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山2い1541号型
 
■導入:昭和45年(1970年)、新製
■型式:三菱MR470
■車体:西工
■形状:リヤエンジン、前折・中引扉
■冷房:なし
■用途:路線
■構成:1541(S45.6〜S57.12)
     1543(S45.6〜S60.2)
     1548(S45.6〜S57.2)
     1553(S45.6〜S59.2)
     1555(S45.6〜S57.12)
     1556(S45.6〜S57.4)
     1557(S45.6〜S60.2)
     1558(S45.6〜S59.2)
     1560(S45.6〜S57.4)、後に「山2い1687」へ登録替
     1561(S45.6〜S57.2)
     (計10台)
 
 昭和45年初夏に導入された本型は、4回に分かれて総勢50台が投入された一連の
セミワンマンカーの、最後の一群です。
 これまでの車の運用実績や現場の意見を反映させたためか、車台は全て三菱が、車体
は全て西工が選択され、50台のうち、三菱車は33台、西工車は39台を占めるに至り
ました。
 
 これまでと異なる仕様としては、緑色モケットの座席のほか、フィルム式方向幕が採用
されており、正面のウィンカーは従来の「ゲンコツ型」から、現代に通じる一般的な形状に
改められています。
 また、残された写真からは、車体公式側の市章は省略されたようにも見えます(後年の
改造によるものかは不明)。
 
 本型独自の試みとしては、10台のうち2台が入口付近の座席を減らした「通勤型」として
発注されていたことが挙げられます。
 朝夕の混雑時において優先的に運用されたと思われますが、当該車を明確に記した
資料等は未だ発見されていません。
 しかし定員の違いから、1556と1561であった可能性があります。
 
 1560は、購入翌年の交通事故により、ナンバーを損傷したため登録替えを行っています。
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■山2い1561号(文献引用)
山22う202号型
 
■導入:昭和47年(1972年)、新製
■型式:三菱B805N
■車体:西工
■形状:リヤエンジン、前折扉
■冷房:ヂーゼル機器(サブエンジン)
■用途:貸切
■構成:202(S47.8〜S62.6)
     203(S47.8〜S62.6)写真1
     204(S47.8〜H1.6)
     205(S47.8〜S61.10)
     (計4台)
 
 旧式の車が概ね淘汰されたこの頃、遂に貸切車にも新世代の車が現れました。
 営業路線での運賃収入が減るなか、高速道路の開通もあって、観光地への貸切需要が
見込めたためで、従来になく気合の入った仕様が目立ちます。
 
 外板塗装は、このとき初めて専用の「貸切色」が採用され、メトロ窓と相まって、従来とは
異なる高い「車格」と、旅の上質感を演出しました。
 装備面でも全車両を通じて初めて冷房が採用されたほか、運転手の仮眠装置なる
ものが特注で追加され、本格的な長距離運用に備えていたようです(右最前列の客席に、
運転席に向かって足が延ばせる可動式のオットマンを設置)。
 ただし冷房装置は、予算の関係で202と203が準備工事で落成しており、翌年に西工で
サブエンジンの追加搭載を行ったといわれています。
 
 車体は先のい1337号型と同様に西工(41MC、高速型)が採用されましたが、車台は
比較的廉価であるB805を選択したため、装備で重量が嵩む一方、高速走行を課された
貸切車として非力(200馬力)であり、一部には不評だったといいます。
 
 車体前の表示は「行燈」ではなく「方向幕」であり、表示を幾つか変えられるようです。
 座席のモケットは、後の時代の車とは異なり、青色だったとことが判っています。
 
 廃車後の204号と思われる車の解体作業を、管理人は幼い頃に目撃しました。
■山22う205号(文献引用)
山22う362号型
 
■導入:昭和48年(1973年)、新製
■型式:三菱B806N
■車体:三菱
■形状:リヤエンジン、前折扉
■冷房:三菱(サブエンジン)
■用途:貸切(後に363,364は路線化改造)
■構成:362(S48.10〜H5.9)写真1
     363(S48.10〜H4.4)写真1
     364(S48.10〜H5.4)写真1
     (計3台)
 
 旺盛な貸切需要を前に増備された本型は、上記う202号型の教訓を踏まえ、今度は
高出力のB806型(230馬力)が選択されました。
 ただし車体については、現場は西工製を推薦していたものの、納期の関係で三菱の
純正型(K11)が採用されたといわれます。
 また、前扉は自動化を検討したようですが、費用とスペースの関係で断念したようです。
 
 昭和62年には、363と364が路線仕様へ改造(防府市の業者で施工)。
 外見上は電動方向幕が設置されたのみで大きな変化は無く、内装、特に運転席回りに
工作が集中しました。
 ワンマン化に伴い、手動式だった前扉もさすがに自動式に改造。
 364号のみ、廃車直前には貸切仕様に復帰しました(運賃箱、運賃表示機を撤去)。
 
 除籍後は、3台とも防府市内の解体業者で処分されています。
■山22う363号(ご提供写真)
山22う648号
 
■導入:昭和50年(1975年)、中古(昭和43年式、元・近畿日本鉄道)
■型式:日野RC320P
■車体:帝国
■形状:リヤエンジン、前折扉
■冷房:ダイキン(サブエンジン)
■用途:貸切
■構成:648(S50.4〜S56.3)
     (計1台)
 
 山陽新幹線の博多開業以降、さらに増加する貸切需要に対応するため購入された
中古車です。
 特に、看板運用である「市内定期観光」は、複数台で続行便を出す有様だったようで、
緊急的に配備する必要がありました。
 そこで近鉄から防長交通に移籍される中古車数十台のうち、一台を購入することに
なり、大阪からフェリーで航走させて引き取ってきたようです。
 
 しかし受け取った個体はもともと程度が悪かったようで、後継車が出そろった80年代
初頭には、早々に処分されてしまいました。
 
 車体は、フロントが傾斜しない帝国の貸切仕様で、路線車と同じライトベゼル、そして
「ホームベース型」の行燈が装着されていたといいます。
 
 在籍期間は僅か6年という、「う」の世代における幻の一台です。
山22う658号型
 
■導入:昭和50年(1975年)、新製
■型式:三菱MR470
■車体:三菱
■形状:リヤエンジン、前折・中折扉
■冷房:三菱(サブエンジン)
■用途:路線
■構成:658(S50.7〜H4.4)写真1
     659(S50.7〜S62.3)
     660(S50.7〜S62.3)写真1
     (計3台)
 
 山陽新幹線の博多開業への対応は、一般路線車にも及びました。
 小郡駅に乗り入れる他社に対抗すること、及び、全路線における完全ワンマン化を
達成するため、昭和50年度は10台の新車が導入されています。
 
 そのうち最初の3台にあたる本型は、路線車として初めて冷房を装備したことに加え、
パワーステアリング、電動方向幕(前・横)、運賃幕を初採用しており、立席窓を廃止
するという、極めて近代的な仕様で登場しました。
 それを示すべく、車体塗装は「青帯」がおよそ10年ぶりに消え、車体両側とも市章が
省略されています。
 
 こうして、昭和41年から始まった山口市営のワンマン革命は、今度は「ワンマンカー」に
よる「セミワンマンカー」の淘汰という図式で、新たな段階に入ったのでした。
 
 なお、一つの時代の区切りとなった本型は、車内環境と運行環境を著しく向上させた
高級車でしたが、ワンマン自動機器への乗務員の適応には訓練を要し、また、西工製の
車体であれば、もう少し延命させられたともいわれています。
■山22う658号(ご提供写真)
山22う671号型
 
■導入:昭和50年(1975年)、新製
■型式:日野RL320
■車体:日野
■形状:リヤエンジン、前折・中引扉
■冷房:なし
■用途:路線
■構成:671(S50.9〜S60.3)
     672(S50.9〜S59.12)
     673(S50.9〜S61.9)
     674(S50.9〜S61.9)
     (計4台)
 
 一部で車掌運用の残っていた、末端の狭隘路線も完全ワンマン化するために導入
された、初の中型規格車です(155馬力)。
 ただし経過措置のためか、「う」の世代としては唯一、車掌操作用の機器も入口台には
設置されており、「セミワンマンカー」的な仕様を意図的に残しています。
 
 特筆すべきはバックアイ装置の搭載で、全車両を通じて初めて採用されました。
 このバックアイは好評だったのか、後に昭和42年と昭和43年に導入された日野車
(「セミワンマンカー」)の全車にも、追設置されています。
 
 なお、この頃の路線車では、バックアイは非冷房車には設置され、冷房車には設置
されない、という不思議な法則が生まれました。
 冷房車では、購入単価を少しでも抑える工夫だったのでしょうか。
 
 前後幕板部のマーカーランプは、当初は設置する意図が無かったようですが、製作
指示に含まなかったため、勝手に取り付けられたといわれています。
 
 本型は何れも早々に廃車処分されましたが、673のみは、廃車後も交通局内で
倉庫として転用されており、1994年までその姿を留めていました。
 その後、上記う362号型と同時期に解体するため、足回りを撤去のうえクレーンで
トラックに積まれ、防府まで移送させられたといわれています。
山22う675号型
 
■導入:昭和50年(1975年)、新製
■型式:三菱MK103H
■車体:呉羽
■形状:リヤエンジン、前折・中引扉
■冷房:なし
■用途:路線
■構成:675(S50.9〜S59.5)
     676(S50.9〜S59.3)
     677(S50.9〜S59.3)
     (計3台)
 
 上記う671号型と同時に購入されており、車掌機器を備える点も共通でした。
 敢えて別メーカーの製品を同時に採用するあたりが公営らしいのですが、初めての
中型車ということもあり、性能を比較する意図もあったように思います(こちらは145
馬力)。
 
 ただし結果的には、当時の中型車は大型車に比して耐久性に劣るという評価で
あったようで、山口市営では何れも早々に姿を消しました。
 
 また、80年代前半には、新車の購入費の九割が助成される補助金制度があり、
これも本型類の早期淘汰を促進した一因になったといえるでしょう。
 
 左写真の677号は、廃車後に私立幼稚園の図書館として売却・転用され、
90年代の中ごろまでは姿を留めていたものです。
 
 主な担当路線は、朝倉、天花線だったといわれています。
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■山22う673号(倉庫に転用後)
■山22う677号(図書館に転用後)
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 昭和40年頃に始まった経営システムの猛烈な合理化は、ソフト、ハードの双方に重大な影響を及ぼし、昭和50年代を
迎える頃には、路線の縮小、職員の削減、車両の淘汰、機器の更新等を経て、一段落するようになります。
 一方、昭和50年の山陽新幹線博多開業に伴う観光特需は、この時代における数少ない明るい話題の一つです。
 しかしこうした状況も長くは続かず、数々の営業努力とは対照的に、経営状態は一層厳しさを増していくこととなりました。
 
 ここではワンマン革命最終段階の路線車から、最後の大型車に至るまで、およそ10年続いた合理化の末に登場した
70年代の車たちの様子をみて参ります。
 
■更新履歴:2017/1/20 字句一部修正