協栄山神ボクシングジム歴史

1967年7月 アルゼンチン・ブエノスアイレス・シティー ルナパークスタジアム (左)元WBA世界フライ級チャンピオン海老原博幸選手 (右)在りし日の名トレーナー エディ・タウンゼント氏 (中央)山神会長
協栄山神ボクシングジムは、藤沢市に所在し、会長の山神淳一は、鹿児島県出身の野口ジム所属のプロボクサーであった。
山神淳一と金平正紀、海老原博之との関わり
野口ジムの先輩である金平正紀より飲食店経営の話を持ち出され、金平が恵比寿下通りにとんかつ専門店、屋号「とんきん」を開店し、山神淳一は、片腕として手腕を発揮し、その後、店は繁盛する。
山神の友人の山本満男よりプロボクサーを夢見る若者を紹介され、金平に顔合わせする。この若者こそが後の世界フライ級チャンピオンの海老原博之である。海老原も店の一員として働きながらトレーニングに励み苦行を共に成長していく中で金平は、山神、海老原とともに金平ボクシングジムを設立する。
杉並区の永福町に始まり草加市谷塚、目黒区中目黒、渋谷区代々木と次第に大きく繁栄していった。山神も一番番頭として寝起きを共にし、海老原のトレーナーだけでなく若者の指導、選手育成に励んでいく。
金平正紀は、「山神淳一は、今の協栄協栄ボクシングムの井戸を掘った人間である。」との言葉を残している。
金平ジムは、代々木時代に協栄物産とスポンサー契約を交わし、金平ボクシングジムから現在の協栄ボクシングジムに名称を変える。
山神は、1967年、協栄ジムを円満退社し、1968年、湘南藤沢に協栄山神ボクシングジムを設立する。
ジム開きには、金平を始め、後輩たちがお祝いに駆けつけていた。当時の写真には、幼い頃の金平桂一郎の姿がある。

