日は田舎での正しい遊び方について。
 ロケーションは山に囲まれた山峡の地に10件程の集落と田圃だけがあります。山の裾野に清流があります。鮎が群をなして泳いでいます。
 その川で自らも鮎と化すのか、流木になるのかは全く自由です。日頃、寝不足の人は炎天下で畑仕事をしようなんて思わずにゆっくりねることです。
 車で三十分下ると郡上八幡に行きます。夜は郡上踊りを楽しむことも出来ます。飛弾高山までは二時間ほどです。高山から小一時間で乗鞍岳に行けます。
 遊びの極めつけは山に入りホッホーキーキーと叫び猿になりきる事です。日程に合わせてプランを立てて下さい。いい猿コンテストなどは如何?
第一号 2000年7月8日
 7月4日和良村に行った。9日まで滞在の予定だったが、台風接近の予報のため7日に帰る。
 皆さんを歓迎する証として家の中の掃除と布団を干してきた。息子や娘の帰省を心待ちにする親父の心境だった。ジスイズ田舎と言うようなところだが、空気が上手い以外何もない。でも、村人は胸を張って「なあんにもないが、人間だけはどこにも負けない。」と言った。
 この村で今夏何かを発見して欲しい。終日空を見て過ごすも良し、汗を流してガーデニングするもよし、はたまた一年分の家庭サービスするのも良いだろう。
 わたしとしてはこの田舎家が日頃疲れた心を癒す場になることを念じている。
 川で遊び、昼寝をし、酒を喰らいそういう時を過ごすのもまた一興ではなかろうか。