5日目(エーゲ海クルーズB)
  2007. 8.12
イラクリオンの夜明け  今朝も早目に起床し、プールデッキに出てみると、今日一番の寄港地、クレタ島「イラクリオン」(Iraklion/Heraklion)の港に着眼寸前のところまで来ていた。爽やかな潮風と、まばゆいばかりの朝日と対面し、幸いにも、今日も晴天となる事を確信した。クレタ島は、エーゲ海の中でも最も面積の広い島(8,261ku)で、兵庫県と同等の大きさに相当する。島の都は、これから着岸するイラクリオンと呼ばれる街で、ここには、もちろん立派な港があって上陸するのにテンダーボートの必要はない。下船ならびにオプショナル・ツアーの説明は朝7時15分とされていたので、それまで、4階レストランでゆっくりと朝食をとった。朝はいつものバイキングスタイルで大皿にごくオーソドックスなものを適量チョイスし、窓際の席で着岸の様子を見ながら朝食をいただいた。
朝食 イラクリオン港
今日の船内新聞  乗船3日目となる今日は、エーゲ海クルーズの最終日で、「イラクリオン(クレタ島)」と午後は「サントリーニ島」に寄港する。7時15分過ぎになって、アドミラル・ラウンジに行くと、これから下船するイラクリオンの説明が始まっていた。オプショナル・ツアー参加者は、それぞれ行き先によって団体行動となるが、それ以外で下船し自由行動の場合は、10時30分までに乗船するように言われた。イラクリオンの見どころは、やはりミノア文明時期の宮殿跡「クノッソス宮殿」で、もちろんオプショナル・ツアーも用意されており、一番人気だ。市販のガイドブックによるとイラクリオンからクノッソスまで市バスで25分とあったので、主催者には申し訳ないが、昨日のパトモス島同様、自力で出かける事にした。ツアー料金の節約もさる事ながら、自由に見て回れる方がよい。オプショナル・ツアー参加者の下船に続き、7時半過ぎに、イラクリオンの棧橋に降りた。
クノッソスへの道のり ここでは、一旦シャトル・バスに乗りターミナルビルまで移動する。わずか2〜3分程の距離にある。ターミナルビルから外に出るとすぐにタクシー乗り場になっていた。客待ちをしていたドライバーはすぐさま寄って来たので、クノッソスまでいくらと聞いたら15ユーロだと言う。ここからたぶん5qくらいなので、日本だと2千円弱だ。10ユーロでどうかと聞いたら、首を横に振られた。やはり予定どおり市バスで行こうかと思い、通りの方へ歩き出すと、少し離れたところに、またタクシーが止まっていたので、10ユーロと聞いてみると、あっさりOKが出た。明確な市バスの乗り場を知っている訳でもなかったので、このタクシーで手早くクノッソスへ向かう事にした。ドライバーは気さくな人柄で、道中、片言の英語でいくつかのギリシャ語を教えてくれた。車は10分少々でクノッソス宮殿に到着。結局、帰りも10ユーロでフェリーターミナルに戻ってくれるとの事で、帰りの時間を9時45分と約束し下車した。これで、移動の心配はない。時間まで、クノッソス宮殿を見学すればよい。
(ちなみにタクシーの料金メーターは、8ユーロ弱だったので、チップ込みで考えれば10ユーロは妥当なところだった)
www.planetware.com
■クノッソス宮殿(The Palace of Knossos)
 8時前に、クノッソス宮殿のゲートまで来ると、なんと、先行したオプショナル・ツアー参加者と一緒になった。ゲートは8時オープンなので、まだ時間待ちのところだった。もちろん、ここで一緒になったからといって、この後、ちゃっかりガイドの説明を聞かせてもらいながら同行して回った訳ではない。
クノッソス宮殿  クレタ島の青銅器時代を伝説上の王「ミノス」の名をとり「ミノア時代」と呼ばれる。そしてこの時代に発達した文明が「ミノア文明」である。ミノア文明は紀元前2600年から紀元前1100年まで1500年間続き、紀元前17世紀ごろ最も繁栄していたとされている。クノッソス宮殿は、そのミノア文明の象徴であり当時としては、かなり文化が発達しており裕福な生活を送っていた事が伺える貴重な遺跡である。発掘は、西暦1878年〜1903までにギリシャ人と外国の考古学者によって進められ、宮殿のほぼ全容が明らかになった。特に発掘に大きく関わったのは、イギリス人の「アーサー・エヴァンス」(Arthur Evans)である。

<西宮>
@南口ポーチ A南公式入口付近
 朝8時、入場ゲートがオープンした。ゲート横にある窓口でチケットを購入し、中に入った。木立の合間から朝日が差し込む遊歩道を抜けると目の前一体が宮殿跡である。場所的にはクノッソス宮殿の西側にあたる。見学順路としては、南西の方向からで、宮殿の南公式入口だったところだ。順路を進むと、まずは、赤い円柱のある石造りの建物
南玄関の壁画 が目に入ってきた。柱1本がしっかりと残っている。地下室もあるこの建物は、@「宮殿の南玄関前のポーチ部分」である。円柱は木製で下側が細くなっており、この形はミノア時代の特徴でもある。次にこの建物を回りこむと、A「南公式入口の一角」(South Propylaia)にあたり、壁には壷をもった男性が描かれている(レプリカ)。王への献上行列の模様と思われる。(ミノア時代の壁画では男性は赤銅色、女性は白色の肌である。また男女とも髪は長く、身にはアクセサリーを纏い結構お洒落をしていた)
B南の家 C土器 D西側にある大貯蔵室
 宮殿の南エリアでは、一段下がったところにB「南の家」(South House)があり、宮殿に仕えていた位の高い人の住居と考えられている。そして南公式入口の東側には、発掘された多数のC「土器」が置かれている。このあたりが貯蔵室だった時もあったようだ。公式入口の北側には、幅の広い大きな階段があって、上がったところは「ピアノ・ノーブル」(Piano Nobile)そして「三本柱の間」(Tri-Columnar Shrine)と呼ばれる場所に出る。今は床に柱の跡が残っているだけで部屋の面影はない。まったくの戸外の状態だった。また、このフロアの左手下(西側)には、奉納品や収穫物が保管されていたD「大貯蔵室」(West Magazines)が良く見える。最大で21室あったとされている。
Eフレスコ画展示室(2階) F雄牛跳び G青の婦人たち
 「三本柱の間」の奥(北)へ進むと、E「フレスコ画の展示室」に出る。宮殿内で発見されたフレスコ画のレプリカが展示されている部屋で、宮殿北西側の2階部分にあたる。東側にかけられている絵は、F「雄牛跳び」と呼ばれ、雄牛の背中で宙返りし勇気を競った模様が描かれている。跳んでいるのは男性で牛の前後でサポートしているのは女性である。北側にある絵は、G「青の婦人たち」で、ミノア時代を代表する美しいフレスコ画だ。
H王座の間 I王座 Jグリフィン
 フレスコ画の展示室から南側の階段で下に降りると、宮殿の中庭「中央宮庭」(Central Court)にあたる広場に出る。ここから、先ほどの「フレスコ画展示室」の階下に入ると「控えの間」そしてH「王座の間」(Throne room)と続く。ただし、「王座の間」は立ち入り禁止で、手前の「控えの間」からの見学となる。部屋の北側中央にI王の椅子が配置され、その回りをベンチが囲み王の周囲に祭司を座らせていた。
王座の間全景 王の前の水盤は、当時、聖水が入れられ清めの儀式で用いられたものと思われる。玉座の壁に描かれた絵は、復元されたものだが、植物(パピルス)の合間に、神の三面(頭:天空、胴:大地、尾:冥界)を表す架空動物、Jグリフィン(Griffin)が描かれている。

K南の回廊 L「ユリの王子」の壁画  中央宮庭から南側に向かうと、宮庭と外とを南北に結ぶK「南の回廊」(South Corridor)の一部が残っている。ここでは、発掘時に、浮き彫りの壁画の一部分が見つかりL「ユリの王子」(Prince of Lilies/ Priest-king Relief)と名付けられた。現在、この場所には、そのレプリカが掲げられているが、ほとんどは想像によるものである。王子は、ユリと孔雀の羽で飾られた冠をかぶり、ユリの首飾りをつけている。左手で握っているものは、手綱で、動物を引き連れていたとされている。

<東宮>
M地階へ続く階段 階段下の踊り場 N修復中の地階
 中央宮庭の東側中程に東宮へのM折り返し階段がある。下り階段の下半分は当時のまま残されている。この階段を降りたところは、地階へ続く踊り場になっていて、地下を含むこのあたりの建物が王族の住いとなっていた。地下でも、明かり取りと換気のため、要所要所で吹き抜け構造になっている。さらにN地階は、現在修復工事中で立ち入れなかったが、この地階から東宮にある「双斧の間」(Room of the Double Axes)そしてO「王の間」(King's Megaron) へと接している。「双斧の間」と「王の間」は続き間で、この大広間(Hall of the Double Axes)では、王への謁見のために利用されていた。南側の外からは、黒い柱で構成された柱廊がうかがえる。また王の間の南西側には、「王妃の間」(Queen's Megaron)が続き、北側上部の壁にイルカの壁画が復元されている。さらに西側の小部屋は王妃の浴室と言われており、浴槽と思われる破片も見つかっている。残念ながら、このあたりの部屋へは、現在入場できなかったので、一部<Dilos.com>の資料を参考とした。
王族の住居復元図 O王の間 P王妃の間

<北部>
Q清めの場1 Q清めの場2  次にクノッソス宮殿の北側に残っている建物の方へ回ってみた。まずは、北西に位置する建造物は、宮殿へ来た参拝者や宗教儀式への参加者が清めを行ったとされるQ「清めの場」である。広さ約2.5m×2.5mで深さ2mの水槽が設けられ、宮殿に入る前に香油や水などで清めを行っていたらしい。また北側中央には小高くなった場所に、R「北入口の見張り場」がある。
R北入口の見張り場2 R北入口の見張り場1 北入口は、防衛のため通路が狭くなっており通路の右左(東西)に見張り場があった。現在、見られるのは西側の見張り場で、壁には「野牛狩り」の浮き彫り壁画が描かれている。
 また北入口から東側に行くと、S「大型土器の貯蔵室」(Magazine of the Giant Pithoi)があり、これまで見つかった土器で最も大型のものが置かれてある。土器はピソス(Pithos)と呼ばれ、多くの耳が付いており、それにロープを通して重い物資を運んでいた。貯蔵室からさらに東宮の南側に向かうと、「内陣のある家」(The House of the Chancel Screen)がある。こちらは詳しい事は分っていないが宮殿での儀式のための関連施設と思われる。
S大型土器の貯蔵室 大型土器(Pithos) 21内陣のある家
 クノッソス宮殿を西側からぐるっと見て回った。朝一番に入場したので、人も少なくゆっくりと見学できた。オプショナル・ツアーの一行はいつのまにか先行して帰路についたようで見かけなくなった。それにしても、とても紀元前17世紀のものとは思えないほど立派な宮殿で、しっかりとした設計に驚いた。今から4千年前の文明である。ごく表面的ではあるが、先進的なミノア人の生活ぶりをかいま見た。
見学順路  朝8時に入場して、9時40分なので、1時間40分、ここにいた事になる。宮殿を後に、外の駐車場に出てみると、ちゃんとタクシーが来てくれていた。・・・と言うより、ずっとここで待っていた感じだ。運転手は愛想よく迎えてくれると、後ろのドアを開け、親切に乗せてくれた。結局イラクリオンとクノッソスとの往復でタクシー代20ユーロ、入場料が6ユーロなので計26ユーロの出費ではあったが、オプショナル・ツアーと比べると半額以下で済んだ。また何より自分のペースで自由に見て回れ充実した個人エクスカーションができた。

 クノッソスからタクシーでイラクリオン港に到着すると、午前10時になっていた。ちょうどいい時間である。港から再びクルーズ船までのシャトルバスに乗りこみ、無事、乗船。朝の小旅行を終え船に戻って来た。クノッソスへは、やはり往復するのに市バスを使った人もいたようで、さすが上手がいると感心した。分っていれば付いて行けばよかった。バスだと片道1ユーロほどで行ける。
 定刻の10時45分になると、いつものように出航ダンスとともに、クルーズ船はイラクリオン港をゆっくりと離れた。次は進路を北にとり、最後の寄港地「サントリーニ島」を目指す。その前に、明日朝は、ギリシャ・ピレウス港で下船となるため、その説明会が11時からアドミラル・ラウンジあると言われていた。〜下船までの諸注意は、預けたパスポートを本日中にレセプション・デスクで受取る事。クルーズ船で利用した有料サービス(オプショナル・ツアー、お酒類の有料飲料、チップ等)の支払い明細が夜遅く届くので朝下船までに確認する事。夜12時(24時)までに荷物(スーツケース)に荷札を付けてドアの外に出す事。朝は7時までに下船の準備を済ませ、部屋を空け、7時10分にこのアドミラル・ラウンジに集合する事を告げられた。一通りの説明が終わると昼近くになっていたので、部屋で一息いれたあと、ランチタイムにあわせてレストランへ行った。

 まずは、生ビールで喉を潤したあと、ランチメニューのアラカルトから、ハムの盛り合わせ、冷製グリーンスープ、タコスのようなもの、そしてクレープ風のスイーツを注文。ランチとしては充実したメニューがあり、しっかりといただいた。
 ランチの後は、夕方のサントリーニ島に備え、いつものプールデッキに上がり身体を休めた。さしずめシエスタといったところ。気温は高いが、航行中はエーゲ海の風が気持ちいい。ウトウトする分には最高だ。


■サントリーニ島(Santorini Island)
 クレタ島の北、120Km、エーゲ海のほぼ中心に位置するサントリーニ島は、エーゲ海諸島を代表する美しい景観をもち、数々の絵はがきやポスターにもなっていて、多くの人々が訪れる最も人気のある島とされている。「サントリーニ」という名前は、西暦13世紀に、この島を手に入れたベネチア人の貴族マルコ・サヌード(Marco Sanudo)らによって名付けられたもので、「Santa Irini」ギリシャ語で、「聖なる平和」が語源となっている。サントリーニ島は、現在でこそ三日月型の島であるが、紀元前1450年に火山が大噴火し、島の中央周囲が沈み外輪が残っために、このような地形となった。現在でも、中央のネア・カメニ島では火山活動が続いている。南北にのびる三日月型の本島は、面積73kuで、その西海岸は、断崖絶壁となっているが、その上に島の中心であるフィラ(Fira)の町があり白を基調とした建物ががびっしりと広がっている。ちなみに現在の町並みは、1956年の大噴火による崩壊後、再建されたものがほとんどである。
 今回は立ち寄る事はないが、サントリーニ島南部には、紀元前16世紀ごろに繁栄していたミノア文明の都市遺跡「アクロティリ遺跡」(Archaeological Site of Akrotiri)や紀元前9世紀に、サントリーニ島の最高峰、メサ・ヴノ山頂(369m)にあった首都「古代ティラ」(Ancient Thira)など歴史的にも興味深いところがある。
サントリーニ湾内 フィラの町
 午後の3時半ともなると、前方にサントリーニ島が確認できるようになってきた。島が近づくにしたがって、絶壁の上に白い町並みが連なっているのが分る。聞いてはいたが、見事なまでにほとんどの建物が山の上にある。このサントリーニ島への到着は午後4時とあったが、若干遅れているようだ。また、サントリーニ島のフィラの町の下にある小さな「オールド・ポート」(Old Port)へ着岸するには、テンダーボートを利用する。湾内に入り、フィラの町に近くに停船すると、港の方からテンダーボートがやってくるのが見える。ここでもオプショナル・ツアー参加者から先にテンダーボートに乗り換え、我々自由行動の人達がボートに乗ったのは4時45分になっていた。
オールド・ポート フィラの町へのアクセス  テンダーボートは、10分程で崖下の小さな港、オールド・ポート(正式名称:フィロン港)に着岸した。本来、サントリーニ島の船の玄関口は、フィラから4Kmほど南にあるニュー・ポートと呼ばれるアスィニオス港で、大型船はそちらに着岸する。このオールド・ポートは、フィラの町に近いため、クルーズ船からのテンダーボートや小さな観光船のみ発着している。
 港から、約300m上にあるフィラの町まで行く方法は、1.ケーブルカー(4ユーロ)、2.自力で歩いて登る(タダ)、3.ロバに乗って行く(5ユーロ)。の3通り。最も早くスマートなのは、もちろんケーブルカーの利用で、2と3は、フィラの町
ロバ・タクシー へ続く580段の階段を利用する。こちらは人もロバも同じ道を使う。やはり、ここは迷わず、ロバに乗る方を選択した。景色を見ながらロバで登る。ここでしか、できない体験だ。
ロバの道1 ロバの道2 You Tube
 港に上陸すると、すぐに、ロバ乗り場の案内が見つかった。正面の建物に入ると裏側が乗り場になっていた。道にロバが連なっていて、おじさんがファイブ・ユーロと呼称しながら次から次へと客を乗せている。中には馬も結構いた。5ユーロ支払って、ロバにまたがると、おじさんが、ロバの尻をひっぱたく。するとロバは勢い良く階段をかってに駆け上がって行くようしつけられている。
ロバの道3 ロバの道4 ロバの道5
 最初の登りは勢いもあったが、さすがロバもこの階段はきついらしい。鼻息が荒くなって、スピードも落ちてきた。また、階段の幅を左右に蛇行し、勾配を緩和する知恵ももっている。慣れたものだ。少し体力が戻ると、また思い出したように勢い良く登って行く。そしてまたスローダウンの繰り返し。そうこうしているうちに、かなり登ってきた。頂上にあるフィラの町も近い。あとひと踏ん張り、乗ってる方も力が入る。そして登り始めから20分ほどして、ようやく到着した。ロバに感謝、お疲れ様!。
フィラからの眺め1 フィラからの眺め2

<フィラの町散策>
 最終テンダーボートは午後7時30分、オールド・ポートから出発する。帰りはケーブルカーに乗るとして、町の中を1時間半くらいは散策できる。斜面に沿うように建てられた白い町並み、狭い路地、教会、趣のあるお店など散策したい。
 (撮影ポイントは<FIRA TOWN MAP>の位置表示をカッコ内に付記)

www.skymap.gr フィラからの眺め ギフトショップ
      FIRA TOWN MAP         View from Gold Street(F4.5)           Gift Shop(E3.5)


ケーキショップ Enigma/IRIANA ゴールド・ストリート
   ZOTOS Family Pastry(E3)        Apartments Enigma(F4.5)           Gold Street(F4.5)

 ロバ・タクシーを降りると、エーゲ海を臨む300mの岸壁。ホテルやレストランが所狭しと連なっている。ほとんどの建物が白をベースとしたペンキで塗られていて、青い空と海とのコントラストがすばらしい。特に、西向きのフィラの町は、この時間帯は、まぶしいばかりに日を浴びる。まさにイメージしていたエーゲ海の町の風景が目の前に広がっている。斜面に建てられた町並みには、所々、階段があり、狭い道をぬって少し上がって行くと石畳の通りに出た。Ypapantis通りである。この通りから右に曲がると(南へ)、やや広い道幅になっていて(Gold St.)、このあたりは、解放感があって気持ちがいい。右(海)側斜面を見ると、ホテルが多い。通りに面して簡単な門構えがあり、ホテルへの階段へと続く。


斜面に並ぶ町並み メトロポリス教会 メトロポリス教会の聖堂
     Palia Kameni Bar(F4.5)         Metropolis Church(G4)         Inside of the Church(G4)


教会前からの眺め 通り沿いのテラス席 路地の商店
    View from SPHINX(G4.5)         25 Martiou St.(G3.5)           Erithrou Stavrou(E2.5)

 通りの先には立派な教会(メトロポリス教会)が見えてきた。アーチ状の柱廊と角型の鐘塔、いずれも白で統一されている。教会から回りこむように、海と反対方向へ出ると、フィラの幹線道(25 Martiou)で、静かな町並みとは一変し、車の量も人も多い。生活感のあるエリアで、通りに面して、レストランやカフェのテラス席が並んでいる。ただ、そのほとんどが歩道上なので、歩きにくい。少し行くと(北へ)、車道と別れて町の中へ続く路地があったので、こちらへ入ってみた。狭い路地にも、レストランやショップがびっしりと並んでいる。道なりに歩いていると黄色と白の教会に出た。鐘塔の上には時計がある。ちょうどケーブルカー駅の山側にあたる。


時計のある教会 ピンクの教会 展望テラスからの眺望
      Fira's Church(C1.5)          Agiou Ioannou St.(B1.5)     Nomikos Conference Center(A2)


斜面に面した教会 ケーブルカー ケーブルカー
     Clifftop Church(B2)             Cable Car(C2)

 さらに北へ進むと、繁華街から住宅街へと町並みが変わってきた。町の北側にある細い道、Agiou Ioannou通りに来ると、ピンク色の教会もある。次に通りから海側への道へ入り、突き当たると「Nomikos Conference Center」と呼ばれる建物の展望テラスがあった。ここから、南側と西側に向かって、フィラの町とエーゲ海が一望できる。うろうろ歩いて町のはずれまでやってきた事になる。戻りは、崖沿いのM.Nomikou通りを歩き、程なくするとケーブルカー駅に着いた。時間的には午後6時30分になっていた。まだ少し余裕があったが、フィラの町もほぼ一回りしたことだし、ケーブルカーで港へ降りる事にした。ケーブルカーといっても、日本でいう、ゴンドラリフトである。1台
TM子さん 4人乗りのリフトが6基連なっている。
乗ってしまえば、5分ほどで港に到着した。オールド・ポートの棧橋では、オーシャン・モナークの看板を持った日本人スタッフのTM子さんが出迎えてくれた。まもなく、テンダーボートが着岸し、最後の寄港地、サントリーニ島を後にした。

<クルーズ船最後の夜>
 3日目の夜となる今晩は、最終日ともあって、夕食は簡単な正装でおこし下さいと言われていた。一応、この日のためにYシャツとネクタイ、ジャケットを持って来ていたので、着替えを済ませてレストランに向かった。それぞれ、すっかり顔なじみとなったツアーの人達も、それなりに正装をして集まってきた。もちろん添乗員のS氏もWのスーツ姿で出迎えてくれた。毎晩、本日のワインという事でメニューに載せられるが、今晩は「ROSE BOUTARI DEMI SEC」というギリシャ・ワインのロゼを注文した。さっぱりとしたフルーティーな味わいでアルコール度も低めなので、暑い夏にはこうした爽やかなワインがとても美味しくいただける。すいすい喉に入っていった。
ツアー添乗員のS氏 ROSE BOUTARI DEMI SEC 注文したギリシャ・ワイン スモーク・サーモン コンソメ・スープ
 こうして、正装して食事をするのも、また違った雰囲気があっていいものだ。自分だけでなく、回りも、きちっとした服装なので統一感がある。同じ船のレストランではあるが、ワンランク、高級になったような感じもする。それでもテーブルでは、クルーズ船、最後の夕食という事もあって、アルコールも入り、これまでの旅の話しや、近況などいろんな話題で盛り上がってきた。もともとは見知らぬ者同士であるがツアーという輪の中で、今では、すっかり溶けこんだ仲間である。
白身魚のオレンジ・ソース添え ティラミス ツアー一行
 夕食後は、いつものようにアドミラル・ラウンジへ移動し、ショーを楽しむ事にした。本日は、ガラ(GALA=祝祭)ショーと案内があった。ラウンジではすでに華やかなショーが始まっており大勢の人達が集まっていた。ラウンジの角の席をなんとか確保し、皆で腰をおろした。
 今晩も歌にダンスと大いに盛り上がり、最後は、「世界はひとつ」という事で各国の国旗が掲げられ盛況の中、ステージは閉幕した。