『八雲の妻 小泉セツの生涯』

 永別と夢のあとに 

 (夫の最期) ・・・だが、ハーンの終焉は目前に迫っていた。・・・明治三十七年九月十九日午后三時、[心臓発作に襲われたハーンは]、「私が死んだらば 、三銭或は四銭位のちいさいかめを買つて来て、それに入れて淋しい片いなかの小寺に埋めて下さい。  そして決して悲しんで泣いてはいけませぬ。 よいですか。子供たちをあつめて、カルタでもして遊んで居て下さい。・・・若し、人が小泉八雲は、・・・とたづねたら、『ハア、あれはさき頃死[に]ました 。唯これでよいです』といふのです。」 [「思ひ出の記」の草稿]

 (未亡人時代) ハーンの死から五年を経た明治四十二年(1909)の・・・二月には、一雄の渡米を促す ビズランドの手紙が・・・届いていた。・・・「私は一雄のことを考えてきました。・・・渡米を・・・先に引き延ばすことは出来ません。・・・彼がまず私の所に来て、今後は私の家を 第二の家と見做して欲しいのです。・・・休日には私の所に置いておき、万一病気になった場合、私が世話することが出来るようにするのです。私が彼を自分自身の 息子であるかのように心を配って面倒を見ることに、貴女が安心していていいことは、言うまでもありません。・・・」
 才知と美貌に恵まれて富豪の夫人と なり、・・・愛情豊かなビズランド。・・・強く大きな心を持った海軍主計中佐のマクドナルド。この二人は・・・一雄の教育を軸に遺族のために尽力した。 彼らは、稀に見る人の善意の花として、セツの未亡人時代を飾ったのである。

 (最晩年のセツ)・・・夏には[篠田夫人に] 寿々子(すずこ) [末の娘]を入れての三人で、信州の山田温泉 に行き、避暑生活を送っていた。・・・ある年には、秋風の立つ頃[一雄夫婦に孫の時(とき)を加えての]六人で山田温泉を発ち、・・・途中一泊して長良川に出ている。 屋形舟(やかたぶね)に乗り、黒塗りの膳から卵焼きや蒲鉾(かまぼこ)を取りながら、鵜飼い(うかい)舟の 篝火(かがりび)を映す川面(かわも)に目を遣って、涼を楽しんだ。・・・
 若いフェラーズ夫妻訪問の翌年の初めに、脳溢血で倒れ・・・。・・・集まって来た孫たちの・・・「お見舞」を受けて、[昭和七年(1932)] 二月十八日に息を引きとった。・・・満六十四歳になったところである。・・・


( ビズランドと一雄 )KOIZUMI Family Collection

一雄とビズランド
( ちりめん本 「日本のお伽話」 )

団子をなくしたお婆さん



因幡の白ウサギ


掲載写真: KOIZUMI Family Collection( 使用許可取得 )・小泉八雲記念館.

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