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6日目(ギリシャ・アテネへ)
2007. 8.13
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昨晩は、食事の後、ガラ・ショーを楽しみ、夜遅く船室に戻ってから、下船の支度を整えた。深夜、若干の揺れを感じながら、いつしか熟睡し、今朝は、5時30分のモーニング・コールとともに起床した。まもなく、クルーズ船3泊の周遊の旅が終わり、ギリシャ本土のピレウス港に到着する。6時になって、朝食のため2階のプールデッキに上がると、もうピレウス近郊の湾内で、船も徐行している状態であった。
朝食を素速く済ませ、集合時間の7時にアドミラル・ラウンジに集まると、下船についての最後の説明があり、準備の整ったところからツアーごとに下船が始まった。船内は、この後、すぐ4日間の次のクルーズが始まるため、新たな乗客を迎えるための支度が着々と進められている。1週間、休みなく、3日間、4日間のクルーズを繰り返しているようだ。部屋もすでに、掃除、ベッド・メーキングが終わっていた。手際の良さには感心する。乗船前に渡された、クルーズIDカードは、下船時に回収され、次の乗客に渡される。記念に持ち帰る事はできなかった。
7時ともなると、ピレウス港に朝日が差し込んできた。お世話になった、クルーズ船と乗組員に別れを告げ、3日ぶりにギリシャ本土に上陸した。棧橋では、荷物も次々降ろされている。荷物はターミナル横のテント張りの建物に集められると、そこで引き渡しを受け、我々ツアー一行は、迎えに来ていた専用バスに乗りこんだ。また、アテネでの新しい一日が始まる。 ■アテネ市内観光 今日、そして明日の午前中とこのツアー最後のアテネ滞在となるが、今日の予定は、これから午前中、市内観光で、午後と明日の午前は、自由行動となっている。バスがピレウス港を離れると、添乗員のS氏から、本日のガイドのKさんが紹介された。これからアテネの市内の見どころを案内していただく方だ。 <アテネ競技場>(Panathinaiko Stadium) バスでピレウス港から東へ15分もするとアテネ市内の中心部へと入ってきた。普通は、道路の渋滞がひどく、大混雑する市街地でも、この時期は夏休み期間という事で比較的空いている。まず、始めにやってきたのは、1896年、第1回近代オリンピックが開催された記念競技場である。オリンピックの発祥の地は、言わずも知れた、ギリシャ・オリンピアであるが、紀元前776年に始まった古代オリンピックは、西暦393年に当時のローマ皇帝(テオドシウス1世)に禁止されて依頼、1500年間、開かれていなかった。1892年になって、フランス人のクーベルタン男爵によってオリンピックの復興が表明され、1896年にこの地で近代オリンピックとして再開された。もともとアテネ競技場は、紀元前331年、パンアテナ祭の競技会に使用された古代の競技場で、現在の施設は、近代オリンピックが始まる直前の1895年に大理石の豪華な客席をもつ競技場として復元された。競技場としては、大きくないが、観客席は美しい馬蹄形をしている。2004年のアテネ・オリンピックでは、マラソンコースのゴールとして使用された。
<大統領官邸の衛兵> アテネ競技場の北側に大統領官邸がある。国立庭園に隣接した緑豊かな一角で、大通りから少し入っているため閑静な場所だ。官邸内には入れないが、Irodou Attikou通りを警備している護衛兵を間近に見られ、記念撮影にも応じてくれる。というか、衛兵は我々には無関心で、カメラを向けてもニコリともしない。観光客へのサービスはないが、写真は自由に撮ってもいいらしい。
<国会議事堂と無名戦士の碑> 国立庭園の北西側に「国会議事堂」(Parliament)がある。このあたりがアテネ市街の中心地であり、向かい側には、「シンタグマ広場」が見える。建物は、初代ギリシア国王オットー1世の宮殿として、1842年に建てられた。美しい淡黄色の壁面と正面には大理石の柱が並ぶネオクラシック様式で、1933年から国会議事堂として使われている。建物内部に入ることはできないが、この前に設けられている「無名戦士の碑」(Tomb of The Unknown Soldier)は、1時間ごとに行われる衛兵交代で観光の名所となっている。国会議事堂の正面下の壁面には、トルコ帝国の支配から独立するための戦いで、戦死したり行方不明になった無名戦士のための碑が造られており、伝統衣装をつけた衛兵が見守っている。観光客がしだいに集まってきた。まもなく9時の交代式が始まるようだ。
<ハドリアヌスの門>(Hadrian's Arch) 交通量の多い、Syngrou通りに大理石で造られた「ハドリアヌスの門」がある。西側のテセウスが開拓した古いアテネと東側のハドリアヌス皇帝が拡張した新しいアテネとの境界として131年に建造された。
<オリンピア・ゼウス神殿>(Temple of the Olympian Zeus) ハドリアヌスの門の東側にあり、ギリシアの中で最大の神殿といわれている。建設に650年以上も要し、完成したのは、2世紀、ハドリアヌス皇帝の時代である。コリント様式の宮殿で、当時104本あった列柱は、現在15本のみ残っている。
■アクロポリス(Acropolis) いよいよアテネ市内観光のハイライト、アクロポリスの丘に向かう。バスは、アクロポリスの丘の南側を通るディオニシウ・アレオパギトゥ(Dionissiou Areopagitou)通りに近い駐車場に停車した。丘を見上げるとそこにはあのパルテノン神殿が見える。テレビや旅行誌などの写真でよく見た景観がすぐ目の前にあり、今更ながらギリシア神話の町、アテネにやってきた実感が湧いてくる。 拡大地図を表示 案内地図を表示 Acropolis Planを表示 バスを降りて、ガイドさんについてディオニシウ通りを渡るとアクロポリスの丘へ入る道がある。木立の中を少し上がって行くと入場ゲートに着いた。ちょうどアクロポリスの西側にあたる。ガイドさんよりチケットが配られたが、このチケットは、アクロポリス専用の入場券以外に、「古代アゴラ」、「ディオニソスの劇場」、「ローマ時代のアゴラ」、「ケラメイコス」、「オリンピア・ゼウス神殿」の内、任意の4か所への入場チケットが含まれている。事前に渡されていたガイドさんの声を無線で聞くためのレシーバーもセットし準備は整った。
いよいよアクロポリスに入る。ゲートをくぐって、まず案内されたのは、@「ヘロド・アティクス音楽堂」(Herod Atticus Odeon)だ。丘から見下ろすと、みごとな扇形の客席が眼下に広がっている。161年に建てられた古代劇場であるが、客席は1951年に修復され、5000人が収容できる現役の劇場として今でも使われている。舞台裏の建物は、3階建てで、当時の造りが残されていた。
ヘロド・アティクス音楽堂を見下ろしながら道なりに登って行くと、古代アクロポリスの玄関、A「前門」(Propylaia)へ通じる開けた空間、大理石の階段へと出た。まず驚いたのは人の多さだ。これから登る人、帰る人、写真を撮る人が交錯する場所で人があふれていた。人の数はともかく、紀元前の古代の人々もこの階段を行き来していたのだろうと想像させられる。Propylaiaとは、聖域への入口を表し、建設は紀元前437年に建築家ムネシクレス(Mnesicles)によって進められた。門を構成する立派な石柱は、中央に6本の重厚なドリス式と両側に繊細なイオニア式とを組み合わせたデザインである。前門から下に見える石組みの門は、2〜4世紀のローマ時代に建てられた「ブーレエの門」(Boule Gate)で、 古代アクロポリスの入口であった。
<パルテノン神殿>(The Parthenon)
立派な前門もくぐると、ついにここまで来た。B「パルテノン神殿」とのご対面だ。時代は紀元前にさかのぼる。この地の守護神をめぐり、海の神ポセイドンは「泉」を、女神アテナは、「オリーブの木」を差し出したところ、人間は、生活に実用的なオリーブを選び、アテナが勝利した。こうして守護神の座は女神アテナとなり、町はアテネと名付けられた。アテネは小高い丘(アクロポリス)を都市の中心とし発展を続けていたが、紀元前480年にペルシャ人によって完全に破壊されてしまった。その後、紀元前447年、時の将軍「ペリクレス」(Pericles)によってパルテノン神殿をはじめとするアクロポリスの再建が始まり、パルテノン神殿は、紀元前432年に完成し、守護神アテナ女神が祭られた。
大理石造りの神殿は、古代ギリシャ建築のドリス式で、高さ約10mの石柱は8本×17本の46本で構成されおり、幅約30m、奥行き約70mの壮大な神殿を形成している。巧みな建築技法に加えて、見た目の美しさを取り入れた傑作と言われている。柱の太さは下から上にかけて直線的ではなく膨らみを持たせ、直立ではなく、若干内側に傾きを付けてある。また、側面の床も水平ではなく、中心部から外へ、ごくわずか傾斜させ、全体に美しい遠近感を持たせつつ、強度を補っている。このあたりは、言われてみないと気がつかない。当時、神殿中央には金と象牙で飾られたアテナ女神の像が据え
られていた。<エレクティオン神殿>(Erechtheion)
パルテノン神殿の奥、北側に目を移すと、乙女像が並ぶC「エレクティオン神殿」がある。こちらは、南西側の柱に6体の乙女像(Caryatids)を、その他周囲の柱はイオニア式の石柱で造られ優美な神殿を形成している。神殿には多くの神々を祭り、宗教的な儀式を行うために建てられ、アクロポリスで最も神聖な場所とされていた。 パルテノン神殿の東南から下を見下ろすと、D「ディオニソスの劇場」(Theater of Dionysos)の痕跡が見える。紀元前6世紀にアクロポリスの丘の南斜面を利用して造られた劇場で、ギリシア最古のものだ。舞台の奥には、隣接して神殿もあったらしい。 また、アクロポリスの東側には、展望台がある。ここから真正面には、リカビトスの丘、そして手前には、国会議事堂、プラカ地区などアテネ市内の中心部が一望できる。
時間も正午となって、アクロポリスを離れ、駐車場まで戻ってきた。日中ともなると、とにかく暑くて、ペットボトルの水がすぐに無くなってしまう。とにかく、ここでは水とタオルと帽子は必需品だ。午前の市内観光は、ここで終わり、これからランチ、そして今晩のホテルへと向かう。いずれも、アクロポリスの近郊であるが、一応バスで送迎してくれるとの事。バスに乗って5分もすると、アテネ市内の繁華街プラカ地区で下車。徒歩でキダシネオン(Kidathineon)通りを進むと、通りに面してレストラン・
ビザンティノ(Byzantino)があり、ランチはこのテラス席が予約されていた。セットメニューではあったが、バイキングではなく落ち着いて食べられる。まずは、顔見知りとなったツアーメンバーとビールで乾杯。この暑さの中、待ちに待った瞬間だ。一気に乾いた喉を潤した。テラス席で外の風を感じながらの一杯は、また格別である。料理もツアーに含まれているものとしては上々であった。<ホテル チェックイン> このツアーでは、最後のアテネ宿泊は、デラックス・ホテルという事になっている。アクロポリスのすぐ南側、Parthenonos通りにある「ディヴァニ・パレス・アクロポリス」(Divani Palace Acropolis)という一応★5のホテルに案内された。ガイドブックなどでも高級と分類されている。ツアーという事もあって、あまり期待はしていないが、最後の日に少しゆっくりしたところで眠れるのはありがたい。
昼食後、ホテルに到着。アクロポリスとは目と鼻の先であるが、北側の繁華街とは違って人も車も少なく静かな場所である。チェックインが終わると、午後から明日の正午までは、自由行動となった。部屋は★5とは言い難いが、清潔でベッドもゆったりとしていて十分くつろげそうだ。一息いれた後、中庭にプールがあったので、暑さと午前の疲れを癒すため、ざぶっと泳いで、プールサイドで昼寝する事にした。このあたりは本当に静かで気持ちよく休んでいられる。
プールサイドで2時間ほど過ごした。皆はどこへ出かけたのだろうか、ホテルでは見かけなくなった。暑さも和らぎ、これから、行きたかった国立考古学博物館に出かける事にした。地図を見ると、最寄り駅は、地下鉄のオモニア駅だ。ホテルから地下鉄のアクロポリス駅まで歩き、LINE2で3つ目の駅である。
ホテルから徒歩5分でアクロポリス駅についた。これまでツアーバスでの移動ばかりだったので、アテネで公共交通機関を利用するのは初めてだ。地下に降りて行くと、突然、遺跡の展示コーナーがあった。アテネの地下には、多くの遺跡が埋まっているため、地下工事の際に出てきた遺跡をこうして展示してある。噂には聞いていたが、特に囲いもなく、ギリシア・ローマ時代のものが何気なく置いてある。さすがアテネならではと感心した。地中には、まだまだ、こういうのが埋まっているかと思うとすごい。
地下鉄の切符は、1ユーロ、券売機で買える。先に、片道1ユーロのボタンを押し、次にコインを入れると発券された。少し大きめの切符だ。駅には改札はないが、切符を検札機に入れ、日時の刻印をしないと無賃乗車と同じになる。見つかれば、罰金30ユーロらしい。オモニア駅へは、ライン2(レッド・ライン)の「アギオス・アントニオス」(Agios Antonios)行きに乗る。電車の到着時刻を見ると、この時間9分間隔で運行されていた。ホームに人は少なく、電車も空いている。乗り換えなしで、3つ目のオモニア駅で降りた。地上に出ると、オモニア広場がロータリーとなっていて、このあたりは交通量が多い。地図を頼りに、10分ほど歩いたが、無事、国立考古学博物館に到着した。 ■国立考古学博物館(National Archaeological Museum)
国立考古学博物館は、古代ギリシアの芸術品を最も豊富に所蔵する国立博物館で、考古学的に貴重なコレクションも多い。これらは、ギリシャ全土で実施された考古学調査隊により発掘されたものだ。博物館の建設は、考古学会とギリシャ政府の援助で1866年に開始されて、1874年に西側が完成し、最終的に今の形になったのは、1889年である。 展示品は、先史時代からアルカイック時代、クラシック時代、ヘレニズム時代の彫刻やブロンズ像、陶器、金細工など多岐にわたる。
![]() 古代ギリシア、アルカイック期(紀元前6世紀ごろ)のクーロス (kouros)像。クーロスとは、青年を意味し、ギリシャ美術の彫刻では左足を少し前に出し、こぶしを太股につけて直立しているのが特徴だ。この時代のクーロスが複数展示されている。
(左)アルカイック期(紀元前550-540年)の女性像 (下) アルテミシオン岬(Artemision)で海から発掘されたポセイドンのブロンズ像。1階の第15室中央に展示されている。高さ2メートルの堂々とした青銅製の作品。右手にはトライデント(trident=三つ叉のやり)を持ち、今にも投げつける動作を表している。髪の毛と髭には巧みなカールがある。紀元前460年ごろのもの。
![]() (左)古代ギリシアの聖地「エレウシス」(Eleusis=現代のElefsina)で発掘された浮き彫り。女神デメテルからエレウシス国のトリプトレモス王子に農業に必要な麦を初めて渡す様子が描かれている。王子の後ろに立っているのはデメテルの娘ペルセポネ。
(上)ポセイドンのブロンズ像と同じく、アルテミシオン沖で発掘された、馬に乗る少年のブロンズ像。左手に手綱、右手にムチを持つ少年が、疾走する馬を操る様はみごと。躍動感あふれる作品だ。紀元前140年ごろのもの。
(左)大理石でできたアフロディーテとパンとエロス像。紀元前100年ごろ(ヘレニズム期)の作品。ヤギの足をしたパンは、女神アフロディーテに悪戯をしようとすると、彼女は、履いていたサンダルで威嚇する様子を彫刻として描いている。また小さいエロスは女神の肩よりパンのツノをつかんで加勢している。高さ1.5メートル。
博物館1階の正面に戻り、中央の部屋に入ると先史時代の出土品が展示されている。中でも美しい金細工が目立っていた。(左)ミケーネ(Mycenae)から発掘された黄金のマスクは、紀元前16世紀ごろのものとされている。また同様に細かな細工がほどこされた(右)くさび型の金の王冠も見つかっている。陳列された出土品を見ていると、この時代の文化・芸術の高さがうかがえる。 ■リカヴィトスの丘(Likavittos / Lycabettus) 国立考古学博物館で古代文化の芸術品を堪能したあとは、ギリシャ最後の夜でもあり、夜景が一望できる「リカヴィトスの丘」へ上がったみることにした。博物館から南東に位置する小高い丘で、ここからだと1.5qほどの距離だ。丘の頂上へは、ふもとの南側からケーブルカーが利用できる。ケーブルカー乗り場までは、地下鉄に乗るには、中途半端な位置関係にあったので、地図を頼りに歩き出した。最後は上り階段もあり、30分程かかったが、ようやくケーブルカーの乗り場に到着した。
駅舎内で往復5ユーロで切符を買った。ケーブルカーは、10分おきに出ているようだ。リカヴィトスの丘は標高277mあり、頂上まで3分程で着くが、地中を走るため景色は見えない。また頂上まで階段道があり、徒歩で登る事もできる。こちらは20分程かかるらしい。頂上駅には、ちょっとしたレストランや売店があるが、展望台を含めてそんなに広くない。また真っ白な小さい教会(アギオス・ゲオルギオス教会)もあり、この丘のシンボルとなっている。
頂上に着いた時間は午後7時45分で日はかなり傾いてきている。リカヴィトスの丘は、アテネ市内のほぼ中心にあるため市街の町並みを一望できるだけでなく、遠くにはピレウス港のあるサロニコス湾も眺望できる展望台として人気のある場所だ。特に日没近くになると人がたくさん集まってきた。
夜8時17分、日が完全に沈むと、アテネの町並みはひっそりと闇に包まれ、やがて、ネオンが美しく町を飾りはじめた。南西の方向には、ライトアップされたアクロポリスもうかがえる。しばしアテネの夜景を楽しんだ。
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