
| 1966年、日本の自動車は欧米に比べて大きく遅れていた時代であり、国際基準で比類無きスポーツカーをというのは日本の自動車界すべての目標でした。しかし現実にはトラックのシャーシに乗用車ボディを被せたようなクルマが体勢を占めるのが実情で、世界のスポーツカーに立ち向かうなどは、夢また夢の空絵事だったのです。この時代にトヨタ2000GT は、欧州のスポーツカーと遜色ない流麗な美しいボディを纏い、世界のスポーツカーに肩を並べる高性能を掲げて登場したスーパースポーツだったのです。 ( 1966年当時のポルシェのトップモデルであった 911S でも、2Lで160HP、18.2kgm 程度のパフォーマンスだったのです。) |
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| 当時のポルシェ 911 シリーズの最速モデルである 911S では、最高速度は 225km/h と公表されています。標準型の911E では 130HP の最高出力から、210km/h というポテンシャルを掲げていました。対して、トヨタ2000GT は、正式発売前に最高速度 230km/h を公表していました。 ( 尚、市販されたモデルでは、最高速度220km/h と発表され、後期モデルでは最高速度 215km/h 、最高巡航速度 205km/h となっています。同じく後期型の0-400m 加速は 15.9 秒に変更されています。トヨタ2000GT の公表データの変移は、主にファイナルレシオなどの試行錯誤に伴う減速比の変更によるもので、実用域でのドライバビリティの向上を目指して、幾度となくギアレシオが変更されたためです。性能追求では無く、運転し易さ、心地よさの追求というのが、トヨタならではでしょう。 ) |
| 1966年5月に富士スピードウェイで開催された第3回日本グランプリに出場した トヨタ2000GT は、プリンスが打倒ポルシェ ( 904GTS ) を目指して開発した純然たるレーシングマシンである PRINCE R380 に続いて3位に入賞、さらに翌月に開催された鈴鹿1000km耐久レースにも出場して見事に1,2フィニッシュを決めて、市販ツーリングカー No,1 を証明したのです。また同年10月には、日本で始めてのFIA公認世界記録に挑戦、3つの世界記録と13の国際記録を樹立して、世界トップクラスのポテンシャルを揺るぎ無いものとしたのでした。しかしクラス最高峰を自認 |
| するポルシェは 911R という限定レースバージョンを製作、2000GT に奪われた世界記録を奪還しました ( 911Rは、900kgを切る超軽量ボディに、カレラ 906 のレーシングエンジンである、210HP/8000rpm というスペシャルチューンの 2L フラット6 を搭載、これは純然たるロードゴーイングレーサーであったカレラ 904GTS でさえ 180HP であり、有名ナナサンのカレラRS 2.7L でも 210HP です。レースチューンでもリッター100馬力の時代にホロモゲモデルにそれ以上のパワースペックを持たせたのですから、ポルシェと言えども、これは異常な出来事です )。 しかし、1960年代の日本の市販ツーリングカーである トヨタ2000GT が、ポルシェをここまで本気にさせた事は、ある意味とても名誉な事では無いでしょうか?(笑)。 |
| 日本グランプリでのスターティンググリッドです。一見すると、手前の PRINCE-R380 がポールポジションのように見えますが、実のところ、ポールポジションは一列目向こうのフェアレディS だったのです。雨の予選では、フェアレディに次いで2位のスターティンググリッドにTOYOTA2000GTは位置していたのです。市販グランドツーリングカーである2000GTが、古典的な純スポーツカーのフェアレディや、純然たるレーシングミッドシップのR380と戦うのは非常に不利であった為、日本グランプリへの出走には、かなりの懸念があったようです。 |
| また、1967年の市販開始に合わせたように、イギリスの人気映画シリーズの「邦題:007 は 2 度死ぬ」にボンドカー ?! として登場した事も日本の自動車ファンには誇らしい出来事でした。これまでのボンドカーは当然の如くイギリス車 |
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ばかりでしたから・・・。 特にアストンマーチンというのが定番中の定番でして、続く ? 「女王陛下の007」に登場した アストンマーチンDBS は V型8気筒DOHCの4Lから、286HPを発揮して 230km/h の最高速度でした。( 個人的には1971年の「ダイヤモンドは永遠に」で登場した、真っ赤な Mustang Mach-1 もカッコ良かったナ・・・。
2000GT の 3M ユニットは、市販車用エンジンとしては日本最初の直列6気筒ツインカムユニットとなります。レーシングユニットでは、プリンス自動車の R380 に搭載された GR-8( 4VALVE DOHC、1964年 )が先に登場しており、DOHC としてはホンダの T360 トラック( 1963年 )が日本最初のツインカムユニットになります。( スカイライン GT-R の S20 ユニットは、1969年になります )。 |
| トヨタ2000GT は、イギリスのジャガー( E タイプ )やロータス( エラン )などを手本にして作られたという話もあるのですが、この流麗で美しいエクステリアデザインは、日本車の中でも唯一、海外でオリジナリティを認められたものであったようです。特にリヤビューなどは「チャイニーズアイ」と呼ばれて親しまれて居たという事です。( これはリヤのサイドウインドゥやテールライトの縁取りなどが、尻上がりにデザインされている所から、東洋人のツリ目(笑)に例えて付けられた名称です。彼らは、この美しいオリジナリティ溢れる造詣に、東洋の神秘的なものを感じていたのかも知れません。従ってトヨタ2000GT |
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| は、東洋的な独自の美しさを持つ日本のスポーツ・カーとして、現在でも貴重なコレクターズアイテムとなっており、日本車で唯一、ビンテージスポーツとして認められている存在となっています( 現在は、フェアレディ「 SP、SR 」や Zcar などもそうですが )。また、ロータスがモデルになったという逸話は、この 2000GT が当時のトヨタ専属のレーシングドライバーであった、浮谷東次郎のためにトヨタが製作したという話があるからかも知れません。実際には S40 クラウンのシャーシを改造して製作されたという事ですし、このクルマの性格はロータスのようなピュアスポーツというより、グランドツーリングカー的な要素が強いものだったようです。 |
| トヨタ2000GT は、1967年から1969年8月迄の前期モデルと、1970年まで生産された後期モデルでは、エクステリアデザインや機能面が少なからず違う為に、ファンの間でもどちらが好きか?(笑)で、良く意見が分かれることがありました。私はフロントフォグランプの形状などから前期モデルが好きなのですが、一般的には後期の方が「カッコイイ」という事になっているようです。しかし、違いは外観のデザインだけでは無く“内部”も大幅に変更されて、かなりの部分でコストダウン化されていたようです。 |
| 後期のインパネ風景です。こちらのほうが洗練されているように見えてカッコ良いように思います。しかし、この写真で見えない部分ではスイッチやドアノブの汎用品への共通化が行われていたり、取って付けたようなヘッドレストが・・・。 |
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| 見て判らない部分では、標準装備の時計の横に前期モデルにはストップウォッチが付いていたのですが、後期モデルでは省かれています(当然か・・・笑)。あと、結果として、前期モデルはウッドパネルやステアリングなどの痛みが後期より酷いものが多いようなのですが、使い方なのか、材質の問題なのか?!よく判りません。しかし、例え材質が良い物であっても痛みが激しいとキツイですね・・・。 |
| 当時の開発メンバーの方が、ノシタルジックヒーロー誌のインタビューで「フォグランプを汎用品で妥協した結果が前期モデルの大きさであり、後期モデルこそがオリジナルデザインです」という意味の事を仰っていました。確かにそう言われると・・・、前期モデルはとても「フォグランプ」には見えない(笑)。 |
| どこのクルマでも、後期モデルの方が精度が上がったり、品質が良くなるのは当然だと思いますが、その結果 25kg 増の車重や、ギヤレシオの変更によってパフォーマンスが落ちたというのが気にかかります( 実際には、より現実的な数値に修正したというのが実際のところで、速さ自体は後期モデルの方が速いという噂もあります )前期モデルは0-400m : 15.6 秒という発表が発売前にはあったのですが、非公式には 15 秒そこそこでゼロヨンをクリアしたという事です。さらにファイナルレシオに関しても、後期モデルは標準で 4.375、オプションは 4.111 という事なのですが、前期モデルには 4.625 という超ローギアモデルの用意があったようです。( 5 速のギアレシオは、前期モデルが、0.844、後期モデルは、0.856 という数値が記載されています。) |
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前期モデルについては全くのハンドメイド・カーと言って良いと思います。パーツのひとつ、ひとつまでが、すべて手作りであったという事です。後期モデルでは、主に内装のスイッチ類やドアハンドルなどのショートパーツなどを量産品と変更して、製品の品質(精度)を上げる?とともに、売るほどに赤字の出るこのクルマを採算ベースに持っていこうとしたのでしょう。また、前期モデルと後期モデルの大きな違いとしては、前期モデルはトランスミッションが、5MTのみの設定であったのですが、後期モデルからはトヨグライド3ATの選択も可能となっています( 7.5万円高、最高速度195km/h、巡航速度190km/h )、さらにマニュアルトランスミッション自体も変更された為、当初は 220km/h 以上を謳った、最高速度も後期モデルでは 215km/h にダウンしていました。( 車重の増加「 1120kg → 1145kg 」もあったと思われます )。
後期モデルでは、グリーンとライトブルーが新色として追加されており、排気系や冷却系の改良( ラジエターは鉄からアルミ製に変更 )、ブレーキサーボの容量アップ、ヘッドライトの仕様変更(点灯と連動)が行われると同時にスピードアップ( 3秒以内 )が行われました。居住空間では室内高が10mmアップされて、待望のクーラーは、27万円( ! )のオプションで設定されてました。 |
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形式名称:3M 水冷直列6気筒 DOHC 2VALVE、 三国製3連ソレックスキャブ、1988cc ( 75x75mm )8.4:1 最高出力 150PS/6600rpm 最大トルク 18.0kgm/5000rpm |
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全長4175mm 全幅1600mm 全高1160mm。 後期モデルは全高1170mm。 車両重量1120kg。 F:ダブルウイッシュボーン。 R:ダブルウイッシュボーン。 住友ダンロップ製4輪ディスクブレーキ ( このディスクブレーキは国産初の装備 ) |
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フロントエンジン、リヤドライブ方式。 最高速度230km/h。 2人乗り、2ドアクーペ。 SS1/4マイル 15.9秒。 但し、正式発売前の公式発表として、 SS1/4mileは、15.6秒という記録が残っています。 |
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上記の性能は、前期モデルの性能諸元でして、後期モデルでは、 1145kgの重量だと思います。しかしこの表示にクーラーの重量等 含まれているのかどうかは不明です。 カタログスペックと云えども、230km/hを誇る最高速度は、 1980年代に登場する、Z31型フェアレディ300ZXターボや、 FC3S型RX-7などに破られる迄は、日本最速車でした。 ちなみにゼロヨン加速では、同時期の83年に登場した、 スカイライン2000RS-TURBOが13秒台のタイムを出す迄は、 日本最速記録は、SR311型フェアレディ2000だったのです。 フェアレディはゼロヨン15.4秒、205km/hの性能でした。 オイルショックや排気ガス規制によって、20年間ものあいだ、 自動車は性能向上が望めなかったという事でしょうか。 |
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当時2000GT購入対象の顧客から一番クレームが多かったのは、なんとクーラーが付かないという事でした。当時クラウンが90万円くらい?であったのに対して2000GTは238万円。この価格帯の自動車(=外国車)ではスポーツ・カーやセダンの区別なくクーラーは標準で設定されていたので、対象顧客層を考えると当然なのでしょうが、クーラーの設定が無い事で多くの顧客からクレームがつくとは、さすがのトヨタ自動車も思っていなかったという事なのでしょうか?・・・(笑)。
実際は、発売前に問題となっていたと云う事ですが、当時の技術では、エンジンルームに設置スペースが無く、不可能という判断で諦めたと云う事です。従って後期モデルでは、リヤのラゲッジルームスペースにクーラーを設置しています。 前期モデルの2000GTを買い急いで?しまった父は、クーラーが無いという理由で、1年後に160万円で広島の競輪の選手という方に譲ってしまいました。( もうひとつ、別の理由もあるのですがねぇ・・・w )。 |
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トヨタ2000GTは、発売前よりレースや映画などで大々的に宣伝した為、注文生産による販売という形式では対応しきれずに、結局、抽選で当選した人のみが、購入権を得るというような販売形態を取ったという事です。
色んな自動車誌を読むと、TOYOTA2000GT の発売は1967年の5月からという記述と3月からだったという記述があります ???。下記の写真(映像)は私の入園式当日の時の8mmフィルムなので、1967年の4月上旬では無いかと思います。従って3月発売説が正しいように思います。よく見ると結構汚れているし、ナンバープレートなどは、何だか思いっきり歪んでいるように見える・・・一体、何処に刺さったんダ ?!(爆)。 |
