2015年10月11日
ホームページを移転します。
もうこのサイトのデザインも古いし技術的に更新しづらいこともあって、新しくしたいな、新しくしなきゃな〜と
ずっと思ってて先延ばしにしてきたのだけど、ようやく。
新サイトのアドレス→ http://yamamura0308.wix.com/online-photos-jp
よろしくお願いします。
2015年7月8日
人体骨格模型「ボーニー」を作る。
西村書店発行のペーパークラフトブック、「ボーニー[人体骨格模型]」という本がある。
紙で等身大の骨格模型が作れるという驚くべき本である。
その珍しさと斬新な発想に感動して私はこれを十年程前に買っていたのだが、
実際に組み立ててみようと思ったことは今まで一度もなかった。
ところが、今描いている絵で、人間の背中、肩胛骨と背骨を詳細に描く必要があり、
肩胛骨のサイズと形や位置関係がどうしても写真資料だとよく分からなくて、
あ、じゃああのボーニーを組み立ててみよう、と軽い気持ちで思いついてしまった。
悲劇の始まりである。
まず、本からパーツを切り出す作業から心が折れそうになる。
「切り抜きずみなので手で簡単に切り離せます」と説明にはあるが、
形が細かいのでカッターで丁寧に切り離さないときれいな仕上がりになりそうにない。
しかも、すごいたくさん骨の数があるのだ。
やる気を振り絞ってなんとか必要なパーツをそろえると、ようやく楽しそうな組み立てタイム・・・と思いきや、
ところがこの組み立て、思った以上に難しくて神経を使う。
正直、私は自分のことをなかなか手先の器用な人間だと自負しているのだが、その私をもってしても困難な作業。
欲しいのは胴体部分だけなので、背骨から作りはじめたのだが、背骨だけでやめちゃおうかと思ったほど面倒くさい。
でも、それらしい形ができあがってくると、骨ってこんな構造になってたんだ!
想像とこんなに違う! すごい面白い! と、
つづく肋骨部分に意欲が湧いてくる。
肋骨・・・肋骨のカーブが最大の難所だった・・・。
「ノリ、ハサミは使いません」と裏表紙に謳っているもんだから私も意地でノリとかテープで接着せずに作っていたんだけど、
立体なので組み立て中バランスがとりづらくて、
こっちの差し込み口に差せたと思ったらあっちの差し込み口に差してたのが抜けて外れちゃったり、かなり苛つく。
肋骨が完成すればあとの鎖骨と肩胛骨は全然たやすいのだが、
2・3時間くらいでちゃちゃっと作るつもりだったのに結局、首からお腹までの部分に半日かかってしまった・・・。
でも写真じゃ分からなかったこと、立体で作ってみて気付いたことは多々あって、面白かった。
ペーパークラフトで人体骨格模型とか、考えた人はすごいと思う。発想がすごい。
しかも紙なのに結構リアル。
でも多分、残った頭部と下半身は作らないだろうなぁ。すごいめんどくさいもん。
2015年4月27日
時々、作業場を掃除して床に散らかってる紙とかをまとめていると、面白いものが見つかることがある。
それは、絵の構想をぐしゃぐしゃっと鉛筆で小さく描いた下絵だったり、
一瞬きれいだった手の形をスケッチしたものだったり、絵のコンセプトを言語化しようとしたメモだったり、
その時の自分の気持ちを衝動的に書き殴った文章だったりする。
そういったものが描かれた汚れた紙、大きさも用紙の種類も色々のかけらを、
時間が少し経ってから改めて眺めると、なんだか自分が描いたものの筈なのにそうじゃないような、
「自分、こんなこと考えてたんだ?」と不思議な感じがする。
今日も掃除中、「こんな文章どんな状況の時に書いたんだろう?」と首を傾げるようなメモが出てきて、
でも妙に切実っぽい感じの文章で、捨ててしまうのも忍びなくて、
なのでここに打ち込んで残しておくことにしようと思う。
・・・・・・・・・
たまに考えるんだ。
美意識なんてものがなければもっとラクに生きられるだろうか。
こだわったり、固執したりせずに、傷ついたりせずに、もっとラクに生きられるんだろうかって。
どうせ美しくなんか生きられないんなら、美意識なんてない方がマシなんじゃないか。
たまに、めちゃくちゃに太ってしまいたくなる。
あらゆるものを食べて、何でも食べて、ぐだぐだに不健康にぶくぶくに。
私はこんなにめちゃくちゃな状態なんだって、心に体を合わせてしまいたくなる。
何かのあてつけに太ってしまいたくなる。
だけどそうしないのは、そうなったらもうもとにもどすことはできないって思うからだ。
何のための理性。
私は打算的な人間なんだ。
そうだ。打算だ。美意識ですらない。打算だ。
衝動的に生きることができない。
人をぶん殴れない。
手ぶらで遠くに行けない。
けっきょく失うことが怖い。
だからといって、まっとうに生きる計画もない。
・・・・・・・・・
↑っていう内容の文章。
筆跡は自分のだし、なんとなく記憶もあるんだけど、今となってはいつどんな状況の時に書いたのか思い出せない。
人の気持ちってどんどん時間と共に流れていくんだなって、奇妙だ。
2015年3月23日
若い頃にお世話になった先生の訃報。
ずっと会っていないけれど、元気にしているものだとばかり思っていた。
記憶を頼りに先生のブログを探してみたらまだあって、
そこには去年の夏頃に病気が発覚してから年明けに手術を受ける直前までの数ヶ月間の闘病記が詳細に綴られていた。
その文章の中には思想とか意志とかが今も生々しく残っているのに、それを書いた人はもういないのだ。
「どうして生き物はみんないつか死ぬの?」なんて、幼児がするような質問が頭の中をぐるぐる。
死後の世界とか、魂の輪廻転生だとか、あまり信じることができない私は、死というものがただ怖い。
人であったり動物であったり、何度か命の喪失に立ち会ってきたけれど、
形はあるのにそこにいなくなってしまうという、何かが確実に失われてしまったというあの感覚が、
どうにも受け入れがたく、いつもぐるぐる。「命って一体なんなんだろう?」
生と死は、真逆のものでありながら殆ど同じもののようにも思える。
いっそ出産でもしてみたら私の価値観はまたがらりと変わるのかもしれない。
でも自分の体から何かが出てくるなんていう物理的衝撃が恐ろしくて試す気にもならない私は、
何も生み出すことができずに失うことばかりを怖れる。
子供の頃は死はまだとても遠いものだと思っていたから、色々な無茶を危険だという認識もなくやらかした。
死んだら生き返らない。時間は巻き戻せない。不可逆なものへの怖れは年々強くなる。
その辺に生えてる草が枯れたり、蟻や羽虫が死んでも気にしないのと同じように、
人間や鳥の命だって世界にありふれた自然現象のひとつに過ぎないのに、そこに残酷さを感じる感受性。
もっと年をとればすんなり受け入れられるようになるのだろうか。
2015年2月5日
第5回「ドローイングとは何か」展、
今週月曜日からギャルリー志門で始まっています。14日(土)まで展示しておりますので是非お立ち寄りください。
2015年2月2日(月)〜2月14日(土)日休 11:00〜19:00(最終日17:00)
ギャルリー志門 〒104-0061 東京都中央区銀座6−13−7新保ビル3F
この公募展は第3回の時も入選したのですが、
すごくしっかりしたカタログを作っていただけるのがありがたいです。
入選者一人あたり2ページで、入選作一点と過去作二点の作品写真を載せていただけるのも嬉しい。
顔写真も載るのは恥ずかしいが・・・。
カタログはギャルリー志門で購入できます。
余談だけど、自分の顔写真を自分で撮るのって難しいよね。
このカタログ用の写真を自分で撮ったんだけど、三脚立ててセルフタイマーで、
撮っては映りを確認して、なんか目線が変とか、顔の角度がとか髪の形がとか、
何回も撮り直してる自分がいささかナルシストぽくて辟易した・・・。
2015年1月23日
第5回公募「ドローイングとは何か」展に入選しました。
2月に入選者の展覧会がギャルリー志門でおこなわれます。
嬉しい事なんだけど、応募した三作品のうちの自分が気に入ってる作品は選ばれなかったのがちょっとショック。
いつも、少し小奇麗な作品の方が選ばれる。
他人の感覚のせいではなくて、
自分がいいと思うものがちゃんと伝わらないのは、まだ何かが足りないんだろう。ガンバロウ・・・。
第5回公募「ドローイングとは何か」入賞・入選作品展
2015年2月2日(月)〜2月14日(土)日休
11:00〜19:00(最終日17:00)
授 賞 式およびレセプション:2015年2月2日(月)17:00〜
会場:ギャルリー志門 〒104-0061 東京都中央区銀座6−13−7新保ビル3F Tel:03-3541-2511
主催:「ドローイングとは何か」展開催実行委員会
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