出会いと結婚と帰化と

(出会い)・・・池橋達雄氏は 『西田千太郎日記』・・・の原本を読み進む間に、元の文字が消され、その脇に「節子氏」あるいは「妻君」と書かれた個所に出会われた。・・・ 氏は国会図書館に赴いて『山陰新聞』のマイクロフィルムを繰り、そこに「ヘルン氏の妾」と「愛妾」(二個所)とあるのを確認された。・・・ とすれば、 冨田旅館の女将ツネの談が、断然真実味を帯びてくる。・・・「お信の友達に小泉セツさんという士族のお嬢様があり、このお方がよろしかろうということになり、 ・・・先生に紹介しました。ご同棲の翌日・・・お宅に伺いますと、節子様の手足が華奢でなく・・・セツは百姓の娘だ・・・」・・・「士族ナイ」「士族ナイ」 「ホテル同ジ下女」と言い、さらに、・・・「ココ大キイ」「私ダマス」「ノー」と抗(あらが)ったという。 (結婚) [半年を経てのセツへの愛は] ハーンが・・・七月二十五日付の手紙の中で、「日本の女性は何と優しいのでしょう。日本民族の善への可能性は、この日本女性の中に集約されているようです」と 書いていることにも窺える。・・・出雲大社で踊りを見物した三日後・・・ハーン・セツ・西田の三人は、・・・西田が日記で「せつ氏の縁家」と明記している 小野男爵家に招かれて、午餐の饗応をも受けた。その家には、セツがよく知り・・・尊敬していた祖母[家老の奥方]が、老いの日を送っていたのである。 この訪問の折にハーンが、 セツと夫婦になったことをセツの従姉夫婦に伝えていることは、まず確実としなければならない。それは、西田が、十日前ですら日記に・・・「ヘルン氏ノ妾」と書いていたのに、 この八月七日の夜には、以後用いられる「せつ氏」の表現を使っていることからも察せられる。・・・ (子の誕生と帰化) [結婚と熊本への転居の翌年] セツの真剣な英語習得が試みられた。・・・いかに健気に努力したかは、現在に伝えられた二冊の『英語覚え書帳』(本書収録) に知ることができる。・・・[ ところで] 英語のレッスンの初めの方で、ハーンがセツに書き取らせたのが、「ユオ・アーラ・デー・スエテーシタ・レトル・オメン ・エン・デー・ホーラ・ワラーダ」であった。・・・紛れもなく 「あなたは全世界で一番スウィートなかわいい女です」と言ったのである。 [その年の]十一月・・・栗色の髪と青い目を持ち、鼻の形がハーンそっくりの一雄が生まれた。ハーンは・・・一雄を熱烈に愛した。・・・結婚の法的手続き・・・一雄の誕生は、 それを切実緊急な課題とする。・・・[それは]神戸での最終年・・・にかけてとられ・・・[その] 際に帰化 ・・・。「・・・家族の生活への気遣いが、 彼の日本国籍取得の唯一の動機であった」[ とハーンを知り、この問題での相談に乗っていた雨森信成は記す。] |