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2005年夏・南イタリア旅行記
〜バチカン市国〜
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イタリア、ローマ市街の西、テベレ川西沿いにある世界で最も小さい独立国家「バチカン市国」(Citta del Vaticano)を訪ねた。<地図>国の統治者はあのローマ教皇で、カトリックの総本山としても有名である。 目当ては、もちろん膨大な美術品が収蔵されてある「バチカン博物館」そしてカトリック教会の総本山「サン・ピエトロ大聖堂」を拝見する事である。
バチカン博物館へは地下鉄A線の「オッタビアーノ駅」(Ottaviano)が近い。ローマ・テルミニ駅からだとBattistini行きの電車で6つ目となる。料金は1ユーロで1回券(1BIT)を購入。地下鉄は10分間隔くらいで動いているようだ。しばらくしてやってきた落書きだらけの列車に乗って、オッタビアーノで下車した。観光客らしき乗客が大勢降りた。おそらく皆バチカンを目指すのだろう。博物館の入口は、最も北側のバチカン通りに面している。駅から10分ほどの距離だ。開館時間は8時45分で40分前に着いたが、すでに200mほどの長蛇の列ができている。とにかく最後尾についた。時間とともに列はどんどん長くなる。 (↓左側が入口) (↓行列の先頭) (↓列はレオーネ通りへ)
ようやく、開館の8時45分になった。並んでいた列が動きだしたのはさらに10分後だったが、思っていたより早目に進み、結局20分後に入館できた。
中に入るとすぐにゲートがあって、ここで入館料(12ユーロ)を支払い、そしてこの先でせっかく来たので、日本語オーディオガイド(6ユーロ)も借りた。オーディオガイドは、メモリーに記録された音声を再生するもので(たぶん)、入口の番号を入力するとその場所のガイドが始まる仕掛けになっている。
■エジプト博物館 (Museo Gregoriano Egizio) 入口から進むと、シモネッティの階段を上がり、まずこのエジプト博物館に入る。この博物館はグレゴリウス16世法王が1839年に設立したとある。ここにはピーニャの庭園に面している9つの部屋に古代エジプトの記念碑や多数の彫刻などが収納されいて、また最後の2つの部屋には、古代メソポタミアのものが展示されている。
<↓左>第T室 王朝の3家族の石碑(紀元前1550-2000年)
<↓右>第U室 塗り立てられた石棺(紀元前1000年)
<↓左>第V室 大理石で造られた神々と女神 Isis-Sothis-Demeter(131-138年) <↓右>第W室 横になったナイル川の像(西暦1〜2世紀)
■キアラモンティ博物館(Museo Chiaramonti)
エジプト博物館から出るとグランドレベルの回廊に教皇ピウス7世の時代(1800年頃)に集められた古代彫刻や模作が多数陳列されている。このエリアはピウス7世の本名(Giorgio Barnaba Luigi Chiaramonti)をとって「キアラモンティ博物館」と呼ばれている。 ■ブラッチョ・ヌオーボ(Braccio Nuovo) キアラモンティの回廊中央から右側に曲がると「ブラッチョ・ヌオーボ」(新館)のエリアがある。新回廊とも呼ばれているらしいが、こちらもキアラモンティ博物館の一角でピウス7世のコレクションだ。
■ピオ・クレメンティーノ博物館(Museo Pio-Clementino) ピーニャ(Pigna=松ぼっくり)の庭園正面からエジプト博物館の裏側へ戻ると、八角形の庭に出る。ここがピオ・クレメンティーノ博物館の中庭(Giardino del Belvedere)で、あの有名な「ラオコーン群像」(C→)を見る事ができる。 ピオ・クレメンティーノは、中庭から屋内へ動物の間、ミューズの間、円形の間、十字の間へと続き古代(ギリシャ・ローマ)彫刻が展示されている。
<↓左>ラオコーン群像(Gruppo del Laocoonte ) <↓右>ミューズの間・演奏する女性
<↓左>ベルベデーレのトルソ像(Torso del Belvedere)(紀元前1世紀、アテネのアポロニウス作)
![]() <←>円形の間(Sala Rotonda) ■燭台のギャラリー(Galleria Dei Candelabri) ピオ・クレメンティーノ博物館から階段で2階に上がると燭台のギャラリーだ。燭台よりも天井に描かれた絵画、装飾がとても美しい。また床の一角には宝石が埋めこまれた装飾がある。踏まれないよう、さすがにロープで囲ってあった。 ■タペストリーのギャラリー(Galleria degli Arazzi) 燭台のギャラリーからタペストリーのギャラリーへ続く。こちらは少々薄暗く、壁面いっぱいの大きい織物がかけてある。やはりキリストを題材にしたもので1500年くらいの作品。シルクとウールで出来ている。 ■地図のギャラリー(Galleria delle Carte Geografiche) 薄暗いタペストリーのギャラリーから一変、絢爛豪華な空間、と言うより黄金色の天井装飾に驚いた。長さは120mとの事。天井に向け照明をあてているせいもあるが、光輝いていた。両側の壁には、1580年頃にグレゴリウス13世が天文学者イニャーツィオ・ダンティの下書きを基に描かせたイタリアやその周辺の地図で40枚ほどある。
地図のギャラリーを抜けると、ラファエロの間へと続き、そして礼拝堂へ・・・
■システィーナ礼拝堂(Cappella Sistina) バチカン博物館のクライマックスは、なんと言ってもミケランジェロ作の壮大な「最後の審判」が描かれている「システィーナ礼拝堂」だ。
システィーナ礼拝堂は、シクスツス4世デラロービア(Sixtus IV Della Rovere)法王が1475年〜1481年にかけて建設させた事からその名前がつけられている。 その後、16世紀に入って礼拝堂全体を取り囲むように、ミケランジェロ、ボッティチェリ、ベルニーニなどの巨匠達に描かせたフレスコ画は、圧巻で、目を見張るものがある。礼拝堂内は満員で大勢の人が、足を止め、息を飲むように見とれていた。 残念ながら、この礼拝堂のみ写真撮影が禁止だったので、ここにある画像はガイド等より拝借させていただいた。 <天井画>
ミケランジェロがユリウス2世の依頼を受けて、1508年から1512年まで天井画に取り組んだ作品。当時、ユリウス2世の原案はあったものの彼はミケランジェロに自由裁量を与え、その才能を発揮させたとの事。まかされたミケランジェロは、9つから構成される「創世記」を見事に描いた。@光と闇の分離、A太陽と月の創造、B陸地と海の分離、Cアダムの創造、Dイヴの創造、E原罪とエデンの園追放、Fノアの献身、G洪水、Hノアの泥酔<正面画・最後の審判>
ミケランジェロによって西側の壁一面に描かれた「最後の審判」は、そのすべてを一度に視界に入れる事は難しいくらい壮大なものだ。クレメンス7世の意思を受けついだパウルス3世がミケランジェロに依頼したもので、天井画を描き終えてからなんと24年後の1536年に取りかかり、1541年に完成した。最後の審判の評決が口にされる瞬間を鮮明かつ克明に表現されている。キリストの穏やかで落ち着いた動きは、周囲の動揺をなだめ、全ての人物がゆっくりと回転運動を始める様子がうかがえる。 ■図書館の回廊へ いつまで見ていても飽きないシスティーナ礼拝堂であったが、その余韻を残し、礼拝堂を後にすると、まっすぐ伸びた廊下に出た。このあたりは地図のギャラリーやタペストリーのギャラリーの下の階で図書館の一角にあたるらしい。右側には、シクスツス5世が造らせた書物を閲覧する「システィーノの間」が輝いていた。
■USCITA 廊下を抜けると館内に郵便局があった。覗いてみると、れっきとしたバチカン市国の郵便局で、ここからバチカン発の郵便を出す事ができる。記念に封書と切手を買って、ポストカードは投函した。先の「ヨハネ・パウロ2世」そして第265代ローマ教皇「ベネディクト16世」を図柄にしたものに人気があるようだ。 郵便局前には美しい「らせん階段」があって博物館最後の美術品か?と思わせるほどで、この先は出口につながっている。
バチカン博物館を後に、城壁沿いに歩きポルタ・アンジェリカ通りからバチカン市国の正面玄関「サン・ピエトロ広場」に向かった。直径240mの回廊に囲まれた円形の大広場で正面はカトリックの総本山「サン・ピエトロ大聖堂」だ。 この広場はアレクサンデル7世法王の指示で、ギアン・ローレンツォ・ベルニーニが設計し、1656年から1667年にかけて建設された。 広大な敷地ではあるが、2005年4月8日におこなわれたヨハネ・パウロ2世の葬儀には、信者約30万人で埋めつくされた。
いよいよ大聖堂に入ってみようと思うが、こちらも行列ができていた。また入口付近では手荷物検査も行われている。また、ノースリーブや半ズボンなど服装も規制されていて、場合によっては入れてもらえない事もあるようだ。15分ほど並んでようやく中に入れた。列はもう一つあって、大聖堂の右側奥へ続いていた。こちらはクーポラ(地上130mのドーム)を目指す人達で、おそらく1時間くらいはかかると思われる。
初代大聖堂は、聖ペテロが異教の罪で葬られた聖地にローマ皇帝コンスタンティヌス1世の指示で建設が始まり390年頃に完成した。その後改築が繰り返された後、一旦解体されるなどの歴史があり、現在のサン・ピエトロ大聖堂は、1626年にウルバヌス8世によって献堂式が行われた。ルネサンス期からバロック期にかけて建てられた傑作である。 大聖堂の一番右側にある「聖なる扉」(Porta Santa)は、聖年に法王によって開けられる扉で、2000年にも開けられた。聖なる扉の横には、コンスタンティヌス大帝の騎馬像がある。
サン・ピエトロ大聖堂を入ってすぐ右側にあるピエタ(キリストを抱く聖母マリアの彫刻)はミケランジェロが1499年に完成させたもの。 ガラス張りの中に大切に納められており、大勢の人が覗きこんでいた。 また、中程にある「聖ペテロの像」では、右足にさわると幸運が訪れると云われている。こちらは、その足に触れようと列ができている。
大聖堂の一番奥には、黄金の光が差し込み、その下には1666年ベルニーニが製作した「聖ペテロの椅子」が祭られている。
最も小さい独立国家に最も偉大な教会が存在する。バチカン市国の象徴だ。また貴重な芸術品の宝庫でもある。そしてなによりもカトリック信者にとっては最も聖なる場所なのだろう。 サン・ピエトロ大聖堂を出ると、テベレ川まで東へ向かってまっすぐの道が伸びている。コンシリアツィオーネ通り(Conciliazione)で、バチカンの最も東方に位置する
「サンタンジェロ城」へつながっている。ここから見る大聖堂もまたクーポラまで全景がよく見えて美しい。 サンタンジェロ城は、元はローマ皇帝ハドリアヌスの霊廟(れいびょう)として139年に完成し、歴代法王が埋葬されてきた建物。しかし847年には軍事的な要塞となり、法王の避難所とされてきた。その後、牢獄や兵舎として利用されてきたが、1933年に
博物館となった。「サンタンジェロ」の名は、この地に守護天使(サンタンジェロ)として、ミカエルが現れた事からそう呼ばれている。サンタンジェロ城からテベレ川にかかる「サンタンジェロ橋」にはベルニーニ作の天使像(コピー)が建造されている。 100mほどであるがローマとバチカンを結ぶ、趣のある橋だ。
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